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最後のGood byeは言わずに

リビングの床の掃除をして
サルサの材料を準備していた時は

感情の波が押し寄せるなど思いもしていなかった。

トマト、ライム シラントロ、セロリ、パプリカ、そしてオニオン
去年裏庭ガーデンで育ててドライにしたカイエンペッパーと同じく裏庭ガーデンのトマトで作ったトマトソース。去年の秋にメイソンジャーにシールしたものを開ける。そしてニンニク

久々の訪問客

それはステップドーターとそのファミリー。
つまり亡くなった夫ジェイの娘とその家族である。

彼女とはずっとメッセージのやり取りをしているが、実はジェイが亡くなったその日以来彼女とは会っていない。

もちろんパンデミックがあったせいだ。
それからジェイが亡くなって半年もせず母が亡くなり、私が日本との行き来を余儀なくされたこと。
そして彼女の家族に起きた諸問題。

私たちは手の中に納まりきれないものをそれぞれに抱え込んでいた。

遺灰を取りに行くから

彼女から幾度かメールが来たがそれはちっとも実現しなかった。

ジェイは自分の遺灰の半分を彼女に託していたのだ。
生まれ故郷のアメリカ・バモントに戻るために。

リンゴの木の下に遺灰を撒いてほしい

ダックが彫り込まれた木箱の中にジェイの半分がいてキッチンカウンターの上で彼女を待っていた。

そして3年が過ぎた。

今度、あなたに会いに行くわ!

そんなメールが来たのはカナダ帰国後、何回かの近況報告のメールやり取りをした後のことである。

I ではなく Weとあったことから家族のことが解決して、みんなで揃って来てくれるのかなと。しかしこの時でさえまだ実現できるかどうか疑わしくて。

昨秋も来ると連絡があって実現できなかったことがあった。

来れないというより来たくないのかな、そんな思いが何度もよぎった。

ここだけの話(笑)夫が緩和ケアに入った後、夫ジェイと彼女との間で壮絶なバトルが繰り広げられた。ジェイのビジネスを彼女が受け継いで整理していた頃である。

私は断然彼女の味方、そう思いながら二人を見ていた。
ジェイがあまりに怒るので彼女に、わかったと適当に取り繕っておけば?と耳打ちしたことさえある。ジェイはそのころすでに残りの命を宣告された車椅子の人だったのである。
しかしなんせ親子で気質が似ているときていますから(笑)彼女が折れることはなかった。
そして在宅ケアのドクターから必要な人に連絡をと言われたその時も、彼女はもうジェイに会いに来ることはなかったのである。


野菜を切り終わって味の仕上げをしていると

ちょっと玉ねぎ多すぎたかな

彼女にジェイが亡くなったと連絡したときのことが、今スマホを持って話しているかのように蘇ってきた。

葬式も墓もいらない。
ボクが死んだらキミはすぐにボクを火葬場に送ってそれでおしまいさ。
簡単だろ?

ジェイはそういっていたから、そうするつもりでいた。訪問看護のナースも承知していた。

でも娘はダディに最後のGood-byeを言いたいはず。

何時頃来れる?ジェイを送らず待っているから。

電話口で私が聞いた。
すると一瞬の間をおいて

大丈夫、会わなくても。すぐ火葬場に送ってください。

彼女はそう言って、そして付け加えた。

会わなくていいの。元気なダディの姿だけを心に残しておきたいから。

彼女が娘のケイとやってきたのは、ジェイがストレッチャーで家を出て1時間ほどしてからのことである。

それ以来彼女ともケイとも会っていなかったのだ。

銀行マンである彼女の夫はジェイの亡くなった後、銀行関係の整理のために何度か書類をまとめに来てくれた。その時ジェイの遺灰の木箱に手を置いて

これは彼女が取りに来なくちゃいけないから今日は持って帰らないよ

そしてそのあともその木箱はずっとキッチンカウンターに置かれたままだったのである。


左がバモントに戻る予定の物 右は私も一緒に入る予定の物

サルサの味見をしながら、トマトソースを足す。
するとふいに出た涙で味が分からなくなってしまう。


だから

もし、私に遺灰をバモントへ持って行ってほしいなら、いつになるかわからないけれど、私が代わりに行ってもいいよ。

そうメールしたことがあった。

でも彼女からははっきりと

大丈夫、ちゃんと区切りをつけるために、自分で行くつもり。

そんなメッセージが戻ってきたのである。

そんな経緯を思い返していると
サルサを混ぜながら感情の波が押し寄せてきて
涙が止まらなくなった。

なぜって、自分でもわからない。

彼女が来れるようになったことがうれしくて?
ジェイがもうここにいないことがさみしくて?

ジェイと旅した時のあのバモントの空が悲しくて。

あるいは

生まれ育った
アメリカの大地に
ジェイが
戻れることが

ジェイの体が大地の悠久の時の中に組み込まれゆくことが

私の心をただ途方もなくさせたからかもしれない。

バモントの空は悲しくて
なぜあんなにも悲しげに見えたのか。

気が遠くなる悠久をそこに見たせいだと思う。

USA バモント ジェイがかつて住んでいた家の前からの展望 2017年

On our way! (今向かってます!)
約束の時間が近くなってメッセージが来た。

30分後ドライブウェイに車が滑り込むのが見える。
そして、もう小さな少女ではないケイとお父さんより大きくなった息子のDと一緒、そこにはちゃんと家族4人が勢ぞろいしていた。

私を見ると彼女は真っ先に走ってやってきた。

泣かないと決めて来たのよ。。。

そう彼女は言ったけど
でもついさっきまで泣いていたのだ
私と同じに

サングラスを取って涙をぬぐいそして

I missed you so much

私たちは抱き合った

しばらくは
声も出せなくて

ただただ
いまだかつてないくらい
強く
抱きしめ合った

サルサと果物、そしてフルーツティーも











日本とカナダの子供たちのために使いたいと思います。