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「自律した」働き方・生き方をしているか?autonomyについて考える

ある仏系企業に採用される際、仏人上司は、私に「autonomicalに働ける人を希望する」と言った。それまで、日本国内ではあるが、外資系企業のみの経験で、細かく指示を受けるのには逆に慣れていなかったから、「もちろんです」と答えた。

結局、働き始めてから、その上司とは馬が合わないことがわかった。私は、自分の望んでいた上司的サポートを彼からもらえず、彼は彼の望んでいたautonomicalな部下を持てずに、お互いに対し、いつも不満を抱えていた。

この仏人上司は、かなり気難しい性格だったので、30歳になりたて当時の私は、一方的に「彼がおかしい!」と思っていた。でも、今、20年後の私が振り返ると、基本的に彼に問題はあったものの、当時の私は真の意味で、「autonomy・自律」を理解してはいなかったから、彼のイラつきもわからないでもない。

そもそも、autonomy・自律ってなんだ?
オンライン辞書(Online Cambridge Dictionary 2024)によれば、以下の通り。

the right of an organization, country, or region to be independent and govern itself: 組織、国、地域が独立して自らを統治する権利。

the ability to make your own decisions without being controlled by anyone else: 他人に支配されることなく自分で決定を下す能力。

これを仕事に当てはめた時、自分判断で独立してやってくださいということなのだと思う。外部の雇われコンサルタントや自営業者を考えるとわかりやすいのかもしれない。内部の社員であって、上司もいるけど、上司は任した仕事を、私と一緒に行いたいわけではなく、任した私にほぼ完成形で、上司に出して欲しい、ということだったのだと思う。

30歳になりたて当時の私は、外資系企業で働いてはきたが、上司や同僚は日本人の方々であったことが多く、働き方は極めて日本的だった。常に上司や同僚に相談して進める方式を学んできた。

そうしなければ、逆に批判や注意を受けていただろう。日本文化では、人との関係性において、このautonomy・自律は、あまり良しとされない心構えだろう。自立を全面に出して仕事をしたら、たぶん、半人前が自惚れてる、自分勝手、自分善がり、人と歩調を合わせないとか、言われてしまいそう。

渡欧して仕事を始めて、私がまたも苦戦した理由の根底がこの「autonomy・自律」だった。

新しい仕事、会社、国、人々。社会・仕事の風習がわからない。上司、同僚、友人を含め、実に色々な人々に相談し、ぐるぐるしていた。何が正しくて、失礼にあたるのか全くわからなかった。結局、ちゃんとした解答は誰からも得られない。

同僚はいつもサポートしてくれたが、最初のスウェーデン人上司は、ほとんどサポートもしてくれなくて、全然良い評価をもらえなかった。当時は気づかなかったが、不安ばかり打ち明ける私を心もとなく思っていたのだと思う。

私が変わり始めたのは、北欧生活が数年過ぎ、会社のビジネスが混乱し始めた頃。最初の上司がいなくなり、突如、最も近かった同僚が私の上司になった。

会社の方向性が見えない、何を求められているのかわからない、上司が適切な指示をくれない、と文句を言っていられなくなった。だって、よく知るその同僚は私以外の仕事は知っていても、私の仕事はほとんどわからないんだから。

私のautonomy・自律が発動し始めた。

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追記:欧米では、autonomy・自律が行き過ぎている弊害がある。「silo・サイロ的」働き方である。これはまた別途。

追記:初めに話した仏人上司とは、本当に馬が合わなかった。その上司は弁が立つ人で、超威圧的なパワハラ上司だった。私が私たる所以は、威圧的態度に耐えきれないと感じた瞬間、無意識に、そばにあったゴミ箱を、彼に投げつけて、パワハラに対する抵抗をはっきりと表現したこと!

Image: 「明日の神話」 by 岡本太郎 @ 井の頭線渋谷駅

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