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イタリアでの一年間を振り返る。

前回の記事では、イタリア暮らしの一年間を「アナログさ」という言葉で締めくくってみました。

コロナ禍の制限、ウクライナ戦争、エネルギー高騰と、大変な世情の中で滞在することになりましたが…。今回はイタリアに一年間いる中で、より具体的に何を得て、どんな葛藤があったのか?をまとめてみます。

■ <得たこと> 「地理」や「都市」への好奇心が、飛躍的に増大

まず、ポジティブな面で。自分の人生でこれ以上になく、「地理」「都市」への興味が湧いたなと感じます。

大きなきっかけのひとつは、私が何度も通うことになったヴェネツィアですね。

海上に創られた都市構造で、歩き回っているだけでも非常に独特なのですが、「こんなすごい街を、イタリア人はどうやって作ってきたんだろうか」という素朴な疑問が芽生え。ヴェネツィア行きの電車に乗るたびに、現地の歴史や発展を描いた著作を読み耽りました。

例えば、ヴェネツィア史を著した塩野さんの本。潟の上に創られたユニークさだけでなく、共和制という政治制度を1,000年間も続けた点で、プラクティカルで商社マンのような性格が伝わってきます。

また実利性を重んじるため、宗教的にも寛容で、中世の早い段階で出版文化が栄えたり、ユダヤ人の居住区も生まれたりと。

他にも、聖都エルサレムへの観光ツアーをビジネス化したり、銀行での決済というキャッシュレスなイノベーションを生んだり。「都市」がまるでひとつの人格を秘めて、時々の困難にチャレンジするかのような発展史を紐解くことに、とにかくワクワクしました。

また「水の都市」という側面から、東京とヴェネツィアを比較研究した方の著作も。不思議なことに、イタリアの都市を歩けば歩くほど、日本の地理への好奇心が湧いてくるんですよね。なぜ日本は水がきれいで灌漑設備が整ってるのだろう、とか。

例えば、イタリアの多くの町では教区や広場で形成される中で、東京・山の手あたりは鉄道会社や財閥が大きな役割を果たしてきたなと。個人的に、さらに突き詰めてみたいテーマが格段に増えました。

ヨーロッパの諸都市を巡るおもしろさ

それから、多々ある欧州の都市を巡るのが楽しくなりました(ブラタモリ的な感覚、、)。「フランスはパリ」「イギリスはロンドン」と、国と首都くらいでしか見なかった世界地図が、「ローマの街道上に栄えた都市群」とか「中世ハンザ同盟に参加していた諸都市群」とか、立体的な視点で見れるようになり、新しい発見が楽しめます。

■ 鉄道の駅舎を改修し、地元民と観光客が混ざり合うスペースへ。【チェコ・プルゼニ州】
「ミツバチ」で街をデザイン。市民に誇りをもたらす、英国第二の都市・マンチェスター
■ イタリアの分散型ホテル。地方の宿場町を通して人が水平に集い、賑わうしくみ。【プーリア州・モノーポリ】

また、大陸ヨーロッパという土地柄、いろんな国・人種の人から話を聞ける点も刺激になったと思います。ブラジルのサンパウロで水インフラがどう成立してるかとか、ドイツのカッセルで5年に一度開催される国際美術展の取り組みとか。

人の流動性も高く。アイルランドのダブリンでキルギス人の友だちが修士課程をしていて呼ばれたり、ベルギーのブリュッセルでイタリア人の友だちが遊びに来てくれたり。異なる国や都市の常識に、定期的に触れ続ける環境はとても貴重だったと思います。

■ <気づいたこと> 理想どおりにはいかない

こちらはちょっとネガティブな側面で。元々イタリアへの憧れが強くてやって来たのですが、旅で訪れるのと住んでみるのとでは、大きな隔たりがあることを実感します。

・平常運転で3~4時間は待たされる郵便局。
・A4の紙一枚を印刷するためだけで、町中を巡って3時間かかる。
・バスのアプリで購入した10枚分のチケットが、謎の理由で即座に消失する。

特にイタリアに顕著ですが、カトリック的な風土が濃く残るゆえか、とにかくスローでアナログです。

ひとつの問題(A)が起きた途端に、その原因となるもうひとつの問題(B)があることが発覚し、さらにまた別の問題(C)が付随しては…と。

芋づる式に問題が生じるうち、「がんばって解決しよう」とする意気が失せては無力感に浸り、気がついたら夕陽の照らす広場でジェラートを食べ歩きして、何も解決せずに一日が終わる、なんてことはざらにあります。

しまいには、大学院のカリキュラムもほぼ崩壊することに。全て英語(English-taught)のプログラムという前提で動いていたはずが、プログラムを統括する総責任者の不手際でほとんどの教員を揃えることができず、英語での講義が学期中に一つの科目しか開講されなかったり。

創立800年間の歴史を誇る有数の大学で、世界大学ランキングでも250位圏以内には入っていたため、さすがに大丈夫だろうと見込んでいたら、自分の目論見が甘かったです。大いに反省しました…。

付属的に得たもの

余談ですが、数々の揉め事を経験して、法律への関心が増えました。日本だと比較的規則どおりに物事が進み、「暗黙の了解」とも言えるような、相互信頼の空気感で、今まで裁判沙汰に巻き込まれたこともなかったのですが…。

こちらでは平然とグレーな経営を行う人と遭遇します。例えば、住居の管理会社。床材の接着が緩すぎるあまり、できた隙間からアリの行列が夏の間に四六時中湧いてくる。不動産会社としての不備を訴えるも、「私たちには責任がなく、あなたたちがきちんと掃除しないことに問題があるはず」と。

果てには、「過失致死傷罪」で訴えられていた可能性がありました。誰も使っていない3階バルコニーの窓が古くて放置されていたら、とある日の深夜に風が強まった結果、壊れて破片が落下。フラットメイトのひとりが報告すると、「あなたたち住民がまともに管理していないせいだ」と全員が賠償を迫られる。

もし下に誰かがいて、被害に遭っていたら? ただベッドで横になってぐっすり眠っている間に、自身が使っても気にかけてもいない空間で起きた事故で、過失致傷の罪が発生し、大きく人生を狂わされたかもしれない。

私とフラットメイトの視点からすれば、施設の不備を承知で貸し付けた家主側に責任があります。ただし十分に反論できる証拠がないと、言い分が正確に伝わらず、罪を押し付けられていた可能性も多分にあります。

特に日本語も英語もあまり通じない環境の中で、深く身に染みさせられました。ナイーブな(同じ言語+ある程度常識が通じ合う)感覚が通じない第三者と渡り歩くためにも、客観性という規矩が集約された「法律」の言語に精通することは、ひとつの武器でもあるのだ、と改めて実感させられた体験です。

■<決めたこと> デジタルな己を活かす場へ。

数々の体験を経た上で意外にも実感したのは、自分はどちらかというと「デジタルで資本主義的でプロテスタント的」なのでは?という気づきでした。物事を0と1に細分化して効率よく情報処理し、スピーディーに達成していくことの喜びを味わうタイプ。

現代東京で生まれ、「高校へ行かなくてもいいか」と三年間独学を重ねていた自分の姿と、「教会へ必ずしも行かなくてもいい」と訴え、個人の聖書読解を重んじる活版印刷時代のプロテスタントとが、どこか被るような思いをし始めて。

「アナログで伝統保全的でカトリック的」な要素に惹かれるところはありつつも(まさしくイタリアに来た理由そのもの)。心の奥底では、より革新的に「過去の蓄積」よりも「現代の変動」を見据えた生き方をしたいと思うようになり。

新たに、ベルギーの地でDigital Media and Society (デジタルメディアと社会)という修士課程を始めることにしました。


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