私がスポーツビジネスの世界に飛び込んだ本当の理由 ~後編~
~スポーツビジネスに携わる中で大切にしていること~
今の私の仕事は、スポンサーから預かったお金をスポーツ界に還元し、その対価として、スポーツを駆使してスポンサーの企業活動に貢献することです。スポーツ界に貢献するアイディアはたくさんあるとは思いますが、スポンサーの企業活動を念頭に置いた、スポーツ界に貢献するアイディアはそんなにあるものではありません。 また、アイディアはあっても、お金がない場合も十分あります。私は、これらの課題やアイディアを、自分というフィルターを通してスポンサーと結び付けたり繋ぎ合わせたりしながら、新たな価値や仕組みを生み出していくことが自分のミッションだと思っています。
そして、その手段の一つとして、「舞台を創る」という仕事があると思っています。ここで言う舞台とは、選手が活躍する為の場所でもあり、観客が観る為の場所でもあり、我々裏方が整える場所でもあります。舞台は誰かの為ではなく、そこに関わる全ての人の為に存在し、関わっている人たち全員が全力で、互いに助け合い、最高の舞台を創るべく邁進するものです。選手は、ファンやサポートしてくれている関係者に対して最高のパフォーマンスで応え、観客は、選手が最高のパフォーマンスを発揮する為に最高の応援と雰囲気作りで呼応し、我々裏方は、会場の雰囲気を最高潮にする為に事前準備を滞りなく進める。何かが欠ければ途端にそのバランスは崩れ、魅力を失うことになるでしょうし、自分よがりの考えや行動は周りの批判を生み、歪んだ空気を生み出すでしょう。それらは全て、舞台の失敗を誘引するリスクでしかなく、排除されなければなりません。逆に言えば、舞台に関わる全ての人が同じ方向を向き、同じ目標と目的の元に正しい方向に全員の熱量を集めることができたならば、きっと誰もが観たいと思える最高の舞台になっているでしょうし、事業をサステナブルに続ける為の資金も十分に集められるはずです。
ちなみに、私の人生を変えたあの二試合も、誰かが妥協なく築き上げた最高の舞台のうちの一つだったと思います。そして、その舞台を通じて、人生が変わるほどの影響力を受けながら生き残った私は、私と同じように、一人でも多くの人の人生を変えるべくスポーツビジネスに携わり、語り草となるような最高の舞台を創っていくことが、生き永らえた私に課せられた新たな使命だと考えています。病床で体感したスポーツの価値や熱量を、あの興奮を、感動を、変化を、魂を込めたコトバで表現し、スポンサーを巻き込みながら理解者や支援者を増やしていくことで新たな舞台を創りだし、日本のスポーツ界をもっともっと良くしていきたいと考えています。
そういえば、先日、日本ブラインドサッカー協会事務局長の松崎さんが「市場を作る」というお言葉を使って記事を書かれていたのですが、私が考える「舞台を創る」という意味をビジネス用語に置き換えてよりわかりやすくまとめられているなと感じましたので、僭越ながら引用させて頂きます。興味のある方は是非ご一読ください。
~健常者と障がい者の狭間で揺れる非健常者にも、競技スポーツを楽しむ権利と機会を~
そしてもう一つ。自分の闘病体験をきっかけに、スポーツビジネスに携わる中で絶対に譲れない信念ができました。それは、健常者と障がい者の狭間で揺れる非健常者たちにも、競技スポーツを楽しむ権利と機会を創っていくことです。
私は、闘病生活を終え、一応、形上は健常者に戻りました。しかし、未だにヘモグロビンは10~11(男性の正常値は14~18)、血小板は6万を超えるか超えないかくらい(15万~45万が正常値で、5万を切ると血が止まらなくなると言われている)しかないので、健常者と同じ舞台で闘うことは現実的ではありません。大好きだったサッカーも、貧血と体力の衰えにより、23歳の時点で満足にプレーすることはできなくなりました。
それでも、私の闘病を知る人は、私の復帰を喜び、時には、「動けなくなったなぁ」と笑い飛ばされながら、一緒にサッカーをプレーする喜びを分かち合うことができました。余命半年と言われた頃からすれば、今ここで一緒にボールを蹴っていることがどれだけ奇跡的なことなのかを理解してくれているので、私も遠慮なく楽しむことができたのです。
しかし、何も知らない人といきなり同じチームになったりすると、事態は一変します。走れない、踏ん張れなくなった私のプレーは、傍目からすれば”サボっている”ようにしか見えないようで、「なんでそこでボールを追わないんだ」、「なぜ今ボディコンタクトをしなかったんだ」などと厳しい非難を浴びるようになりました。これは、競技志向の強いサッカーでは特に頻繁に起きていました。
一応、下手の横好きとは言え、幼稚園から大学まで体育会系のサッカー部に所属していたプライドがある為、正直、何度も「お前に言われたくねーわ。(怒)」と思いましたが、体を張ってプレーすることで自分の存在価値を示してきた自分にとって、フィールドに立っているだけでやっとの動けない自分は、間違いなく足手纏いです。そんな状況でフィールドに立っている自分が悪いということもわかっています。また、病気の説明をして動けないことを理解してもらおうと思っても、試合中には説明する時間はありません。だから私は、何を言われても、ただただ、黙って黙々とプレーすることにしていました。
でも、そんな環境でサッカーをプレーしても、楽しめるはずがありませんよね。そもそも自分の思う通りに動けないことがストレスな上、周りからも文句を言われては、自分の気持ちは収まるはずもありません。だから、闘病後は、プレーするたびにイライラが募るようになり、やがてサッカーがキライになっていったのです。こうして私は、次第にサッカーから距離を置くようになりました。
~競技スポーツは、夢と目標と”人生の生きがい”を与えてくれる~
本気でサッカーをプレーすることを諦めた私は、サッカー以外に本気になれる”競技スポーツ”を探しました。(私が競技スポーツにこだわる理由は、こちらの記事をご覧頂けるとお分かりになると思います。)
皆さんもご存じの通り、障がい者のスポーツの祭典といえば、パラリンピックがあります。2020年のパラリンピック東京には、世界160か国、4,300人以上の選手の出場が見込まれ、名実共に世界最高峰の舞台になるでしょう。私が退院した2005年頃は、今ほど注目が集まっていたわけではありませんが、車いすテニスの国枝慎吾選手などは既に有名で、私もこの舞台に立ちたいと思いました。しかし、パラリンピックは、競技毎に細かい”障がい者の基準”が設定されていて、その枠に収まらない場合は、出場することができません。色々調べていくと、そもそも、私のような”見た目的五体満足”な人間は、今の社会では障がい者の区分には分類されないことがわかってきました。
かといって、私のような非健常者が、健常者に混じってオリンピックを目指すことなど有り得ない話だというのは、皆さんもご理解頂けると思います。
では、私と同じような体験をされた方々には、どうしたら良いでしょうか。非健常者には、スポーツを楽しむ権利と機会は与えられないのでしょうか。
スポーツには、人々に夢を与え、その夢に向かって邁進する圧倒的なエネルギーを産み出す力があります。夢は目標を作り、目標は毎日の計画を作り出します。そして計画は、日々の暮らしに目的を与え、その目的は生活に張りをもたらし、その張りは、生きる上でのモチベーションを引き出し、人生をより一層豊かにします。
前述したように、私はフットゴルフに出会って、人生が大きく変わりました。同じ舞台で切磋琢磨し、同じレベルで物事を考えることができる新しい仲間ができたことで、フットゴルフでなら、遠慮なく本音でぶつかりあえるようになりましたし、一緒に夢を語らうことができるようになりました。非健常者の私が、健常者に混じって競技スポーツを全力で楽しみ、対等に話せたことで、闘病してから今までずっと否定されていたような気がした自分の自己肯定感を高めることもできました。今では、フットゴルフに関わることは、私の生きがいであり、ライフワークでもあります。だから私は、私と同じように、病気や不慮の事故で今まで通りに動けなくなった人たちにも、競技スポーツに触れて欲しいし、一緒に切磋琢磨していきたいのです。
ちなみに、 退院当時は、”がん患者の為の第三のオリンピック(がんリンピック)を創りたい”と思っていたのですが、今はもっと広義な意味で、”非健常者の為のスポーツの祭典を創りたい”と思っています。
障がい者の枠に収まらない非健常者の皆様と共に、大きなムーブメントを創り上げていきたいと考えています。
~私が広告業界を志した有名なキャッチコピー~
私が広告業界を志すきっかけにもなった有名なコピーがあります。
元々は、韓国で2000年頃に流行した「カシコギ」という白血病の息子とお父さんの実話を元にした小説で使われた名言で、病床時に誰かから聞いて感動したのですが、それがちょうど私が就職活動をしていた2006年初頭にAC(公共広告機構)で使用されたのを見て、広告の素晴らしさに気づいたのです。(カシコギについては以下の記事をご覧ください)
私は、命ある限り、この言葉を胸に日々努力し、スポーツビジネスを通じて、社会貢献する所存です。私の想いに賛同して頂ける方がいらっしゃいましたら、各SNSを通じて個別にご連絡頂けますと幸いです。
長くなりましたが、最後までご覧頂きありがとうございました。