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note初投稿!【鬱病、一流企業を短期離職】から復活した人事の自己紹介

皆様はじめまして!
今更ながら、noteをはじめてみたKazuと申します。

現在は、都内某ベンチャーで人事(中途採用担当)として勤務しており、
面接を通して月50~80名の方とお会いしたりしています。

趣味は筋トレで、かれこれ5年ほど続けています。
※減量はしたことありません。
「できなかったことができるようになる」事を実感しやすいということもあり、自分磨きの一つとして続けています。

今はとても幸せに暮らしており、仕事がめちゃくちゃ忙しいことも込みで、充実しています。

ですが、ここまでの道のりの中で少し苦しい事もあったので、自己紹介も兼ねて、お話したいと思います。


1.失敗にびびりまくる男子、生誕

1995年6月6日、北海道函館市で私は生まれました。

出産の直前に逆子になるなど、当時からクレイジーな要素を兼ね備えた子だったそうです。

お饅頭時代

そんな私はすくすくと育つわけですが、小学校になるにつれ、「習い事」に通うようになりました。
母の言われるがまま、ピアノなり塾なり言っていたわけですが・・・
その母がまあ怖い。

「出来ない」という事を基本的に許してくれませんでした。
手が出たり、家を追い出されるという事もしばしばありました。

そんな中で迎えた中学受験。
スパルタ教育の甲斐もあって、合格します。

その時の母の一言が、今でも印象に残っています。
「生きていて一番嬉しい出来事だった」

元々怒られるのが嫌で頑張っていた私ですが、このタイミングで「成果を出す事の重要性」を実感しました。

結果として、
「何としても成果を出さなければ、失敗は許されない」と思うようになりました。

ここに、失敗にびびりまくる男子、爆誕。

2.鬱病になるまで

その後は中学高校とサッカー部に所属し、高校ではキャプテンでした。
ですが結果振るわず、今でもやりきれなった思いがあります。

北の大地のサッカーコート、ここでプレーしてました


そんな思いを抱きながら入学した大学は、立教大学でした。
大学では、
「必ず何かをやり遂げて、成果を出す。」
事を心に決めていました。

そんな私が選んだのは、フットサル。
<参考>フットサルとは?

所属したチームは大学一の強さを誇り、関東圏でもある程度名の知れているチームでした。
練習は週4~5、それ以外は自主練するなど、スタイルとしては部活同等でした。

ですが、結果が伴わない。
チームは負けを重ね、雰囲気が悪くなりました。

そして、その矛先にいたのが私でした。
いわゆるハラスメントのような事が起こったのです。
ものを投げられる、どつかれるみたいな事もありました。

でも、結果を出したい自分。でも貢献できていない自分。
「戦えない俺が悪い」
そう思いながら耐えました。

結果、焦りが募り再度怪我をし、今でもその箇所は完治しません。
そのまま負のサイクルに巻き込まれ、鬱病になりました。

そして、そのチームを去る事になります。

3.世間体で選んだキャリア

チームを去った後、三か月フットサルを離れましたが、

「やっぱりやり切りたい」
「結果を出したい」

という想いから別のチームで復帰しました。

大事な一戦の直前、最後までフットサルに打ち込みました


話が長くなるので割愛しますが、ここでしっかり成果を出し、これまでの鬱憤を晴らす事になります。

引退後は留学やボランティアなど精力的に活動し、帰国後に就職活動を始めます。

就職活動の結果、私は大手IT企業へと就職します。
二年半勤務し、多くを経験した後、M&A仲介に転職します。
そして、二ヶ月後、退職し無職になります。


転職活動時代の証明写真、目隠してますがバキバキにきまってます


何が起こったのか?
結論、「自分の幸せの為にキャリアを選べていなかった」という事です。

ストレートに言うと、世間体を意識していました。

「人から良く見られたい」
「かっこいいと思われたい」
「あの人は優秀だと思われたい」

就職活動をしていた頃から、
「大手でキャリアアップすること、さらに有名企業に転職する事」
を目的としてしまっていました。

ですが実情は休日出勤しない日がない環境であり、160時間の残業が二ヶ月続きました。

「なんのために仕事をしているのか」

完全に目的を見失っていました。
そして、退職の決意し、一流企業から一転、無職になります。

4.今-幸せとは-

その後、すぐに転職活動を開始し、自分と向き合いました。

「なにしたいんだろう」

「仕事で向き合い事はなんだろう」

そこで最終的に行き着いたのが、鬱病の経験でした。
実は、就職活動時代において、鬱病の話を面接でした事がありませんでした。

「鬱病の話したら、内定なんてもらえないだろうな」
と思っていたのです。

本当は向き合いたい、自分にしかない経験だと思っていたもの、これと向き合い続け、自分なりにバリューが出せる仕事を探しました。

結果、ビジョンが一致する会社で人事をする事が自分にとって最良の選択であると考え、転職活動に挑み、現職で働く事になります。

ぶっちゃけ、お給料めちゃくちゃ下がりました。

でも、いくらお金があっても得られない充実感や、大きなやりがいを得ています。


今では意味もなく寿司握るくらい幸せです


5.これから

色んな事がありましたが、やっとの思いで転職と巡り会えたわけですが、今後については少しボヤっとしています。

人事をやっていると、組織の課題がかなり明白に見えてきます。
単純にいい人に入社してもらうだけではなく、幸せに働き続けてもらいながら、成果を出せる環境でなければいけません。

しかし、まだまだこれからの会社。
色々整っていません。

今まで所属していた企業では「当たり前」と思っていたものがない事もあります。

そのような課題が見えてくる度に、自身のビジョンが更に明確になったり、逆にぼやけたりします。

自分なりにビジョンを持って入社しましたが、まだまだ足りない要素が沢山ありそうです。

そんな未熟な私ですが、このnoteを通してこれから沢山の事を発信していきたいと思います!

是非、皆様にとってポジティブなものを提供できるように頑張っていきますので、温かく見守っていただけると嬉しいです。

では、今回の記事はこれにて終わりにしたいと思います。

次回の記事もお読みいただけると幸いです!では!

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