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評価・決めつけ・~すべきを手放す  ~いじめをなくそう(3)~

国家が「子どもを守る」を理念にしていると、「お互いをリスペクト」するのがあたりまえの社会になります。そうすると、相手の「ありのまま」つまり、価値・領域を認めて尊重するので、「ありのままの自分」を「これでいい」と思えるようになり、自己肯定感が高まります。それがいじめの減少につながります。
そのためにはとても大切なポイントがあります。それが「評価・決めつけ・~すべき」を手放すことです。「子どもを守る」を理念にしている社会であれば、少し頑張れば、手放すことができると思います。しかし現状の社会では、なかなか難しいのです。それは、「生産性の有無」が問われる社会ですから、どうしても「評価」が生まれます。結果、「お互いをリスペクト」することが難しくなってしまうのです。

1.十人十色=人それぞれ=1人1人の境界線(領域)

生産性の有無が問われる社会については以前の記事を参考にしてください。

人の個性は十人十色、考え方も様々、だから「多様性」を認めましょう、ということですが、しかし、生産性の有無を問う社会で、常に人は競争にさらされ、「評価」されているわけですから、「多様性」を認めるということは、「評価」の種類も基準もどこに置けばいいのか?ということで、対立や争いが生まれることになります。

だからこそ、「評価・決めつけ・~すべき」を手放して、対立や争いを減らさないといけませんが、社会の理念の大前提が「評価」ありきなので、簡単に手放すことができないのです。

なので、根本的な解決方法が、国家理念を「子どもを守る」社会にすることだというのは、以前書きました。

しかし、現状ではすぐにその社会にすることはできません。その間、指をくわえて見守っているわけにはいかないので、今の社会の中での対処法も必要です。

まずは、「境界線」です。「領域」「価値感」と言い換えてもいいのですが、今回の話では「自分の世界」という言い方のほうがわかりやすいかもしれません。

この「自分の世界」はすごく重要なので、常に人はこの「自分の世界」を守るために生きていると言っても過言ではありません。そしてこの「自分の世界」というのは、自分にとっては「とても心地よい安住の地」つまり、コンフォートゾーンと言えるものですから、その領域への侵入者・攻撃する者に対して警戒し、防衛しようとします。

で、この「自分の世界」が、みんな同じ中身であれば、難しくありませんが、人の個性は十人十色、考え方も様々ですから、警戒・防衛ラインも人それぞれ十人十色でさまざまです。しかもかなりの種類がありますから、すべてを把握することはできません。なので、知らず知らずのうちに警戒防衛ライン、つまり「境界線を越えて領域に侵入したりされたり」ということが起こります。これが人間関係のトラブルや「いじめ」などの一因というわけです。

自分は悪気はなかったのに、自分の言ったことで相手がすごく傷ついた
自分は何も悪いことしたつもりはないのに、相手にすごく怒られた
自分は当たり前だと思っていたことが、相手にとっては嫌なことだった

などは、典型例だと思います。

この「自分の世界」の境界線を越えて侵入されないためには、どういうときにこの境界線を踏み越えてしまうのかを知ることがポイントになります。

2.「評価・決めつけ・~すべき」は相手の境界線を踏み越えるときがある

「自分の世界」はとても心地よく、安心できる領域です。つまりそこには、自分自身が信じていること、正しいと思っていること、自信をつけたこと、気をつけていること、などがいっぱい詰まっています。

例えば、「私は赤い色が好き」という好みがあるとします。もし相手が、

「あなたはこれから好きな色を青にしなさい。」

と言ってきたとしたら、明らかに境界線を踏み越えて、自分の世界に侵入し、しかもめちゃくちゃにしているような言動です。一方的に相手に自分の価値観を押し付けているからです。これは「評価」の極端な例です。

あるいは、

「あなたは赤い服を着るより、青い服の方が似合うよ。」

と言われたとします。一見、やさしく「アドバイス」をしているかのように見えます。しかし、これも「赤が好き」という相手の世界に侵入して、青い服への変更を要求しているとも取れますから、場合によっては関係悪化のもととなります。なので、「アドバイス」は慎重であるに越したことはありません。「アドバイス」は「評価」の典型例でもあります。

ところが、同じ「青い服が似合うよ」と指摘するとしても言い方を変えるだけで、相手の境界線を侵入しなくても済みます。例えば、

「あなたの今日着ている赤い服ステキね。でも、私は青い服もすごく似合うと思うよ。」

という言い方なら、相手の領域(赤い服を好む)に侵入することなく、自分の考え(領域:青い服も似合うと思う)を伝えていることになり、対立の可能性がぐっと減ります。

これは、「お互いをリスペクト」している1つの例で、【アサーション】というコミュニケーション方法を使っていますが、このコミュニケーションが自然にできるようになる社会が「子どもを守る社会」だと思っています。ですが、今の社会でも、アサーションを意識してコミュニケーションすることで、かなり対立を防ぐことが可能になります。

3.「評価・決めつけ・~すべき」をする人

「私は一度引き受けたことは、必ずあきらめずに責任をもってやり遂げる」

という信念を持っているとします。そこに例えば、すごくいい加減でいったん始めたこともすぐ飽きてやめてしまうような人を目の当たりにすると、おそらく、

「あの人はいい加減な人」
「あの人は責任感のない人」
「あの人は打たれ弱い人」
「あの人はダメな人」

と、相手を「評価」してその評価のフィルターで「決めつけて」相手を常に見るようになります。

しかし、「飽きっぽくて始めたことをすぐやめてしまう」相手が、実は「柔軟性があって決断力があり行動が素早い」人である可能性もあります。つまり自分がしている相手に対する評価は、あくまでも「自分の世界」での話であって、その評価で相手に接すると、相手にとっては「境界線に侵入して相手の価値観を押し付けられている」と解釈される可能性があります。そうすると相手は自分を守るために「防衛」をしますから、場合によっては対立することになるかもしれません。「自分の正しさ」「自分の価値観」をいくら正論で主張しても、なかなか相手に理解してもらえないことがあるのは、このためです。

それから、相手を「評価」するということは、その評価をすることによって自分の世界を守っていることになります。つまり自分の世界の中にある「こうあるべき」という基準に従って相手を評価し、その基準に合う人であれば、自分の世界は守られて安心できますが、基準に合わないと、自分の世界に侵入されてしまう危険性があるので、「評価」をして相手に変化を強要したり、相手を避けたりして自分の世界を守ろうとするわけです。

ということは、相手を「評価」する人は、自分の世界への侵入を「怖れている」人ということになります。侵入されるのが「怖い」ということは、本当の意味での自信がない人なのです。「怖い」から「守る」。「守る」ために相手を「攻める」。なので、「評価」を手放すということは、「怖れ」を手放すということになり、逆に「安心」を手に入れることができるわけです。

そうすると、「いじめ」は、相手に対する「評価」が「自分(たち)の世界」を脅かすという「決めつけ」のもと、自分(たち)を守るために相手に対して「攻撃」「排除」をするということになります。その背景には、自分(たち)の世界が脅かされるかもしれないという「怖れ」が隠れています。だから「お互いをリスペクト」して「評価・怖れを手放す」と、いじめは減るというわけです。

4.相手が「評価」をしてきた場合はどうすればいいか?

自分は「評価」を手放すことができても、相手に「評価」され、「自分の世界」に侵入してきた場合はどうすればいいのでしょうか。

先ほど述べましたが、相手を「評価」する人は、自分の世界への侵入を「怖れている」人です。つまり目の前にある現状に「不安」を抱えているわけです。現状に「怖れ」を抱いているという心の悲鳴をあげているとも言えます。

1.相手の「評価」に対して、相手は「相手の世界」の中で悲鳴をあげている、ととらえる
※相手の「評価」を「攻撃」ではなく、相手の「怖れ」ととらえることで「自分の世界」を守ることができる。

2.相手の「評価」に対して、自身も「評価」で返さない
※「評価」を返すということは、相手の「評価」による自分の世界への侵入を許してしまうことになる。
※何の「評価」も下さず、受け流すことで、その評価は相手に「反射」する。

3.相手の「評価」に対して、安全な返し方で対処する
※「なるほどね。あなたはそう思うのね。」と返すと、自分の領域内に侵入させることなく相手の「評価」をはね返すことができる。
※【アサーション】「私は~という気持ちがするからこうしてほしい」を活用する。

4.相手を「安心」させる

実は、【4.相手を「安心」させる】が最も効果的です。しかし最も難しい対処法です。自分が冷静であるか、余裕のある状態であることが必要だからです。「いじめ」にあっている場合は、まさに相手の「評価」の洪水のなかでもがいている状態ですから、余裕のある状態であることはあり得ません。

ここまで、社会の構造の不具合を念頭に置きながら、心理学的手法で「いじめ」に対処する方法を書いてきました。しかし、心理学的手法だけでは限界があります。「いじめ」は「減らす」ことができても、「なくす」までにはなかなかむずかしいということです。

キーワードは「余裕」。つまり、「余裕」があれば「安心」できるということですから、いかに「余裕」のある状態を作るかということをテーマに、次回以降で書いていきます。

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