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(56) ”毒”の遺産

「尊厳」をとり戻して欲しい。
カウンセラーである私の皆さんへの願いである。

散々に”毒”をふりかけられ育った青年たちの、罪悪感・自己不信・ネガティブなどの負の遺産に出合うことが私には痛いのだ。彼・彼女たちは悲しいことだが自己の「尊厳」を失っている。「尊厳」は育てて貰わなければ持てるものではないのだ。決して生まれながらに在るものではない。

カウンセリングの大半の時間、親への恨み・辛みが語られる。私も人の親であるから、ひと言ひと言が痛く、他人事ではないのだ。その親からの”毒”の遺産から、彼らを解放する手助けが私の仕事である。すでに彼らは大人になっているのに・・・中には親が亡くなられているのに・・・。未だにその”毒”にコントロールされ続けているのだ。それはまるで”亡霊”につきまとわれているかのようだ。青年たちにおいては、親の期待や要求・指示・命令や、その為に背負わされた無実の罪悪感や自己否定感が、何年経っても消えないのである。

そんな青年たちの中には、若い頃からそのような親の過大な期待の”毒”から自分を解放しなくては・・・と感じていたり、実際に親と対決したことがあるかも知れない。私を訪ねた青年たちは、「親に私の人生をコントロールされたくなんかない。親の顔を見たくないほど嫌いだ」と、一様に口にする。

これは、今、その怒りが煽られたものである限り、未だに心をコントロールされている証拠なのだ。彼らは決まって、人生のあらゆる場面でエネルギーを失っている。それというのも、心の奥に溜まった”怒り”にエネルギーを奪われ過ぎているからなのだ。

そんな過去の”亡霊”を抱えて生きるのは、並大抵のことではないと思う。それを追い払うことは大切であるのだが、親と直接対決をするのなら、自分の心が”怒り”に支配されている間は避けるべきだと思う。”怒り”では決して追い払うことは出来ないからだ。世間ではよく、「自分の問題を他人のせいにするな」と、言われることがある。確かにそれはある意味正しい。だとするなら、今の私がこうであることを”毒”をまいた親のせいにするな、と言うことになる。しかし、ここで大きな壁に突き当たる。親の責任に出来ないこの問題は、それでは子どもの責任なのか?いやいや、「自分を守るすべを知らない子どもの頃に親からされたことは、子どもの責任ではない」に決まっているのだ。「幼い子どもに対して親がしたことの責任は親にある」は、その通りで正解だ。

ただ、問題はそれで解けていないから敵わない。
ひとつは、親の責任であることを証明出来たとして、彼らは救われ、心の傷が治癒するのか?そして、何もなかったかのように全て水に流して元気に生きられるのか?ということである。

ふたつは、”親””親であるという自覚”から、彼らの価値観から、必ず”子どもの為”にという思いで懸命だったことは事実であるのだ。ただ、やり方が下手だったり、子どもを値引いていたりで、工夫されたやり方ではなかっただろうが。”親”はまたその”親”からそうされてきた・・・という繋がりもある。”連鎖”なのだ。とすると、犯人は親の親、そのまた親ということになってしまい、責任の取りようがない。

私は、その”怒りの訴え”をひと言も聴き漏らさないよう腹を決めて、ただただ訴えを聴く。確かに共感すべき訴えの連続だ。それ程までに傷つき、罪悪感を抱き、自己不信に陥り、散々なまま今日までかろうじて命を紡いで来られたと思うと、クライアントと同じ様に彼らの”親”を恨んでしまいそうになる。しかしそこで恨んでしまうとしたら、カウンセラー失格である。我を取り戻すのに命懸けにならなければならない瞬間である。

私は、たったひとつを提案する。
「今のような訴えをあなたの子どもが”親”であるあなたに”怒り”を込めて訴えたとしたら、”親”であるあなたはどう応えますか?」と。
これは”空き椅子療法”と呼ばれる心理療法のうちのひとつだ。それのアレンジ型である。本来は椅子を二つ用意して、それが「あなたの椅子」と「親の椅子」である、という設定だ。「あなたの椅子」に座って、あなたの主張を空いている「親の椅子」に向かって訴える。次に「あなたの椅子」を離れて、向かいにある「親の椅子」に座り、あなたの訴えを受けて親になった
つもりで、空いた「あなたの椅子」に向かって主張する。これをくり返し、「自らの訴え」と「親の立場の主張」を頭の中で並列に並べる、という訳だ。

訴えたことによる”カタルシス”で少々楽になった頭の中の隙間に、「親の主張」が少し入ることによる”気づき”を得る目的である。”カタルシス””気づき”が鍵なのだ。(気づけるかどうかは”共感”の力による)

たったひとつの提案を、カウンセリング中に何回も何回も訴え事にすることになる。回数を重ねくり返すごとに、”怒り”は声・表情に表れていたものが、ほんの少しずつ穏やかになっていく。(クライアントにとって、「親の立場」についていろいろと気づきが生じていると思われる)私は救われた気持ちでそれを受け止める。ありがたい瞬間だ。それらは決して一年や二年で済まない。日々変化があるのだが、光はずっと向こうに微かに差しているに
過ぎない。道のりは長い。

「成長の過程で、子どもたちが自分の力ではコントロールできない家庭環境や、親の態度というものによって大きく影響され、それによってその後の人生が決定してしまう」ことを、指をくわえて見ている訳にはいかないのだ。

大人になった「あなたの人生」の責任者であるのはあなただ。その役割は、「自分の抱えた問題」に対して今すぐ建設的な対策を講じ、問題を解決する努力は必要なのだ。「なぜ、この私が苦労しなければならない!」と、不満はあると思う。しかし、あなたの人生の主役はあなた自身なのだ。

これから出発する旅は、新たな発見の旅となる。あなたは、その旅の途中「自分の人生を自分の意志を持って生きている」ことを実感するはずである。”行動する勇気”だけは必要である。少々痛くても、だ。

あなたの「尊厳」のほとんどを取り戻せるはずである。そう言いながらも、それらの作業では”大きな痛みと苦しみ”を味わうことになる。ただ、今までのように”毒の呪縛”に閉じ込められた人生で味わう苦しさに比べたら、先に希望があり、何よりも自身の「尊厳」を取り戻せるのなら、その代償は決して安くはないが納得がいくのではないだろうか。

たった一度きりの人生、その中でも一番大切なあなた自身の「尊厳を、”毒の呪縛”に閉じ込められたままコントロールされ、自由に思うように生きられないことは、辛くて苦しいことである。

深刻になることはない。
あなた自身の心の内なる声を聴き、思うがままに生きていいのだから、勇気を出して、「どうしたいのか?」自身に問いかけ、その答えのように”生きて”みることである。心配したことは、決して何も起きない。だから、大丈夫だ。たった一度のあなたの人生の主役は”あなた”だ。


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