加瀬野 洋二

場末のカウンセリング・ルームで心理臨床を生業とする老人である。そろそろ遺言を書かねばと…

加瀬野 洋二

場末のカウンセリング・ルームで心理臨床を生業とする老人である。そろそろ遺言を書かねばと、原稿用紙に 向き合う事にした。パソコンも操れない老人の為、心許せる方にこのnoteの管理を託した。

最近の記事

(114) ある模様の一部といかないか? 〜何故の流れを見きわめる〜

「ジャンジャンジャ~ン ドン・バシンバシン・ドンドンドン・チャ」 エレキギターにバスドラム・シンバルが突然予期せず鳴り響いたら、誰にとってもイライラの原因となり、ストレスを感じる。それが布袋寅泰さんのギターであり氷室京介さんの曲のエンディングであったとしてもである。その場合”BOOWY"という名バンドも意味を成さない。予期せず、突然なのならそんなものなのだ。 「もしもし、Sさんから電話いくはずだから、またよろしくね。今度はちょっと今までとは意味が全然違う気がして、何だか気味

    • (113) ”惨め”と”自己憐びん”

      「自分の殻に閉じこもっていますね」 「いいえ、私は人と比べてもオープンな方で、殻に閉じこもっているとは思いません」 「愚痴と溜息が多くありませんか?愚痴は誰でもが言いますし、出て来ても不思議でもないのですが、それに溜息を伴うとなると少し別ではないかと思いますが、いかがですか?」 「溜息がいけないのでしょうか?」 「いえいえ、単独で溜息なら何の問題もありませんよ。愚痴の後、深い溜息というのが大きな意味があると思います。無意識でしょうが、これ以上愚痴を並べては・・・と、思い止めた

      • (112) 自分軸で生きる

        自分の気持ち・考え方・意見を押し殺し、周りに合わせて生きた方が”安全”であり”得”なのではないかと決断されている方々が多い。 このことは、私にとっては衝撃であり、息が一瞬つまるような悲しい思いになる。 それらは、その方々の幼少時の環境、親の教育、人間関係などからの”刷り込み”や”心の傷”などから学んだ”処世訓”なのだろう。「自分を押し殺した方が”安全”であり”得”である」という思い込みからであろうと考えられる。 私は仕事柄クライアントをはじめ様々な方々にお会いする。半世

        • (111) 無心になれ

          やっと三歳になった孫のチビ坊が笑顔に満ちている。いつも嬉しそうで何よりなのだが、不思議である。姉である孫娘の七歳の誕生日ということで、孫娘からのリクエストもあり、大好物の手巻き寿司と茶碗蒸しを作った。料理は私の役目だ。 ママが巻いてくれたマグロの手巻きを、ペッと手の合図で拒否して、不器用な手つきで自分でマグロを巻き、口に押し込んだ。 「うまい!」 と叫び、オーバーなジェスチャーで喜んでいる。 こんなチビ坊の笑顔の数々は、孫娘が幼かった時には見せることが無かった記憶だ。孫娘は

        (114) ある模様の一部といかないか? 〜何故の流れを見きわめる〜

          (110) クセのある交流 ー ひどいもんだ

          「もしかして、これってこれからそうなっていくよなぁ。少しレベルが高くてクセの連続になって来たから・・・」 こんな様にいつもその予測は、間違いなく当たってしまうことになる。 『イソップ物語』の、「オオカミが来た」と嘘をついたばかりに、まさかの時に相手に信用されなくなってしまった少年の話である。このクセのある交流の様式もこれに似ている。 クライアントの中に、焦点のはっきりしない心身の多彩な故障を訴え、そればかりか、それらの症状に”こだわる”人たちがいる。”心気性的”とも考えら

          (110) クセのある交流 ー ひどいもんだ

          (109) ニセの感情 ー ラケット part2

          感情は一種のエネルギーである。 不当に抑え込まれると”質”を変えるか、その人それぞれの体質と結びつき、血圧をあげたり、胃液の分泌を乱したり、気管支痙攣をさせたりすることになる。不当に抑え込まれた「感情エネルギー」は自動積立のように積み立てられ、換金された時、”症状”として表れる。 いつ換金されるのか、当然人によって違いがあるから予測出来ない。長期のエネルギーの積み立てほど、爆発するとエネルギー量が大きい分、命に関わるような事件となることが多く報告されている。感情が不当に抑え

          (109) ニセの感情 ー ラケット part2

          (108) 幸せホルモン -セロトニン-

          「ホォー ホケキョ!」 つい先日まで「ホッ ホッ ケキョ」としか鳴けなかったのに、親鳥から教わったのだろう、上手に鳴けるようになりウグイスらしくなった。つい、こちらも「上手いぞ!上手い!」と、声を掛けることになる。 不思議だが、声は聴けども姿を見たことは未だかつて一度もない。ウグイスは用心深いのだろうか、決して人前に姿を現さない。 小鳥たちの役に立てばと、去年あたりに巣箱を数個置いた。そのおかげもあってか、今年の春は一段と小鳥の声がよく聴こえてくるようだ。その小鳥の声を聴

          (108) 幸せホルモン -セロトニン-

          (107) 視線恐怖

          目深に帽子をかぶり、いつも彼は面接に表れる。この仕事をしていて、その帽子の意味が良く分かるから、毎回なんだか切ない。 「キャップ、ナイキからアディダスに変えたんだ。気分転換なの?」 「いやぁ、帽子はいくつか持ってるんですよ。今日はアディダスですけど・・・」 「そうか。ところでこの頃電車の中で人目が気になる度合いはどうかな?」 「”アレ”のおかげだと思うのですが、以前よりずっと楽です。自分でもびっくりです」 彼はニ十歳。 中学で不登校となり、高校へも通わなかった。私の勧めも

          (107) 視線恐怖

          (106) ファンタジー / 「なりきり」

          負けそうになった時、困難に出くわしどうにもならない時、私たちは”何か”に「なりきり」、それらの力を借りて何とかしようとすることがある。妙に上手くいき、ここぞという時は何回もそれで難局を乗り越えたりするものだ。「なりきり」は強い味方となり、とても助かることがある。 人によって”何”に「なりきる」かそれぞれなのが面白い。アメリカではどうも「バットマン」が多いらしい。近頃、若い人たちの間で「大谷翔平」選手に「なりきる」というのが流行っているらしい。彼は確かに二度満票でMVPを受賞

          (106) ファンタジー / 「なりきり」

          (105) 砂漠にもペンギンがいる

          「今月はお金が足りなくて」流石に後輩からそう告げられて、黙って知らないふりも出来なくて、三千円を財布に残して一万円札をかっこよく差し出した。 「先輩、単位が違いますよ」と、ツッコまれた。車を買い替える為の頭金らしく、どうも単位が違ったらしい。こんなことはよくある。「お金が足りない」がどの程度なのか、その言葉では計りようがない。こちらとしては、こちらの基準から想像するしかないからだ。 ”言葉”というのは、厄介だ。受け手として、自分勝手に想像してドギマギしてしまう。定義がはっ

          (105) 砂漠にもペンギンがいる

          (104) ライフスタイル

          人は小学校卒業ぐらいまでに自分の「ライフスタイル」を身につけると言われている。「ライフスタイル」というのは様々な説明がなされているが、アドラー博士によると、”世界””人生””自分”についての”意味づけ”を「ライフスタイル」と定義している。つまり、自分のことを自分がどう見ているか(自己概念)、他者を含む世界をどう思っているか(世界像)、自分と世界について、どのような理想を描いているのか(自己理想)という”三つの信念”の体系が「ライフスタイル」ということになる。 このnoteに

          (104) ライフスタイル

          (103) 人間関係"2" ー 二つの視点

          すべての悩みは「人間関係の問題に帰結する」 アドラー心理学の根底に流れている概念である。 少しオーバーに思えるかもしれないが、考えてもみれば人間はその本質において”他者”の存在を前提としている。何を成すにしても”他者”から切り離して生きることは出来ないのだから、アドラー博士の言うように、悩みのほとんどは「人間関係」に関連していると思われる。 ”人とどう結ぶか?” これが人生の中で一番手が掛かって面倒だ。人は長年「その人」で生きて来た。その人の価値観・ものの見方・感じ方は「

          (103) 人間関係"2" ー 二つの視点

          (102) 捌く

          ステップを散々練習した。 学生時代にラグビーをやっていた時の話である。私は、このステップが性に合わなかった。右に行くと見せかけて、左にステップを切って抜けるというやり方が、性に合わないのだ。野球のピッチャーだったとしたら変化球は投げない。あれは騙し球だ。性に合わない。いつも直球勝負で生きている。 へそ曲がりで面倒くさい奴なのだ。 とは言いながらも、球を持った途端にタックルされるとなると、相手が巨漢だったりしたら捻挫か酷い打撲が関の山・・・痛い思いなどしたくないから、球が

          (102) 捌く

          (101) 人間関係

          ”自立”とは、”異う誰かと共に生きること” 私はその時のテーマにもよるのだが、講演の折余韻を残して終わりたくて最後にそう言うことがある。いつもは割れるような拍手?を頂くのだが、それで締め括った時はいつも拍手がまばらな気がする。 「・・・???」 確かに、これは突然言われたりしたら難しいのだ。世間で感じられている”自立”とは、思考の角度が大いに違うかも知れない。経済的に・・・、社会的に・・・、なんていうのが”自立”の相場だし、一応それで説明はつくし納得もいくのだから、それと

          (101) 人間関係

          (100) とりこし苦労

          「この先のことはどうなるかわからないのに、どうしてそんな心配をするの?」 「先生いつも言うよ、”先”をきっちり”読め”って。だから・・・」 まず、クライアントの半数位の方々とこんなやりとりが必ずある。その度ごとに「この先を心配する」ことがいかに無駄であるか、と、説明を繰り返すことになる。不思議なのは、同じクライアントに面接期間中、何度も繰り返し説明することになることだ。それほどまでに、誰にとっても「この先」のことはわからないにも関わらず、考えたら不安になるということなのだろ

          (100) とりこし苦労

          (99) 麻子 ー 終章

          煙草の煙を目で追いながら、麻子はこれでやっとふり出しに戻れると思った。部屋の照明は、少し哀しい時のそれで、窓際のスタンドのスモールランプだけが灯っていた。先程までの居酒屋の騒々しいひとコマひとコマが、麻子にとって掛け替えのない時に思えるのだった。上京した公太とのわずかな時間ではあったが、麻子にとっては深い藍色を湛える黒部湖を思い出させる貴重な時でもあったし、それ以上に公太との生活を決意する場でもあったのだった。何かを迷っていたわけではなかった。十分公太を愛しているし、公太の生

          (99) 麻子 ー 終章