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(137) 自己受容

今のところ尿酸値が高いぐらいで、その他病気と言えるものはない。とは言いながらも健康診断に行かないことにしているから、病気が隠れているのかも知れない。それと比べて、「精神的に健康」であるとは、どういうことを言うのだろうか?と、ふと思う。これが、なかなか難しい。でも、本来なら見えて来ないとクライアントをどう伴走するのか、が定まらないから困るのだけれど・・・。たかだか私の仕事など、クライアントの”主訴”という目立った”症状”に対処するぐらいのことで、結局、その人の「部分」と向き合うに過ぎないのだから、なかなかそれを考える余裕がないのが本音だ。その大きなテーマはいつもガ~ンと頭にのしかかっている。

「精神的に健康」であることのその第一は、「自分を受け入れる」ことに違いないと思う。これが、あれもこれも足りないと思ったのでは不足だらけになってしまう。それらに目がいくと、「これは良し、これは十分」と評価することが出来なくなるものだ。そんな不足に目がいくからには、きっと”誰か”とまた、”何か”と頭の中で比較をしてしまっているのだろう。その比較はほとんど無意識でやってしまうから、自覚はないものだ。その逆で、比較から優越感を感じたとしても、これも何かが変だ。何故なら、今回の比較で良かったものの、それ以上の”何か”と比べたらそれは劣等感を持たざるを得ないことになるかも知れない。

”誰か””何か”との比較で自分を位置づけすべきではない。それが証拠に、冷蔵庫と4Kテレビを誰だって比較したりしないはずだ。冷蔵庫とテレビは全く違うものだから、当然一線上に並べたりしない。出来ない。人はそれぞれ全く違う。冷蔵庫とテレビ以上に違い、並べて比較など出来ないものだ。比較するとしたら、何年か前の自分となら同一のものの変化であるから、興味深く観察してもいいと思う。他との比較なしに、今ある自分を見て見ることにしよう。弱点が山ほどある。ほんの少しだけど良い点もある。それが自分だ。もの足りないし、不満がある。「出来たら誰かと取り替えたい」と思うと、話がややこしくなる。大切なことは、この自分をどうやって”使いこなし”たらいいのか、ということだと思う。

ミケランジェロのダビデ像はよく知られている。あれは大理石を彫ったものだが、その素材であった大理石の巨大な塊には、大きな亀裂が入っていたと伝えられている。誰もそのような大理石を顧みることはなかった。しかし、ミケランジェロはその大理石の中にダビデを見出して取り出した。ミケランジェロが大理石の欠点である大きな亀裂に注目しなかったとしたら、決してダビデ像は生まれなかったに違いない。弱点であったはずの亀裂がむしろダビデ像を生かすものとなった・・・ミケランジェロの見方の鋭い角度に頭の下がる思いだ。

本来”教育”の機能というものは、「あなた達が子どもの時から、誰々のように立派になりなさい」ではなしに、「いつの時も君自身でいるように」助けるものなのだ。なのに、社会というのはこのような考え方とは大いに違って、育児や教育を通して、望ましいとされる人間像を押し付けてくる。誰か偉い人の真似を強いたり、「何かになる」ことを要求したりする。そこで語られ押し付けられる人間像は、”この私”とはかけ離れた虚構のものであり、そうなれない自分に劣等感を植え付けるものでしかない。存在する確かなものは、「今あるがままの自分」だけだ。その自分を好きにならなければ、スタートラインに立てないと思う。

しかし、その「ありのままの自分」でいることは、とても難しく困難ですらある。なぜなら、ありのままでは情けなくてダメであり、それを高尚なものに変えなければ、何ともならないと考えてしまっているからだ。そうではなくて、実際のありのままのあなたを見つめて、理解しようとするなら、その理解そのものの中にあなたの変容の始まりがある。この「理解」こそが「自己受容」の入口となる。

「暗くて消極的・・・人とあまり話しをすることも出来ないで、いつもひとりぼっち、そんなダメな私だから、何をやっても上手くいきません」
と、よくクライアントが泣いて語られる。
「【自分を変えなければ】をまず下ろしましょう」
と、私は訴える。
「こんな私なのに、変わることなしにどうしろとおっしゃるのですか!」
辛かったのだろう、私をやり込めるかのように主張される。
”自分”についての見方・捉え方を変えるんですよ」
と、私はクライアントの気持ちを拾う。
「そんなの無理ですよ」
「いやいや、あなたは暗いのではないですよ。とにかく人を傷つけることがないように、自分から何かをではなく、わかるまで待っているんですよ。その間、しゃべれないんですよ。人の気持ちをいつも考えている・・・そんな意味であなたは”優しい人”なんです」

勇気もいるし、見方の角度を変える必要はある。大変なことはよくわかる。
しかし、全ての始まりは「自分のありのまま」を受け入れることであるのは確かだ。決して容易に自身のことを決めつけないで欲しい。この世に二つとない唯一無二のあなたであり、誰かが替わることは出来ない貴い存在なのだから。


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