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大好きな祖父のこと

一か月ちょっと前、母方の祖父が亡くなった。八九歳だった。
私にとって、近しい人が亡くなるのは初めてだった。正直、近しい人が亡くなったらきっとお葬式でたくさん泣くんだろうな、と前から考えていたが、実際は思ったほど泣かなかった。意外だった。

祖父母は、横浜から京急線で少し行った先の駅の、丘の上に住んでいた。大工をしていた祖母の兄が、何十年も前に丘の上に建てた古い日本家屋で、古いけれど、頑丈な立派な家だった。私は祖父母の家が大好きだった。
春になると、小さな鳥が庭先に訪れて、チッチッチと鳴くんだよ、と行くたびに祖母が定位置の腰掛に座りながら教えてくれた。庭では、孫が生まれるたびに木を植えていた。私が生まれたときは、杏子の木を植えてくれた。小さな縁側もあり、十年ほど前まで祖父はそこでメダカを飼っていた。祖父母の家に遊びに行くたびに、私はメダカを見せてもらい、庭先に訪れる小鳥を眺めた。そして祖父と近所のコンビニへお菓子を買ってもらいに行くのがお決まりだった。お正月は必ず家族が集まり、お寿司と、祖父の得意なすき焼きを食べた。幸せな思い出ばかりがこもった家だった。

そんな温かな祖父母の家は、祖父が亡くなる少し前にすでに取り壊されることが決定していた。私の伯父が、土地が安くなってしまう前に売ったほうがいい、と言ったのだ。祖父母は家に強い想い入れがあり、かなり抵抗したそうだが、最終的には取り壊すことになった。そのため、祖父の死と家の引き渡しが重なり、母と伯母とで慌ただしく家の中にあるものの整理が始まった。

祖父の件でバタバタしていたこともあり、私は祖父母の家の取り壊しが決まってから一度も訪れることができないまま、家の鍵は業者に引き渡された。祖母は伯父・伯母の家の一室に住むことが決定しており、大切な家財道具はほとんどその一室に集められた。と言っても、しょせん一室、たいして荷物は持ってくることができなかった。先日、祖父の四十九日で伯父・伯母の家を訪れた際にちらっと祖母の部屋を覗いたが、私はとてつもない虚無感に襲われた。祖父が亡くなった今、祖父が大切にしていたもの、祖父が日々使っていた掃除道具や調理道具、日々の些細な、しかし祖父の日常がすべて詰まった道具たちが、ほとんどすべて消えてしまっていた。残った僅かなものは家の一室に収まる程度。人の終わりとはこんなにもあっけないものなのか、と思った。誰かが大切にしている日々の暮らしで使う様々なモノの大半は、その人が亡くなると単なる「不用品」として処分されてしまうのだという残酷な現実を突きつけられた気持ちだった。

では何が残るのか。私は祖父母の家から、玄関に飾ってあった絵画と、家に置かれていた観葉植物と、祖父の帽子を譲り受けた。いずれも大切に飾っている。でも、それらは単なるモノに過ぎないので、私が今後生きていく中で何らかの理由で手放すことだってあるかもしれない。たくさん考えたが、私の結論としては、何も残らない。祖父の愛用していた帽子も、祖父の着ていた背広も、趣味の旅行で撮ったたくさんの写真も、毎日コーヒーを淹れていたコーヒーカップと砂糖入れも、そして祖父自身も。すべては諸行無常なのだ。唯一残る「記憶」、私をはじめとする家族や友人たちの中に残る祖父の記憶も、私たちがみな亡くなったら消えてしまう。祖父だけではない、私たち誰しもが、いずれ持ち物から記憶まで、全て消えてしまうのだ。

消えてしまうと分かっても、いや、消えてしまう存在だからこそ、私はすべてを大切にしていきたい。人間はみな、儚い。自分の大切にしているものは、他人からしてみればがらくたかもしれない。それでも、それの「がらくた」は自分にとっては命に代えられないほど愛おしい存在かもしれない。『星の王子さま』には、有名な次の一節がある:

「たいせつなことは、目では見えない……」
「そうだね」
「花のことと似てるな。どこかの星に咲いてる一輪の花を愛していたら、夜空を見上げるのは、心のなごむことだよ。星という星ぜんぶに、花が咲いてるように見える」
――サン―=テクジュペリ『星の王子さま』より

本書の中で、王子さまは色々な星を旅して、たくさんの綺麗なバラを見るが、自分にとって唯一価値のある、大切なバラは自分の星に咲いている一輪のバラだけだと気づいた。周りの人にとって価値のないものは、ある人にとってかけがえのないものかもしれない。そして、そのかけがえのないものは必ずしも見えないかもしれない。見えなくて、その人がいなくなったらあとかたもなくなるかもしれない。でも、その人にとって大切なら、その人がいなくなるまで、大切にすればいい。

私は、祖父のことを忘れない。私が生きている限り、祖父のことは忘れない。祖父の笑顔も、声も、優しい目も、しわくちゃでごつごつした手も。私は祖父母の家を忘れない。小さな鳥の鳴き声も、タヌキと無我童子の置物も、祖父の淹れたコーヒーも、ちょっと怖かった二階の部屋も、旧式の寒いお風呂場も、駅から家まで行く急な坂も、途中でよく寄ったケーキ屋さんも。大好きな祖父と、祖父母二人での暮らしのすべてを。

私には、日々の生活の中で大切にしているものがたくさんある。子供、夫、両親、従妹、義家族、友人、大好きな『ピーター・パン』の原書、卒業旅行で行ったイギリス旅行で買ったスノードーム、プロポーズされた日にもらったシンプルなダイヤの指輪、汗水たらしながら書きあげた卒業論文、中高時代に撮ったプリクラ、海外の友達からもらった手紙……挙げたらきりがない。祖父との別れがあったように、それらすべてともいずれは別れることになるだろうし、私の大切にしていたものも、私がいなくなったら私の記憶も含めて全部跡形もなく消えてしまうかもしれない。それでも、自分が大切に思った人たちと、大切な思い出は、私がいつかいなくなってしまうその日まで、私の中で大切にしていきたい。

そんなことを考えさせられた。

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