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〆切です!!

今回のテーマは、スケジュール管理。
もう五十路なのにできたためしがありません。
余裕をもって原稿をあげられたことってめったになく、いつもギリギリのギリギリ。若い頃より無理がきかないのはわかっているので、早めにとりかかってはいるのに。告白すれば、「申し訳ありません、明日のお昼まで何とかお時間をくださいませ!」ということが、いまだに年に数回あります。はい、今回もです!! ぐわぁ。

思い起こせば社会人1年目の頃(30年近く前、おそろしい)。教育出版社で中学生向けの国語教材の編集担当となったのだが、仕事がまったくスケジュールどおり進まなかった。毎日必死でバタバタ走り回っていたが、なぜだか、いつもいつもやってもやっても仕事が終わらない。いつも優しく、物静かに仕事を教えてくれた一つ上の先輩は、ときどき思いつめた顔をして机を整理していた。福利厚生もしっかりしていて、環境的には恵まれた会社だったはずだが、職場にはいつも緊迫感があった。

その部署に配属されて1、2か月後に、所属長との面接があって「何か困っていることはないか」と聞かれた。社員が100人以上いる部署を束ねていたその人は30代後半で、今考えればずいぶん若かった。
「スケジュールが守れません」
22歳の私はべそをかいた(いい年をして恥ずかしいが、時効ということでお許しいただきたい……)。所属長は、こいつは困ったなあという感じで少し考えてから「命取られるわけじゃない」と言った。

私はまだ泣いていた。おいおいおい。でも、何か非常に安心した。
(そうか、命は取られないんだ!)
このとき、もちろん「そうか、命取られないんだから、スケジュールなんて守らなくていいんだ。ヒッヒッヒッ」と思ったわけじゃない。いやまて、1ミリくらい思ったのでは? だからこんなダメフリーランスができたのか? いやいやいや、思ってない。
その時は深く考えなかったが、この言葉には、仕事というものには「命の何割か」をかけるものだ、という意味が含まれていて、そのことを無意識に納得したような気がする。「一世一代の仕事」という言葉があるけれど、何割かけるかは、人によってもタイミングによっても違ってくると思う。
「スケジュール」は一つの仕事を共同で仕上げるための大切な約束事で、絶対におろそかにしてはいけない。しかも、約束事以前の問題として、そこに「命」的なものが入っているかが問題となる。フリーランスで次の仕事に呼ばれるかは、たぶんそこにかかっている。

好きで思い入れのある仕事ほど、ギリギリ度が高くなる気がする。一方で、個人的な思い入れを持ちすぎてもダメだな、とも思う。で、早めには取りかかるんだけど、やっぱりギリギリになる。あああ。

実用的に役立つ話にはちっともならなくてすみません。

以下は、唐突ですが「仕事と締め切り」に関するちょっとした本紹介。

「締め切り」で反射的に思い出すのが島本和彦先生のマンガ『燃えよペン』。私はこんな売れっ子マンガ家ほど忙しいわけじゃないけど、名言ぞろいで、なんとうか、いつも読むと変な元気が出る。
「あえて……寝るっ!!」と、「時間が人を左右するのではない…人が時間を左右するのだ!!」はよく思い出します。

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もうひとつ、英国の童話「小さな仕立屋さん」(エリナー・ファージョン『ムギと王さま』所収)。10分で読めるくらいの短いお話だ。

大きな仕立屋さんに雇われている「小さな仕立屋さん」ことロタは19歳。本当はデザインセンスも技術も国いちばんだけれど、自分でそのことに気づいていない。大きな仕立屋さんは、ロタが商売敵になることをおそれて、頼りにしつつ彼女のことを一切ほめない。
ボタモチ侯爵夫人(というんだから太っているんだろうな)が舞踏会の服を注文にみえた、モモ色のきぬでひだを十七段つけたいとおっしゃるんだけど、と大きな仕立屋さんがいうと、ロタは「スモモ色のビロードで、なんの飾りもないどっしりした型のほうがずっとお似合いになるでしょうに」と提案する。ひらひらのピンクのシフォンより、渋い赤紫のシンプルなベルベットの服、ということで、ふくよかな人にはなるほどその方が似合いそう。結果、その堂々たるスタイルは絶賛され、人々は「大きな仕立屋さんは、天才だわ」とほめそやす。

さて、大きな仕立屋さんは若い王さまのお妃候補であるヨーグルト公爵令嬢、キャラメル伯爵令嬢、プリン嬢のために、それぞれ「世界でいちばんすばらしい仮装舞踏服を」と注文を受ける。ロタはヨーグルト嬢は日の光に、キャラメル嬢は月の光に、プリン嬢はニジになればどんなにお美しいでしょう、と提案する。
「まあ、わたしの考えてたことを、おまえ、そのまま、口からとりだしてくれたみたいだね」「それじゃ、デザインして、裁って、縫っておしまい」と大きな仕立屋さんは言う(言うだけ)。
締め切りはそれぞれ、仮装舞踏会の開かれる火曜、水曜、木曜の夜。ロタは毎夜、すばらしい服を仕上げては、モデルとしてそれを着、黒い外套を羽織って御殿へ出かけ、令嬢たちに着こなし方を教える。そして、美しく装った令嬢を迎えて「大広間で嵐のような喝采がおこるのをききながら」店へ帰るのだ。

これは恋のお話でもあるのだが、主人公が王様と結婚したり、大きな店をもったり、というようなよくあるサクセスストーリーではない。ただ、主人公は一切の打算なく、人の幸せな時間のためにありったけの創造力と手足を使って仕事をし、その仕事が結局自分に帰ってきて、ささやかな幸せを得る。「大きな仕立て屋さん」は一見悪い人のようだが、この人のもとにいないと大口の仕事は来なかったと思われるので、エージェント的な存在として、ロタにはよかったのだろうな、とか考えたりする。

まとめちゃうと身も蓋もないので、興味をもたれた方はぜひご一読を。『ムギと王さま』は図書館の子どもコーナーにたいていある。

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「ロタは、そのつかれた小さい頭を、まっ白な布の上にかがみこませて、ぬって、ぬって、ぬいつづけました。」というところと、仕事を終えたロタが「若者の肩に頭をつけて、眠りました。」というところを読むと、いつもたいそう切なくなる。

ちなみに、ロタは舞踏会の1時間前までには必ず服を仕上げます。舞踏会後に舞踏服ができても何もならない。とにかくこれができないとプロじゃないですよね。ぐわーー!!!

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