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主人公として認められるために

 主人公に相応しいキャラクターには、条件がある。この条件を備えていなければ、そのキャラクターは主人公として認めてもらうことができない。つまり、主人公とは「なる」ものではなく「認められる」ものだ。だからあるキャラクターが「主人公である」と主張することはできるが、それが認められているかどうか、その役割に納得感があるかは、また別の話なのである。
 そのようなところ、キャラクターが主人公として認められるには、少なくとも以下の3つの条件が不可欠だ。

・人の話を聞く
・理性的判断を基礎とする
・未来を知らない

■人の話を聞く■

 主人公は、他のキャラクターから、情報を引き出さなければならない。物語に出てくる人々が何を考え、目的とし、どう行動するか。その考えに従ったらどうなるかなど、それらの情報を物語の読み手に提供する役割を持つ。読み手は、主人公を通して物語を見聞きするのであるから、主人公が誰の話も聞かずに1人で走っているだけの状態を、絶対に望まない。そのような、何を知ることもできないつまらない物語など、全く意味をなさない。
 ただし例外として、この「人の話を聞く」ことに「人」を、「事物」としても良い。即ち、主人公しか登場しないような物語において、過去の出来事であったり、その世界の景色であったり、料理の味であったり……そういったことが「情報」として知れるのなら、読み手は満足することもある。
 ともあれ、主人公は、物語世界から情報を引き出してくる役目を持つから、人の話を聞かず、自分だけの考えと行動、そして結果を示すようでは、主人公としては認められない。

■理性的判断を基礎とする■

 主人公は間違うものである。このような大層な役割を与えられていても、物語の中のキャラクターであるのだから、常に正しい道を歩めるはずはない。しかし、その判断が「理性的」と言える範囲を大きく逸脱する時──つまり、あまりにも感情的だったり、自分本位だったり、常識はずれであったり、因果を違えていたり、論理が成り立っていなかったり──それは、単なる「間違い」とはみなせなくなる。
 主人公は、物語の読み手の感情移入先でもある。そのために、主人公の行動は常に、読み手に寄り添われている。だから明らかにおかしい判断をする(自ら死に向かうとか、さっき言ったこととは真逆のことをするとか)場合に、そこに納得のいく理由付けが示されなければ、嫌悪感を抱かれることになるのだ。それは、他のキャラクターと比べて一層厳しい基準で運用されることになる。
 端的に「バカな主人公は嫌われる」というのはそういうことであり、明らかに守るであろうルールや、知っているであろう常識、踏み越えないはずの倫理観などを破壊してしまうような行動を取ると、主人公としては認められない。

■未来を知らない■

 未来とは、「物語の行末」のことである。こどのようなオチが待っているのか、次の展開は、事件のきっかけは、他のキャラクターたちの内心に抱える思いは……。
 聡明な主人公がいてもいい。未来予知の能力を持っていても、洞察力が異常に優れていても。しかし、物語のことは、主人公は分かってはいけない。それを知るのは、読者の特権である。物語の中のキャラクター達は、それを知ることを許されておらず、なお、主人公という物語の案内人こそ、厳格にそのような情報を、読者に示すことなどもっての外である。
 主人公は、半分は読者が物語を楽しむために、その役割を与えられているようなものである。ならば、主人公が未来を知ってしまうことは、読者が自らそれを知り、楽しむ機会を奪うことになる。だから、主人公はたとえ作中でどのようなすごい能力を持っていたとしても、物語については無知でなければならないのである。そうでなければ、そのキャラクターは主人公としては認められない。

 主人公とは、なるものではなく認められるものである。そのためには3つの条件、人の話を聞き、理性的判断をし、そして未来を知らないことが、少なくとも求められる。
 これらを満たすキャラクターは、大抵の場合は主人公として認められる。主人公は、物語にとってなくてはならない存在であるところ、ただのキャラクターにはない役割だ。そのために、備えていなければならない条件が存在するのは、当然のことであると言えよう。

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