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才能があっていいねという言葉を、あなたは理解できるのか

 少し思うのは、やはり才能なのだということ。
 世間では「最後は努力がもっていく」とか「努力はしたほうがいい」とかいう中で。それでも、最後に物事を決めるのは才能だということ。 

 まただ。
 私は夜中に目が覚めた。目の前にぼんやりと見慣れた天井が広がる。その向こうからゴソゴソと、できるだけ音を立てまいとしつつ、誰かが動き回っているのがわかる。
 隣の夫は熟睡しているようだった。私は起こさぬようにベッドから抜け出ると、今日こそは、あの音の主に注意をしようと廊下へ出た。
 私達夫婦の部屋の真上には、高校1年生の息子の部屋がある。音は確実に、そこからきていた。

 数年前に改築したばかりのこの家は、夫の父親の持ち物だった。一等地とは言えないものの、それなりに都心が近く便利で、結婚当初からいつか貰えないものかと夫に打診していたのだ。
 共働きの家庭には必要だと思ったのだ。夫はあまり乗り気ではなかったが、子供たちはどちらも賛成だった。思った通り家は通勤には便利で、加えて近所に住む人々との関係や、環境も悪くなかった。子供達は転校することなく引っ越せたし、新しい友達すらできたようだった。

 そんなふうにして数年。息子と娘は進学し、高校生と大学生になった。どちらも反抗期らしい反抗期もない良い子供達だと、親の贔屓目ながら思っている。特に娘は手がかからずトントンと都内の有名大学に通うようになったし、喫茶店でのアルバイトも長く続いているようだった。
 そうなると欲目が出てくるのが親心というもので、息子には少し背伸びして進学校へ通わせている。当初は不安だったが、学校でのことはなんでも話してくれるし、それによると、ストレスもイジメも授業について行けていないということもなく、とても順調そうだった。

 進学してしばらく、まだまだ様子を見なければならない時期だとは思いつつも、このまま息子も良い大人になって欲しい。
 「それが、こんな夜中になにやってるの……」
 二階への階段は、災害時の目印になる蛍光シールがあわく光っている。私はそれを頼りにして、ゆっくりと慎重にのぼっていった。
 その間にも、息子の部屋からはなにか物を動かしたり、歩き回ったりという音が聞こえてくる。二階の隣の部屋には娘もいるはずだが、アルバイトで疲れていて気づいていないのかも知れない。
 私も明日は、朝から用事があった。それは仕事という意味ではなく、もちろん出勤はするが普通よりも1時間早く会社へ行かなければならない。上司との定例的な面談があるためだが、元々気乗りのしない予定のため、休んでしまおうかとも考え始めていた。

 2階に上がると、すぐ、いつもと様子が違うと思った。まっすぐに伸びる廊下には左右に2部屋ずつ並んでいるが、その内、左側の2つが子供達の部屋だった。すぐ手前が娘の部屋で、奥が問題の息子の部屋。しかし、暗い中でよく目を凝らしてみると、娘の部屋のドアが開いている。
 私はそれをそっと覗こうとして――やめた。もう自立した娘にあまり干渉するのは母親として良くないことだ。会社では他に子共を持つ同僚とよく話をするが、どこも子供に過干渉で、トラブルになっている気がした。
 しかし、どういうわけか誰もそれをやめることはできないようで、度々同じことで家庭不和を抱えている。多分、生来の癖なのだろう。他人に干渉してしまう性質なのだ、私の周りにいる「親」というものは。私にとってそれは不思議なことだったが、その違いは、こういうときに踏みとどまれるかどうかなのだ。

 私は息子の部屋の扉の前で、聞き耳を立てた。確かに物音はここからしている。それから話し声も。
 「――もうちょっと削れない?」
 「でも動画時間10分がギリギリだと思うんだけど」
 「じゃあ別の短い企画くっつけて――」
 私は思わず息をのんだ。てっきり息子独りかと思っていたが、そうではない。話し相手は娘だった。部屋の扉が開いていたのはそういうわけだった。
 「じゃちょっと試し撮りしてみようよ、明日でいい? 姉ちゃん暇だっけ?」
 「いいよバイト休むし。ちゃんとシャワーある部屋だよね」
 「めっちゃ気にするよねそれ、大丈夫だけど」
 「だって前のレンタルルーム狭いし暑いし最悪だったじゃん」
私はしばし、2人の会話に聞き入っていた。ネットで流行っている踊りを踊ってみる動画の他、いくつかの企画をまとめ撮りする算段らしい。2人の相談がまとまり、娘が自分の部屋に戻ると言い出したところで、私は急いで階下へ降り、寝室へと戻った。

 滑り込むように布団へ入ると、息子と娘の会話がぐるぐる頭の中を駆け巡っていた。思わず夫を起こしそうになり、首を振った。やはり、明日は面談を休もうと思った。2人にそれとなく聞いてみるのだ。今ならまだ、やめさせる事ができる。
 それともこのことを、あの上司に相談してみるか――いや、彼女は家庭の事に興味がないのだ。ましてや他人の。仕事一筋で、同期の私を追い抜かしてあっという間にキャリアを積んだあの人に、家族のことなどわかるはずもない。
 私はともかくも明日の朝だ、と心に決め、少しでも眠るために目をつむった。冴えてしまい、寝つけたのは結局、空が白んできてからだったが。

 「やめろって、なんで? 最近けっこう伸びてきてるしもったいないよ」
 「伸びてきてる……?」
 「再生数。姉ちゃんもバイト減らして協力してくれてるし」
 「それは、一時的なものでしょう。今は若いからいいかもしれないけど、才能の世界だし、ずっと続けていくのは……」
 「頑張ればなんとかなるって、大丈夫、迷惑かけないからさ」
 「でも――」

 ――はっと目を開ける。隣に立つ会社員が迷惑そうにこちらを睨んでいた。私は慌てて頭を下げると、眉間を軽くもんで、寝不足の目を起こそうとした。
 結局、子供達との話は平行線だった。夫も、やりたいならやらせてあげれば、という立場だったし、折れなければならないのは私の方だった。それ以上は無理に話をすることもできず、私は面談があると言って、逃げるように出勤することにしたのだった。
 思わず、ため息が出る。
 動画投稿者という職業を否定しはしない。それは新しい時代の、新しい価値観だ。けれど、多くの場合、そういうものには理屈が通用せず、言ってしまえば運勝負のようなところがあると思っていた。
 人生は「才能」という越えることのできない壁があるのだ。まだ、良く定まってもいない未知のものは特にそれが大きい。私は母親として、家庭を持つものとして、そういうものに大切な子供を飛び込ませるわけにはいかなかった。
 「才能」で私の横を駆け抜けていった、かつての同期――今は、まさに面談相手として会う上司――に、話をするか再び迷い始めていた。彼女はもしかすると、才能でこの世を渡り歩く方法を知っているのかもしれない。
 私は恐る恐る、教えてもらって息子たちの動画チャンネルを開き、1つの動画を再生してみた。
 確かにそれなりの回数は見られているようで、コメントもついていた。それは娘に対するものが多く、全て読む気にはなれなかった。ただただ、ありがちな若い女性に対する賛辞が、そこには羅列されていた。

 私は途中で動画を止め、もうそれ以上は見られないと思った。
 面談のために頭を切り替えようとしたができない気がした。活き活きとした息子と、信じていた娘の別の表情が、動画につけられた「若い才能があふれてていいね」というコメントが頭を離れなかった。


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