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つい完璧を目指してしまう私達の心

 人はそう簡単に完璧主義を捨てられない。何か一度でも失敗すれば、それはもう全ての失敗を指すのである。
 たとえ他人の失敗だったとしても、そのことを見聞きするのは心にこたえる。まるで自分ごとのように。どんな種類の、誰の失敗であっても、失敗はとにかく私達に泥のように覆いかぶさってくる。

 このような息苦しさをなぜ感じなければならないのだろうか。
 私達に刻み込まれた完璧主義はどうして消え去ってくれないのか。

 それはひとえに、この人生が一度きりしかないからである。そして時間を巻き戻すこともできない。絶対的な「過去から未来へ」の流れの中を逆らわずに生きていかねばならないからである。
 だから後悔のないように生きようと、人は完璧を求める。それは仕方のないことであり、止めようとしても無理である。
 それは完璧なものがないというわけではない。そうではなく私達が「完璧だ」と思うこと、満足することがそもそもないのである。
 そんな、常に上を目指す上昇的な完璧主義は私達の心に負荷をかけ、プレッシャーになる。だからそれによって私達は苦しい思いをすることがあるのだ。そう考えると、完璧を求めてしまう人間の性は、なんだか自らを苦しめているかのようである。

 だが、完璧主義は人にとって不必要なものではない。それは達成するためのものではなく、「目指すためのもの」だからだ。完璧主義とはあくまでもシンボルであり、それがあることによって私達は理想を捨てずに前に進むことができる。
 時として、その理想自体が苦しみの原因になることもあるが、それは私達が完璧さを達成しようと躍起になるからである。

 完璧なことというのは、あくまでも目の前に掲げられているシンボルだ。そのように思うことで、捨てられない完璧主義と適度な距離感でやってきくことができるようになる。

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