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どうして「連続」を信じることができるのか?

 この世に連続などないということを知ることが、生きる上で1つ、役立つ。この現実には目に見えるもの見えないもの様々あるが、それらはどれだけ繋がっているように思えても、しかし、そこに連続などはない。
 連続がまやかしだというわけではなく、ただ、それは人の作り出した概念、ものの見方であって、本当に繋がっていることを信じてしまうほどには、それは強固ではないことを知るべきである。

 なぜなら、人間とは今を生きる存在であり、未来に存在しているわけではないからである。そして連続とは未来のことだ。未来へ向かって、何かが引き続いていく予定を表す。それは「今」の生き物である人には普通、わかるものではない。
 あくまで予想しかできない未来の出来事を、さも確定したかのように語ったり思い込んだりする時、私達は「連続」に取り込まれている。不確定な連続が必ず起こると信じて自らの「未来」を決めてしまう危うさに、気づかない。

 もし、連続にとらわれてしまうなら、本当に連続はあるのかと振り返ってみるべきだ。自らの信じる連続が期待通りあるのか。もしあるのなら、どのくらいなのか。そういうことを考えてみてはじめて、連続とは真の姿を見せる。
 必ずあるのだと高を括るのではなく、その見えない未来に対して、私達は「連続」という疑うべき事象を全うに、フラットに疑いながら「今」を生きるべきなのである。

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