「わかりやすく」はわかりにくい
私達はどこまでいっても他人である。つまり、そこには様々な考え方や価値観や優先順位や感じ方がある。常識も違う。それどころかそもそも、ある人が見えているものが、別の人には見えないということすらある。認識が違うということは、この世界が全く別のものになっているということと同じだからだ。
そうすると、私達はどうしたってわかり合えないことになる。というよりわかろうとすることが、そもそもできないのだ。なぜなら全ては「他」だからだ。究極的には、私達はきちんとわかり合った経験などないと言える。
わかり合ったと思い込んでいるだけだ。誰もがそれぞれを他者と認識している以上、そこにわかり合いはない。
そのため、誰かのために「わかりやすくする」ということは、私達にとってすごくわかりにくいことであると言える。わかりやすく。自分以外のことを、そして自分のことですらわかったことがないのに、わかりやすくとはどうするのか、わかるはずがない。
それでも私達は、わかりやすさのために努力する。そのノウハウはある。多くの人が経験した「わかりやすいの法則」や、その成功と失敗は大切なものだ。でも、それをもって私達がわかりやすさを手に入れつつあるとは思えない。
根本として私達はわかり合えない。そうあったことはほとんどない。けれどわかりやすさを追求しようとしていて、その経験はあるのだ。だから勘違いしてしまう。わかりやすくとは、そうできるものなのだと。存外簡単なのだと。
だがそうではない。私達にとって、わかりやすいことはわかりにくい。それを扱おうとすることは、そうそう簡単ではない。
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