見出し画像

面白いストーリーは、絶望して、絶望する

 絶望から復活する主人公というのはストーリーとして面白い。どうやって?どこまで?なぜ?その先にはどんな景色があるのか?復活とは希望である。輝かしい未来と勝利を期待できるし、それまで散々痛めつけられていた主人公が逆転するところを見られるのは、単純にスカッとする。だから「絶望からの復活」は古今東西多くの物語に取り入れられている。
 しかし絶望とは、ストーリーが面白くなる序章に過ぎない。確かに絶望からの復活は良いものだ。手に入れられないかと思いきや、仕合わせはは主人公にこそ贈られるに相応しいことがんかるから。
 でも違う。もっとすごいものがあるのだ。絶望からの復活をさらに活かして、よりストーリーの面白さを引き立たせるやり方が。

 すなわち、絶望からの絶望である。泣きっ面に蜂。踏んだり蹴ったり。弱り目に祟り目。ワンツーパンチ。
 つまり主人公が絶望の淵に落とされ、恐ろしく理不尽な目に遭う。この期に及んでもはや抗う術はない。ボロボロの主人公がひとり、何もできずに立ち尽くす。さあここから、いったいどうなってしまうのか――更なる地獄が襲いかかるのだ。抵抗などできようもないのに、しっかりと、念には念を入れ、主人公は踏み潰される。再起不能。誰もがわかる敗北、無惨、悲壮、死……。
 絶望からの絶望は、このように主人公をこれでもかと締め上げる。あり得ないくらいに。そんなにやって、いったいなんの恨みがあるのかというくらいに。
 だが、絶望からの絶望からの復活は、とんでもなく面白いのだ。ストーリーとして魅力的である。追い詰められ、後がないどころではなく何かできることは1つとしてない。そんな主人公が、しかし奇跡の一手で逆転し復活を果たす。
 そういうストーリーこそが、本当に楽しい。スカッとするというレベルをこえて、もはや気持ちがいい。絶望は1つよりも2つが効果的なのだ。それが主人公の上に重なって、しっかりと押しつぶすことで、それをはねのけた時のカタルシスが何倍にもなる。

 なぜなら、これは明確に、心を動かされるからである。1つの絶望では足りず、2つ重なるからこそ。
 要するに、せっかくストーリーを楽しむのなら、ありえないものを見たいというのが心理である。そして私達は、ストーリーがフィクションだともちろん自覚している。だから結局、高をくくっている。どうせ主人公は助かるのだと。なめている。油断している。なので、それを打ち砕かれた時、心を大きく揺さぶられ、真に主人公に助かってほしいと願うようになる。
 それが、主人公に2度襲いかかる絶望の効果というわけだ。絶望から復活する主人公はストーリーとして面白い。ならば絶望の絶望から復活する主人公は、もっともっと、ストーリーとして面白いに決まっている。

※このテーマに関する、ご意見・ご感想はなんなりとどうぞ
 


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?