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愛に飢えた世界に丁寧に

 私達は愛に飢えているので、愛を得るために色々なことを行います。その行動は基本的には男女の色恋に関係することと、コミュニティでの承認に関係しています。それらは「他者と上手くやっていく」ということに対して、私達を前向きにさせてくれますが、一方で常にその衝動に苛まれることを、煩わしくも思わせます。

 だから私達は、愛されたいがゆえに攻撃手kになることがしばしばあるでしょう。しばしばというのはむしろ少ない方で、いつも、私達は愛がために怒り、他者を傷つけようとし、そしてそのせいで自分をも傷つけます。つまり愛というのはとても不思議なものだということです。
 それは正反対の感情にかかわり、つまり誰かと近づきたいという欲求と、それから誰かを遠ざけようとする欲求です。これらは、正反対でありながら根本は「愛」ですから、本質的に同じものだということができます。しかもこの欲求は同時にわき起こることでしょう。
 のみならず、普通に考えつくのは、ある対象を愛したいがために近づき、そしてそのライバルを蹴落とすために遠ざけようとすることですが、そればかりとは限らないところが、愛の複雑さを示しています。
 要するに愛は、誰かを愛し、そして憎むことがあるということが、最も不可思議な性質の1つとされるのです。

 もちろん、愛した後に、愛が冷めたから憎むということは普通です。ですが同じくらい頻繁に、愛しながらも憎むということが起こり得る。奇妙な愛の作用と言えるでしょう。
 だから、私達が愛に飢えているということは、他者と仲良くなりたいという欲求と、他者を傷つけてしまいたいという欲求を抱えていることの証左として考えられることとなります。
 愛はとてもわがままです。というよりも、愛はそんなわがままな私達の本性を暴露するために存在するようなものと言えるでしょう。それは私達にとって最大の生きる問題であり、生命の課題であり、誰にとっても無視できない非常に難儀する感情なのです。

 くれぐれも、愛を、何か単一的な性質を持つものと捉えないであげてください。そして単に「愛は複雑だ」と諦めないでください。適当な愛への理解は悲劇をより大きくします。
 そうではなく、私達はこの矛盾する2つの方向性を同時に持つ、私達自身の愛という感情を、ちゃんとその胸に抱きとめて、いつでも理解できるようにしておかなければなりません。

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