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無駄を省くという当たり前は、当たり前なのか考える

 人は無駄を省こうとする。そうでなくとも、できるだけ無駄はなくそうとするはずだ。無駄だとわかっていてそれを放っておくことは良くないことだと教えられる。無駄はない方がいいし、そのことに反対する人はいない。自分が率先して無駄を省くかは別にして。
 ここで問題が発生する。それは人によって無駄は違うということだ。自分ではない他人が無駄を決めることがある。だから無駄はいつでも無駄ではない。でも、それは無駄だとされてしまう。当然のように省かれるものでありながら、その基準はそれぞれの心に委ねられている。

 つまり無駄とは無駄ではない。しかし人は無駄を省こうとしてしまう。ある種、癖のように。無駄と聞くだけで、それはない方がいいものと捉えるようになっている。
 それほどまでに必要ないと考えられているのに、その正体は人によって違うのだ。本当は、無駄を目の前にした時こそ、私達は慎重にならなければならない。それがなぜ無駄なのか、誰にとってそうなのか、どうして省く必要があるのか。

 無駄を無駄としているその他のことに自覚的でなければ、私達は無駄を見誤る。そして無駄でないものも見誤る。人生と、生きていくことの意味を間違えてしまう。無駄とはなんなのか。その存在の理由を、そして私達自身が無駄に抱くイメージを、当たり前のものとだけ捉えて、よく考えないのはまさに無駄である。

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