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ステラの事件簿①《電子証明書、偽りと成る・壱》

 大人の方が子供より偉い。けれどそれは、大人が大人である時だけだ。世の中には沢山の種類の人間がいて、大人がいて、子供がいる。だからその中には、「大人でない大人」なんていうのがいることも、全く珍しくない。

 欧林功学園に通う男子学生の体操着が盗まれた事件――その犯人は未だ捕まらず、学園はセキュリティを強化するという形で、関係者からの非難に応えざるを得なかった。学園に通う1人学生、星にとってみても、わざわざセキュリティカードなどを持たされたり、警備員に挨拶せねばならなくなったり、警察が出入りしたりと、生活に不便を感じるくらいの影響はあったのだ。「ごめんなさい……ごめんなさい……」
 だから、自宅のリビングで謝罪を繰り返す女性に、100%の同情はできなかった。彼女は犯人ではないらしい。けれど、どうやらその手助けをしてしまったことは、ここまで話をしてわかったことだった。

 星は、目の前の床に正座して謝り続ける女性教師――宝城愛未――を見下ろしていた。それは自分への悲観なのか、悔しさか、情けなさか。愛未は誰よりも生徒のために親身な教師だというのは星もよくわかっていた。いつも頼りになる愛未先生。友達のいない星でも、彼女が多くの学生に好かれ、憧れられていたことを知っていた。
 そういう意味では、いたたまれない気持ちにはなっていた。まるで彼女が泣けばそうするほど、この女性教師の中から使命感がこぼれ落ちていくように、星には感じたのである。
「――もう何回も聞きましたから。それに僕に謝ったって意味ないでしょう」
「でも……」
「……もう一度確認しますけど、先生はそのスポーツバッグを、体育館に置き忘れたんですよね」
 星は話を前に進めることにした。そのための確認だ。彼はリビングの扉の横に置いてある、チャックの閉められた大きなバッグを示す。そこに、男子学生の体操服が大量に詰め込まれているのだ。しかも上下しっかり。
「うん……本当は教職員用のロッカーに入れとかなきゃいけないのにね……先生、失格だよね」
 愛未は自嘲気味につぶやく。本当にこれは、あの愛未先生だろうか、と星は思った。学園ではあんなに元気があり、学生の悩みを聞き、励まし、元気づけていたのに。
「失格かどうかは学年主任か教頭先生にでも聞いてください。ともかく……先生が翌朝慌てて取りに行ったら、体育館にバッグはなかった」
 愛未先生はうなだれたように頷く。ここまでは星もさっき聞いていた。途中で自宅についたので話が中断していたのだが……。
「他の先生に聞こうと思ったんだけど、ちょうどそのとき、カウンセリング室の話が持ち上がってて」
 それからポツポツと、彼女は話を始めた。事件があったのはひと月以上前のことだから、暗がりでパズルを組み立てているかのように、確かめながら、思い出しながらの話だった。

 愛未の話によれば、当時悩んでいた彼女のもとに舞い込んできたのは、「カウンセリング室の顧問になってほしい」という校長からの要望だった。彼女の、学生達との関係値を鑑みての抜擢だったと聞かされたが、そのことにより、彼女はスポーツバッグのことを相談するタイミングを失ってしまったのだ。
 そうして、およそ半月が過ぎたころ、体操着が大量に盗まれる事件が発生した。愛未はその被害学生の対応に追われるなどし、ある夜、戸締りを確認しに行った体育館にて、失くしたはずのバッグを発見した。そこには大量の体操着が入っており、彼女は戦慄したと言う。
「そのときは私、動揺しちゃって……」
 とっさに自分のロッカーに隠したのだ、とうなだれながら告白した愛未。しかし、星はそこで疑問に思った。
「でも、他の先生に言ったりしなかったんですか?」
「それは……」
 おずおずと、愛未は胸ポケットから1枚の紙を取り出した。元はノートの切れ端か何かだったのだろうが、何度も読み直したのかよれてしわくちゃになっている。星は怪訝な気持ちでその折りたたまれた紙を開いた。
「学生想いの宝城愛未先生へ……」
 わざと利き手と逆の手で書いたかのような、読みにくい文字が目に飛び込んでくる。まったく人に読ませる気がない。だが、その文字の上に、赤いボールペンで、小さく丁寧な字のふりがなが振られていたため、星はその手紙を読み進めることができた。
「……これ、愛未先生が?」
「う、うん……合ってるか、わからないけど」
 ともあれ、その嫌がらせ100%と言いたくなるメッセージを読み進めていくと、星にもことの次第が段々とつかめてきた。
「――脅迫ですよね、これ」
「そう思う」
 愛未ははっきりと頷く。徐々に、彼女らしさが取り戻されてきたと星は思った。秘密を打ち明けることができて落ち着けたからだろうか。まだ、涙の跡が奇抜な化粧のように、彼女の頬に残ってはいるが。
 手紙の内容は、おおよそ、宝城愛未という人物の学生への対応を遠回しに称賛するものだった。だが、その言葉尻には恨みがにじみ出ており、締めくくりには、窃盗犯として逮捕されたくなければ、期日までこの ”荷物” を持っていろ、と書かれてあった。
「こんな言うこと聞く必要あるんですか、先生が盗んだ証拠もないのに――」
「あるのよ」
「え?」
「あるの、証拠」
 愛未は力強く言う。星は混乱した。これは犯罪告白か? 新手の自作自演だろうか。というかそうだとしても、今、星に言う意味がわからない。
「ええと……じゃあ僕、110番しますね……」
「あっ、そうじゃない、違うの! バッグに入ってたのは手紙だけじゃなくて……あの、ブルーレイ再生できる?」
「できますけど」
 星は、愛未に肩を揺すられながら答えた。激しい。また涙の教師になりそうな彼女をどうにかなだめ、星はリビングのテレビで、彼女から渡されたブルーレイディスクを再生した。
 ――そこには、ロッカーの並ぶ男子更衣室にて、体操着を黙々とバッグに詰める女性の姿があった。監視カメラの映像なのか、天井辺りからの撮影で、時折ノイズが走る。不意に、その女性がカメラの方を向き――
「――先生、ですね」
「そうなのよ……」
「じゃあ、通報を――」
「――待って!!!」

「……まさかの、ディープフェイクかぁ……」
星は、塾までの道すがら、街灯りに向かって呟いた。スマホの画面から顔を上げる。住宅地からあと数分歩けば大通りに出る。車通りの多い場所で、ながら歩きは自殺行為だ。
 愛未先生とは、自宅で別れた。星がこれから塾があるからと、話の打ち切りを伝えると、捨て犬のような目でウルウルしながらも、「仕方ないよね、うん、そうだよね……」と、スポーツバッグを肩に、とぼとぼと帰っていった。
 正直、星は愛未先生の狂言の可能性も捨ててはいなかったが、普段の人柄を信じたかった。先生には、友達のいない自分を随分気にかけてもらっているとも思っている。そんな人が、突然、学園中の男子生徒の体操着を、スポーツバッグに詰めるなんてことは考えにくい。
「急いで帰ったほうがいいって、一応は言ったけど、大丈夫かな」
 なにしろ相手が相手だ。ネットで調べてみたところ、あの監視カメラの映像らしきものはディープフェイクで間違いなさそうだ。映像を加工することで、いもしない人や、やってもいないことを、まるで実際に撮ったかのようにしてしまうもの。技術的なことはわからないが、まだまだ発展途上のものらしく、特有のノイズや、若干の色の崩れなどがあるとのことだった。
 どちらにせよ、そんな技術を一介の教師に使ってくるような犯人なのだ。愛未先生を信じれば、だが。つまりその魔の手は、星にも迫ってくる可能性がある。
「……まあ、欧林功学園の学生をいきなりどうこうっていうのはないと思うけど」
 星は自分の身分が、自分を守ってくれていることを自覚していた。この街で欧林功と言えば、その制服を知らない人はいないし、セキュリティカードにはGPSがついている。定期券にはアラート機能もあるし、ぶっちゃけて言えば、星は常に監視されているようなものだ。そのような学生を、おいそれと誘拐したり、監禁したり、殺したりというのは、まあ、ないはずだ。
「……そういうのを改ざんできるとかだったらお手上げだけど」
 街に入った。
 星は嫌な考えを振り払うかのように、とりあえず、今日の塾でやることを復習しようとテキストを鞄から引っ張り出した。バス停が見えてくる。ここから塾の最寄りまではバスだ。ひとまず、今日は今日のやることに集中しよう。
「明日、IT部に話を聞きにいかないとダメかもな……あと、映像研究会とか」
 星には友達がいない。それはコミュニケーションが下手だからだ。けれど、愛未先生のことを思い出すと、そうも言っていられないと考えていた。
 明日の放課後に、先生と一緒に調査を行うことを、頭のスケジュール帳に入れ、星はひとまず今は、塾のテキストを読むことにした。

 ゆっくりと走るバスが、黄昏時の街の中を、夜に向かって走って行く。 

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