ハックしても足は地面についている
ハックは、ハックでしかない。
何かこの日常を、閉塞感のある日常を打破すべく、何か穴をあけ、光り輝く外側へと出られるかのような便利な方法を探しているのなら、ハックは、やはりハックでしかない。
それは元来、「ぶち壊す」という意味の言葉だ。だから今を壊して別次元へと突入しようとする使われ方は、確かに間違っていない。けれども、いくら何かをぶち壊したところで(たとえば常識)、私たちが立っている地平はここである。世界が変わるわけではない。日常が変わるわけではない(もちろん、自分が日常だと思っていたものはぶち壊されることになるかもしれないが)。
あくまでハックは、自らを変えるという意味でのハックと思わねばならない。壊されるのは意識だ。いくら変えたい現実がそこにあっても、それをハックによって変えることはできないし、できると謳うハックは眉唾である。ハックにそこまでの力はない。
にもかかわらず、ハックは現実を見る私たち自身を壊す。だからその認識をゆがめることがある。というよりも、認識を変えることこそがハックの本質だ。もちろん、真実や、より良いものを見えるようにしてくれるとは限らない。
それ以上でも以下でもない。ハックなどと大層な名前を付けなくとも、私たちは自分の認識を変えられることを、その、自分自身の力を忘れてはならない。
ハックよりも大切なのは何より、自らの(人間の)持つ力に対する信頼である。
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