見出し画像

近く近くへ面白く。誰も我慢などせず

 面白さは近くになければならないが、その距離は近年、ますます近くなっている。私達は面白いに手が届くことを求めていて、それを焦らされるのがたまらなく嫌なのだ。でもそれだけならば、かつては我慢できた。
 問題なのはその距離が、辛抱しなければならないと思える時間が、とてつもなく短くなっていることである。
 だから今、私達はエンタメを楽しめない。本当の意味で。適度な距離感で「面白さ」の遠影を眺め、期待に胸を膨らませ、ワクワクできない。そうできるはずの時間も距離も、もう私達はあまりにもったいなさすぎて、使い切ってしまている。予定を詰めて、いろいろなことをやって、いつも何かを気にして、エンタメの楽しみ方すらわからなくなっている。
 それに合わせて、現代のエンタメはせかせかして、インパクト重視で、話題性偏重である。そこに、遠さはないし、焦らしなどもっての外だ。

 少しでも考える時間があれば、人々は余計なことを気にしてしまう。それは大抵はあら探しになって、何かを嫌いになるようなことばかりで、そんなものを共有して、共鳴して、やっぱりそれはエンタメではないようである。

 楽しみ方は人それぞれだ。でも、今やその楽しみ方は右にならえで「近さ」である。そうでなければ私達は楽しめないのだと、もう誰もが疑っていないかのように、楽しさを近くにおいて愛でることしかできていない。
 遠くにいるものを眺めることなど、どうしてエンタメなどと言えようか。人は物事を技術によって効率化し、成長を続ける生き物である。なればこそエンタメもまた、その効率化によってどんどん近く、直接的に楽しめるものでなければ、受け入れられないのも当たり前である。

 面白さは近くになければならない。だがその近さは、本当に適切なのか、今や誰もわかっていない。

※このテーマに関する、ご意見・ご感想はなんなりとどうぞ

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?