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「能力」以外も仕事の能力なのか

 仕事ができるというのは、まさに「仕事ができる」ということを指す言葉であると理解されている。私たちは誰も、仕事ができると聞いて、その人の能力が低いとは思わない。また、その人の能力が高いから、仕事ができると思うのだ。
 しかし、その「仕事ができる」というのは、純粋に「仕事をこなす能力が高い」ということを意味するのだろうか。むしろそれ以外の部分も私たちは、その「仕事ができる」ことに含んで判断しているはずだ。

 つまり仕事におけるある人の「能力」というのは、そのやるべき仕事を上手くこなせるというだけではなく、そもそも、「仕事への姿勢」や「仕事のやり方」、「仕事仲間との関係性」のことを指している、ということである。あるいは仕事とは、それを抜きにしては語れないということではないだろうか。
 ともすれば私たちは、仕事というと、純粋に「仕事」だけを切り分けて考えがちだ。仕事のことを言っているのだから、仕事のことだけを考えるのは当たり前である。でも、仕事というのは「与えられた任務」や「やるべき業務」というだけにとどまらない。そのことを私たちは、本当は理解しているはずだ。
 むしろ、私たちは仕事をするといって、仕事だけをこなしているつもりではない。準備、関連する行動、コミュニケーション、それを通して発生する出来事、後始末、その他もろもろ…想像できるはずである。仕事とは、仕事だけにとどまらないことを。というよりも、それらは全て仕事ではないか?

 そういうことを知っているはずなのに、「仕事ができる」というとまず、私たちは「仕事をこなすこと」に注目してしまう。もしくは、そうであることを「仕事ができる」と言いがちである。でも実際には、仕事ができることは、それにとどまらないその人なりの仕事の方法であったり、立ち回りであったり、仕事仲間とのコミュニケーションがある。なければならない。
 これを無視することはできない。仕事ができるとは、仕事ができるだけではなく、「仕事」がちゃんとできることなのだ。むしろ、「仕事をひたすらにこなせる」だけでは「仕事ができる」とはならないし、それはまた別の表現で語られるだろう。

 仕事とは仕事の能力だけではない。仕事とは、今のところ、人生のかなりの時間を費やすものであり、そのことが大いに私たちの仕事への向き合い方に影響を及ぼしている。そして仕事と私たちの生き方の関係は、濃くて、密度が高い。
 仕事と、そのために生きることは切り離せない。それを切り離そうとする現代にあっても、そのことは厳然たる事実としてあって、だからこそ私たちの、仕事の能力と、それ以外の能力を切り離そうとする試みは失敗する。
 そのため、仕事ができるというのは、まさに「仕事ができる」ということを指す言葉として使われるのでは足りなくて、もっと、より広いものを含んで、考慮して、使われていくことが望ましい。
 なぜならそれこそが、私たち人間と仕事の関係性をより正確に表し、そして付き合い方をより実直に表現しているものだからだ。

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