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集合と離散のクリエイティブ

 クリエイティブ性を働かせるために必要なのは、類まれない想像力でも、過去の例を調べ上げる努力よりも、ひらめきの才能よりも、集合と離散、つまり動的な体験がいる。
 そのことを1つ自覚するだけで、私達は、個々人に与えられたこの尊き能力を、できる限り引き出す準備が整えられる。

 デザイン、イラスト、コピー、建築、エンタメ、放送なとなと。ここ数年の働き方の変化によって、クリエイティブな職業はその本質を問われることとなった。これらは日々の業務において、繰り返しのいわゆるルーチンワーク志向よりも、納期までに完成を目指すいわゆるプロジェクト志向でいる割合が多い。

 何らかのアイデアや創造性、企画、成果物。そういった作るべきものについて向き合う職業だ。それらはかつて、他の職種と同様に多くの人々と一緒になって働いていた。それが働くということだったから当然である。しかしその当然へ疑問が生じた現在、クリエイティブ職はいちはやく、この人々がバラバラになるルールに適応した。
 何かを生み出す作業は、実のところ独りでも可能なのではないか。むしろ、独りの瞬間こそ最もクリエイティブが高まるのではないか。そういった考え方が、少し検討された。だから当初、クリエイティブな業界はこの世界的な流れに賛成できた。全く変わらないとは思わないが、それでも今までとそう大きく違うことのない作業ができるのだと思ったからだ。

 しかし、この職業の本質が問われることになったのはここからである。最初は変わりないと思われた作業効率は少しずつ、しかし確実に落ちていったのである。その原因は明らかなコミュニケーション不足だった。つまり創造性においても、他者と一緒の場所にいるということはとても大切だったのだ。
 だから、この数年の中で芽生えた孤独への称賛は、少し揺らいだ。実は私達は、誰かといる方が創造性豊かに過ごせるのではないか……そう思い直したからだ。

 しかし、それもまた私達は、私達自身の創造性を誤解している。どちらかではない。孤独と共生のどちらも、つまりクリエイティブに最も大切なのは、「集合と離散」という動的な体験だということである。

 クリエイティブという作業はそもそも、バラバラのものを集めていく行為に似て、それは広い広い海の中を漂い孤独に潜り続けることに似ている。しかし一方で、そのバラバラのものがどこにあるのかを、きちんと検討をつけなければならない。そのためには、もっと広い視野と時には突拍子もない発想力がいる。だからそれは、孤独なままではとても難しい。

 即ち、クリエイティブにおいてはその段階に応じた「集合」と「離散」が必要だという話である。まず、最初に私達自身の中に眠るアイデアの位置を探るべく、様々な人々が集合して意見を出し合わなければならない。そうしてあらかた集まった情報をもとに、それを拾い集め1つにする作業は、まさに1人の人間の手になる方がずっと効率が良く、良いものができる。

 これまで私達は、この集合と離散を効率的には行えていなかった。必ずどちらかに偏り、あるいはどちらかが軽視され、そしてその段階でないのに集まったり、孤独になったりしていた。
 今、私達は離散を嫌というほど経験し、かつての集合について客観視した。そしてまた、私達はこれまての離散についても客観的に考え始めている。
 いつ集合すればいいのか、そして離散が必要なのか。そういったことがきっと分かるようになっているはずだ。クリエイティブにおいてこのことはとても重要である。
 これから、ますますクリエイティブ性が重宝される時代において。この集合と離散の体験を、まさにクリエイトすることは、私達自身にとって避けてはならない業務である。

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