見出し画像

メソッド化されたワンダーの危機

 アニメ、漫画、ゲームなどのエンターテインメントにはワンダーが不可欠である。ワンダーとは「不可思議」のことだ。それは見る者に「?!」を湧き起こす、仕掛けやギミックやコンセプト、そしてキービジュアルのことである。ひとたびワンダーがベールを脱げば、エンターテインメントを待ち望んでいた人々は目を見開き、その溢れ出る「?!」に歓喜し、夢中になり、たくさんの魅力を見出すことになる。

 だからこそ、ワンダーはビジネスになってしまった。言い換えればそれは、お金である。物を物のまま消費するのではなく、それはお金となってこそ価値ある世の中である。そのためにワンダーもまた、創作さの目的でありながら、換金されるために作られ続けることとなった。
 むろん、ワンダーとはそもそも、ビジネスの一部だったかもしれない。エンターテインメントがビジネスとしてお金を稼ぐものなのだから、それはあまり前に聞こえる。けれどワンダーは、なお、お金になるということ以上に私達を夢中にさせてくれる価値あるものである。可能なら、アニメや漫画やゲームなどの、あなたの胸に残るワンダーの記憶を思い起こしてみてほしい。たとえそれが、ビジネスとして失敗だったと言われていても、あなたの心には夢中になれるワンダーがあるはずだ。
 それこそがワンダーの価値であり、ワンダーが創作される目的である証拠なのだ。お金という価値は単なる換金できるかどうかを示す外側の数値にすぎない。しかしワンダーの本質は、私達の内面に宿る不変のワクワク感である。そうであるはずだ。そうでなければならない。
 けれどもいつの間にか、ワンダーは商業的な価値を担保するための、エンターテインメントの道具になってしまった。それはもう、あるエンターテインメントが売れるかどうかの基準として扱われる。メソッド化され、テンプレートが作られ、工業的な性質を帯びた。そしてそれは、何かを測るための線でしかなくなった。
 ワンダーそのものに含まれる、唯一無二性は見られることはない。「あなた」を夢中にするワンダーは必要なくなってしまった。というより、それを考える余裕が、エンターテインメントの世界には少なくなってしまった。

 ワンダーはもう、ありふれている。そうしすぎるほどに、誰にでも扱える大量生産のワンダーが、そこかしこに存在する。
 それらは「あなた」向けではない。けれど、あなたを夢中にさせるだけの要素を備えている。そつなく、間違いなく、当然のように。

 メソッド化されたワンダーは、ワンダーそのものを脅かす。「?!」は記号だ。それを描けばそれになる。なってしまうからこそ、ワンダーは危機に瀕している。

※このテーマに関する、ご意見・ご感想はなんなりとどうぞ

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?