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短編小説

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#哲学

ガチャガチャに落ち込んで、運命と。

 高野に、何も上手くいかない気がすると正直に話したところ、連れて行かれたのは家電量販店だった。その広い1階フロアは、よく他の店でも見るようにたくさんの携帯電話やアクセサリーが売られていて、店員が呼び込みに目を光らせている。その投げかけられる声掛けをことごとく無視して、高野は俺をフロアの奥へと誘っていった。  正直、携帯電話を買い換える予定もないし、ケースも、保護シールも買い替えたばかりだ。何も言わずについてこいと言われたその背中は、俺と同い年とは思えないほど小柄で、だからこそ

ミヒサの日記

 江湖育三郎は齢110にして大往生を遂げた現代の大富豪である。別れに際してその終の住処である都内の邸宅周辺には交通規制が敷かれ、時の政治家や財閥の関係者等々、1000人は下らない人数がその最後の挨拶に参ったと言われる。ひっそりと、しかし豪奢に執り行われた育三郎の別れの儀式は、多くの関係者の涙と惜しみに見送られ、滞りなく終了した。  それほどまでに影響力のある人物の残した財産は莫大で、その多くは直系の息子である陽介に受け継がれることとなった。しかし育三郎はその晩年には少しずつ持

繋がりを持つ。何がなんでも生きていく

 どのようにしても、何があっても、何がなんでも生きていくのだという強い覚悟は、きっと自分にはない。精々そこには誰かのためというハリボテの意思と、しかしそれを支えるために必死な自己実現本能と、それらがあるからには仕方がないとどこか他人事に理由を探す本能とがあるだけなのだと思う。  同僚に誘われて夜の店にでかけた帰り道、繁華街から外れたひとけのない高架下にあったダンボールのかたまりを、随分酔っ払った同僚が蹴り飛ばした。営業職の磨き上げられた革靴の硬さにひとたまりもなく、その使い

変わりゆく「人」と、自分との関係と

 自分が友人を失って手に入れたものは、すぐにいっぱいになる郵便受けと、電子メールボックスを圧迫する勧誘メールと、電話やSNSのメッセージと、それらを無視しても数分おきに携帯に現れる通知だった。友人を失ったのは現実のことだったが、代わりに現れたそれらの殆どは自分の目の前に現れるわけでもなく──画面上や音声としてはあるが、空間を共有していないという意味で──ただただ、自分の時間と精神を蝕んでいった。  周囲の人からは「無視が1番」とか、「そのうちいなくなる」とか、「気にしなければ

ただ、自分の死の後の世界を

 大泉昌は驚いていた。黄色いテープが張り巡らされた白いガードレールには、いくつかの花束が手向けられている。その交差点では先週事故があり、昌はそこで死んだのだ。事故だったが、そう受け取らない人々もいた。昌自身も、振り返るとあの時は特に気分が落ち込んでいて、落ち込みすぎて良く分からなくなっているくらいだったから、ふらりと赤信号に飛び出してしまったのかもしれないと分析している。  ともあれ、彼はそんな冷静な判断とは裏腹に、ともかく、驚いていた。矛盾するかもしれないが、彼の今の状態で

祖父の葬儀は、柔らかな絨毯を敷かれて。

 集まることが幸福に思えるのは、多分、そうすることで一緒にいる人々の暖かさを感じられるからだ。たとえそれがかなわなくとも、そうおもえるからこそ、人は集まるのだし、集めようとするのだ。  その「会」が終わった後も、皆は名残惜し気にその場に集まって、まるで、互いに繋がった緊張の糸を、それぞれが引っ張り合っているかのように、忙しなく、しかし静かに様子をうかがっていた。  それは死者を弔う会だった。死体を箱に横たえ、さらし者のように顔だけが見えるようにし、直接関わりのない者も含めて

「才能」と「努力」という言葉を、誰も知らない

 この宇宙にはまだまだ知られていないことが多い。  星星の輝く宇宙の外にはなにがあるのか。  月はなぜ地球の衛星となったのか。  生き物とはどうしてこんなにも精緻な仕組みで作られているのか。  私たち人間の身体と心の境目はどこにあるのか。  そして、才能と努力とは、いつ、どこで、それが手に入るものなのか。  その日、大倉崇は日課のウォーキングのために朝5時に家を出た。澄んだ、冷たい空気が鼻にツンとした。まるで寒さに怯えるように、フリースの上下がクシャクシャと音を立てる。前夜

才能があっていいねという言葉を、あなたは理解できるのか

 少し思うのは、やはり才能なのだということ。  世間では「最後は努力がもっていく」とか「努力はしたほうがいい」とかいう中で。それでも、最後に物事を決めるのは才能だということ。   まただ。  私は夜中に目が覚めた。目の前にぼんやりと見慣れた天井が広がる。その向こうからゴソゴソと、できるだけ音を立てまいとしつつ、誰かが動き回っているのがわかる。  隣の夫は熟睡しているようだった。私は起こさぬようにベッドから抜け出ると、今日こそは、あの音の主に注意をしようと廊下へ出た。  私達

【小説】才能があったとして、努力の意味は

 少し思うのは、やはり努力なのだということ。  世間では「最後は才能がもっていく」とか「才能はあったほうがいい」とかいう中で。それでも、大事なのは努力だということ。  その日、近江という友人に呼び出されて適当な喫茶店に入った俺は、エアコンの強く効いた席に案内されて、少し肌寒さを感じていた。  俺は近江になんの話かと尋ねて、乾いていた喉をうるおそうとした。  しかし目の前の友人の話を聞いて、俺は自分の身体に、盛大にお冷をぶちまけてしまった。  「辞めたって……まだ半年たってな