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アラサー女2人、神保町カレーと古本屋めぐり旅。永遠に終わらない近況報告会【カレー研究会】


 いつぞやの、おいしすぎた神保町のカレー。を、食べたときの話。
 この日は十年来の付き合いの友達がひさしぶりに東京へくるというので、そして彼女が神保町周辺に用事があるというので、よしせっかくならと、有名なカレー屋さんに行くことにした。そう、神保町といえば本とカレーである。
「はやく着いたから先に並んでるよ」と連絡をもらい、あわてて目当ての店に向かう。いた。「こっちこっち」と手をふる彼女と目が合う。かなりひさしぶりの再会なのできゃーっと大声ではしゃぎ、手を取り合い、大学時代からまったく変わらぬ二人の空気感を確かめ合いたいところだが、前後にはムッとした顔でカレーを待ち続けるダンディズムたちの緊張感が漂っているため、我慢する。小声でそっと「おつかれ〜」と言って指先だけを軽く振り、彼女の隣に小さく肩をすぼめて立つ。
 昼前から長蛇の列だ。ふたり、だらだら近況報告しながら順番を待つ。

 混み合った路地を抜けた先の、古いビルの2階にその店はあって、大人ひとりぶんくらいしかないほっそい階段に、大の大人たち(主にサラリーマン)がぎゅうぎゅうとおしくらまんじゅうしながら、カレーを求めて並び続けるさまは、なんとも風情があり。1時間近くもスパイシーなカレーの香りを嗅ぎ続けながら、ただじっと自分の番を待つ者、意気揚々とやってきては行列を見て「こんなに並んでるのか……」とぼそり、ため息をつきUターンする者、「あれ? 入り口どこ?」と、業務用のエレベーターで間違えて上がってきてしまい困惑する者。たくさんの大人たちが、平日の昼間、この「カレーを食べたい」という欲望を叶えるためだけに集まりすったもんだしている姿は、私にはとても愛おしく思え、こういう、食を求める人々の活気を感じられるのも、わざわざおいしいものを食べにいく醍醐味だよなと、そんなことを思う。

 数十分ほど待ち、ようやく階段を上がりきると、「ボンディ」という丸い看板が見え、店の入り口がやっとこさ顔を出す。たぶん、もうすぐだ。あと6人くらいか。待ち合い用の丸椅子に座りながら、これまたぺちゃくちゃとしゃべり続ける。仕事の話やら最近観たアニメの話やら何やら。くわしくは覚えていないけれど、とにかく楽しい。楽しすぎる。ぐうぐうと鳴る胃にもうちょっとだよと言い聞かせ、名店のカレーを待ちながら友達としゃべりまくるこの時間、よすぎる。五臓六腑に、よくわからない幸福の栄養素が染み渡っていくのを感じる。
 待っている私たちに、店員さんがメニューを渡し、はやめに注文をとる。メニューが多い。うーむ、悩むな。チーズは絶対に食べたい。私は何しろカレーとチーズの組み合わせが大好きなのだ。というわけで、オーソドックスなビーフカレーとトッピングでチーズを注文した。
 いよいよですな。うん、いよいよですな。
 ふほほほと、笑いが止まらん女子2人。いやー、楽しい。神保町っていいねと、まだ大して歩き回ってもないくせに(駅からカレー屋までの道までしか知らないくせに)言い合う。うん、でもうそじゃない。神保町に来るのはおそらく人生ではじめてか、あっても2回目くらいだが、地下鉄を降りて、外に出て、この街の空気を吸った瞬間、「なんかいい!」と思った。築年数がかなり経っているだろう雑居ビル、全集ばかりを集めた古本屋、ベンチに座って文庫本を読む着物姿のご婦人(都合がよすぎるようだけど本当にいたんですよ)! 岩波ビルのごてごてした石壁は、特別な杖かなにかでそのみぞをなぞると、秘密の古書店か何かに繋がっているにちがいない——などと、妄想しながら歩くのもたのしい。




 さて、肝心のビーフカレーは、うまかった。こういう言い方で「ボンディ」の株を下げないかちょっと心配だが、レトルトのビーフカレーの最上級という感じ。ほら、そもそもおいしいでしょう、レトルトのビーフカレーって。コンビニとかで買うやつ。あれに「おいしい度」みたいな目盛りがあったとして、それをマックスにするとボンディの味になるのだろうなと思うような味だった(いや、あるいは。ボンディはかなり老舗のお店だから、レトルトカレーを開発する会社だって少なからずこの欧風カレーを参考にしている可能性だってあるわけで、となるとあながち的外れな表現でもないのか?)。

 舌の上にカレーをのせると、複雑な味がした。甘さも辛さも渋さも同時にやってくる。こりゃあきっと、とんでもない種類の野菜やフルーツを組み合わせてつくっているにちげえねえ。私がそう言うと、ああ、ちげえねえなと、友達も、口をはふはふ言わせながら答える。ごめん、それどころじゃなかったね。
 奥のソファ席には、お昼どきの気持ちのいい陽光がかっと差し込んでくる。うん。いい天気だ。でもまぶしい。ブラインドがない。あっつ! もう冬だというのにヒートテックの下にはじっとりと汗がにじむ。たまらねえな。これぞカレーだよ、と思う。「カレーを食べる」ってのはこういうことなんだよ。何が入ってるのかなとか、どんなスパイスなのかなとか、はじめはいろいろ考えてるんだけど、だんだん頭の中が辛さと熱さとうまさで破壊されてきて、もうなんにも考えられなくなる。しまいには、ただただうまいカレーをはふはふとかき込むだけの生き物になっちゃうんだ。このカレーに「わからせられる」みたいな感覚が、さいっこーなんだよ。
 トッピングで頼んだチーズは、ごはんの上にたっぷりとのっている。それを、カレーの熱さでとろりととかす。エクトプラズムみたいに伸びきったチーズをカレーに混ぜ、ごはんにのっけて食べる。うん、うまい。うますぎるんだよちくしょうめ!!

 ところで、「ボンディ」のすごいところは、そのサービス精神にもある。付け合わせの量だ。まず、席についてしばらくしたところで、小ぶりなじゃがいもが2個くる。お皿にはもちろん、バターものせられている。テーブルの上には塩もある。え、これつくんですか!? とおどろいて店員さんに聞こうかと思ったが、隣に座っていたサラリーマン2人が当たり前のようにじゃがいもにバターを塗っていたので、そういうもんなのかと納得する。このじゃがいもがまたうまいんだこれが!
 さらによくよく見れば、テーブルの上にはガラスの器がいくつか。福神漬けとらっきょうと、もうひとつはたぶん高菜かな。緑色のお新香が。遠慮なく、ぜんぶいただく。うーん、これもうまい。持って帰りたいくらいだ。


 さて、この「ボンディ」だが、神保町にできたのは1973年。なんと、もう創業50年ということになる。神保町は「カレーの街」として有名だが、その先駆け的存在というわけだ。
 あの複雑な味というか、いろいろな種類の「うまい」が同時に舌に襲いかかってくる感じはどうやったら実現できるのだろうと、「ボンディ」のホームページを見てみると、創業者・村田紘一のコメントが。なになに、なんと村田氏、若い頃にフランスのレストランで働いていたらしい。一部を引用する。

ソースの中でも基本となるものにベシャメルソース(ホワイトソース)、ブラウンソースなどがありますが、このブラウンソースをベースにカレーの素材を加え、出来上がったものがボンディの カレーソースです。

出典:「欧風カレー ボンディ」ホームページ(https://bondy.co.jp/web/contents/message.html)


 なるほど、ブラウンソースを入れてたのか!
 ブラウンソースとは、デミグラスソースなどのもとになるソースで、小麦粉とバターを茶色くなるまで炒め、そのあと出汁を入れたりなんやかんやして煮詰めたもののことを言うらしい。ほう、こりゃめちゃくちゃめんどくさそうだ。
 ほんで、このブラウンソースをつくる上でバターが必要になるわけだが、なんと「ボンディ」ではオリジナルのバターを使っているらしい。カレーにだけでなく、あのつけあわせのじゃがいもにも!
 なるほど、どうりであのじゃがいもがやたらとおいしかったわけだ。「わーい、じゃがバター」が出てきた! という上がりきったテンション効果だけにしてはやけにおいしいなと思っていたのだが、なるほどねえ。


***


 多幸感でぱんぱんにふくれた腹をかかえ、晴天の神保町を2人でぷらぷらと歩く。骨董品店、古本屋、ものすんごい古本屋、宗教学専門の古本屋、雑誌専門の古本屋、などなど。見ているときりがない。やっぱりいいな、神保町。本もカレーもあるって最高じゃないのか? これであとは、クラフトビールとかをこの街で飲めたら、わたしゃもう昇天してもいいくらいだよ。
 うん、たぶんさ、幸せってこういうところにあるんだよ。
「幸せを食べた」って言葉がぴったりの、「幸せ」って食べられるかたちをしてるんだなって思わされるくらいの、圧倒的なおいしさと、それから、そのおいしさの余韻を、もっともっと長引かせてくれる親友と、この街と。

 ほんの2、3時間の出来事だった。
 私は仕事があり、彼女は用事があったので、カレーがちょうどよく消化されはじめたところで別れた。またすぐに会おう。また行こう。うん、また行こう。神保町、いいね。カレー食べよ、永遠に終わらない近況報告会をしながら。



<欧風カレー ボンディ神保町本店>
千代田区神田神保町2-3
神田古書センタービル2F

営業時間
月〜金 11:00~21:30 (L.O 21:00)
土〜日・祝 10:30〜22:00 (L.O 21:30)




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