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あの日を今年も忘れない

 屋根瓦は重いから本当は変えた方が良い。
 耐震性を考えた住宅にしなければならない。
 家具の向きに気をつける。
 寝る時の頭の上には物を置かない。
 枕元には避難グッズを準備しておく。
 どんな避難グッズが必要か考えては補充する。
 避難先はどこか確認しておく。
 たとえ全壊してすべてを失うとしても、自分がどのパターンの被災者となるかはわからないから、食料品は5日分以上を備蓄する。

 外では。
 道路が割れて車がハマることがある。
 液状化現象というものがある。
 荷物をたくさん仕送りしていただいても、まずは仕分け作業が大変。
 外国からのボランティア活動は、できるだけ早く受け入れるよう態勢を整えておく。
 避難所はプライバシーが守られなければならない。トイレが大変になる。

 個人的には。
 天井からぶら下がった電気は揺れるから怖い。
 建物の中から聞こえるバスの音は地鳴りのようで怖い。
 コップのカチャンカチャン連続で鳴る音が怖い。
 何かを並べて置く時、揺れたら落ちそうと思う物は、たいてい落ちる。
 訪ねた場所ではいちいち階段や非常口、出入り口以外に抜け出せる所をチェックする。

 ほかには、「トラウマ」という状態があり、それを克服するにはどうすれば良いか。精神状態や心理的なもののケアか必要になる。

 1995年の昨日。阪神淡路大震災の揺れを経験してから知ったこと。
 当時私は23歳だった。
 あの日のことはその瞬間瞬間を刻んで、恐怖心とこわばった心は簡単によみがえり、その感覚はまったく古いものにならない。
 どの建物に入っても「地震が起きたとしたら」を考えるようになった。

 それでも実感として伴っていないと、全国各地、住む人によってはまったくの人ごとだとも知った。
 当時いくつか角を曲がれば水は通っていて、少し離れた所ではガスは問題なく使えた。何駅か離れているだけで日常が送られていると知った。

 私たちは伝えられただろうか。
 土地柄や人口によってケースがちがうと、しっかり認識していただろうか。多い年齢層や住宅の密集具合、それぞれの家庭との関係性、そこでどんな風に暮らしてきたか、交通の便、人々の気質、文化や習慣。それぞれの土地の特殊性がある。
 当時乗り越えるのが精いっぱいだったとしても、その後の私たちの当たり前って伝わっていたのか。わが身を振り返る必要もあると知った今年1月1日の地震。
 ニュースにひたりきらないようにしようとしても、胸がつぶれそうな思いを日々送る。
 東日本大震災の時、石川県金沢市に一泊経由して宝塚に避難した。あの時も風が強くて吹雪き、寒さ厳しい地方なのだと実感したものだった。
 どうか被災した老若男女問わず、皆さんに希望を持つ日々が来ますように。
 亡くなった方々のご冥福を改めてお祈りいたします。




読んでいただいて、ありがとうございます! 心に残る記事をまた書きたいです。