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「死」に象徴される喪失感を、友と共有する年頃~スタンド・バイ・ミー~

 「スタンド・バイ・ミ―」ってきっと多くの人が知っている映画。内容を知らなくても、曲だけでも。

 でも、あの原題って知ってました?
 「THE BODY」(死体)ですって。

 キャー……。

 ってごく最近知った。

 そんなタイトルだったら、私は怖がっちゃって、決してあの映画を観なかっただろう。

 それが「スタンド・バイ・ミー」になったことでポップになって、私みたいに単純な人間は観てみようという気になる。
 死体を見つけにいく話というのは割と知られていると思っているのだけど、「STAND BY ME」(そばにいて)が誰に向けてのものなのか。主に友情について語っているし、映画を観ていると、家族でもあったりする。

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 先日、「スタンド・バイ・ミ―」を金曜ロードショーでやっていたので、30年ぶりくらいに観てみた。
 30年前当時は「ふーん」くらいだった。よく覚えていない。
 この映画が劇場で公開された時は、さらにもっと前。私は中学3年生か高校一年生の頃。洋画好きの同級生たちが「リバー・フェニックス、めっちゃ良い!」と夢中になっていた。
 確かに端正な顔立ちだけど。それほど好みとかでもなかったし(そもそも顔に好みがあまりなくて)、「そうねえ」くらいで。
 でも今観ると、「息子」感! リバー・フェニックスだけじゃない。皆が可愛らしく見えて仕方ない。別の意味で可愛い。
 しかも10代半ばにして、抑えた演技の上手さ。ポテンシャル……。そして映画の中では良いヤツ。

 私の息子は、主人公のゴーディ―のタイプで、クリスに当たるような友人がいたかなあと思い返す。小学生の頃。ここまで仲が良かったわけじゃないけど、息子がいじめられかけると、度々救ってくれた。
 幼稚園の頃だって、あまりにのんびりしている息子の手を引いてくれたものだった。
 そんなことを思い出しながら、12歳の少年たちの友情が可愛らしくて、つい頬が緩むのだけど、当然それだけの映画でもなかった。

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以下、完全なネタバレです。
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 大好きなお兄さん(これがまたジョン・キューザックで懐かしい)が亡くなったことを、両親は受け入れられていない。なんてゴーディーは言っているけど、自分だって全然受け入れられていない。両親がそんな風になったから、自分が悲しがる隙間もないんだよな。

 そして自分がいなくなれば良かったと感じてしまっている。気持ちに余裕のない両親の態度に、自分は憎まれていると思っている。だけど本当はそんなことないよ。「きっと」だけどね。

 その辺の葛藤や励まし合う姿は、12歳の少年らしい。

 だけど改めて気がついたのは、「死」がテーマなんだ。
 確かに、みんなで死体を見つけに行くために、ちょっとした旅に出る。その過程で家族関係や友情が描かれている。

 でもそれだけではない。
 例えば夜には、ゴーディー自作の物語を、友達三人に語る場面がある。

 まずその幼稚で胸の悪くなる物語を、ゴーディーが思い描いているその心の内。そしてわざわざそれを語らせて映像として出すところに、この監督の意図を強く感じた。
 ベリーパイは血の色に見えてきて、幼稚でコミカルなその物語が、グロテスクで異様な印象として残る。

 あとの三人もそれぞれに抱えているものがあり、特に二人は家族についての葛藤がある。これから中学生になってそれぞれの道を歩もうとする子供たち。

 「死」の本当の意味をようやく知る年ごろなのかもしれない。
 「死」で何かを失う。
 兄弟姉妹。親の愛情。友達。嫌いな街。学校。先生。
 信じるものも失ってしまう。
 勝手に喪失させられる。
 失いたいものだってあるかもしれない。彼らは喪失感を知り、精神的な「死」にも気づき始めている。
 そして、遺体のある「死」を目にする。
 それらを見つけて感じた呆気なさと、悲しみや虚しさ。
 「死」を目にしたことで感じたものは、それ自体を見た事実よりも大きいのではないかなと感じた。

 その後に新しい日常が始まる。新しい世界を歩いて行く。
 そんな風に少年たちは、大人になる一歩を踏み出すんだろう。

 確かに「THE BODY」が、大きな役割を果たす映画だった。

 

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