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その子の持つ気質や特性は、愛されてほしいな~緘黙症を知っていますか~

 池田エライザ可愛らしいなあ。と思っただけだったのに、そのドラマを観終えてしまった。根気が続かないからマーベル関連のもの以外はあまりドラマを観ないはずなのだけど。
 だいぶ漫画チックでコメディだなと思ったら、漫画だった。「古見さんは、コミュ症です」って漫画あるのね。夫が早速買っていた。

 高校生役が20代半ばの池田エライザって無理があるのでは。なんて心配は無用。だって同級生にまっすーとか溝端淳平とか城田優とかがいるのよ。


 池田エライザ演ずる古見さんは基本的に喋らない役。かすれ声で振り絞るように喋るようにもなるけれど、言葉はほぼ紙に書いて相手に見せる。多分「コミュ症」や「コミュ障」以上に適した言葉がありそうだ。診断や断定などできないけど。

 息子が幼稚園や小学生で、吃音で苦しんでいた頃。
 心配であの本、このページ、と調べている間に「場面緘黙症(ばめんかんもくしょう)」の存在を知った。
 場面緘黙症とは

家などではごく普通に話すことができるのに、例えば幼稚園や保育園、学校のような「特定の状況」では、1か月以上声を出して話すことができないことが続く状態のこと(「かんもくネット」代表の角田圭子さんの言葉 より)

 その症状や原因について。

・「わざと話さない」わけではなく、人見知りや恥ずかしがりとも違う。
・原因や発症メカニズムはまだ研究段階。
・心理学的要因、社会・文化的要因など複合的な要因が影響しているのではないかと考えられている。
・子供によって発症要因や症状に影響する要因が異なることはわかってきている。
・脳が新しい刺激に敏感に反応する「行動抑制的な気質」を元々持つ仮説が有力。
・虐待やトラウマに関連しないこともわかってきている。
・親の過保護のせいでもない。親も周囲から「過保護」「心配し過ぎ」と言われて傷つき、孤立しがち。
・自分でも自分がなぜ話せなくなるのかわからないのに、人から「なぜ話さないのか」と問われる。
・専門家だけで治せる症状ではない。
(NHK福祉情報サイト ハートネットより まとめさせていただきました)


 ああ。こういう子なら小学生の頃、同じクラスにいた。とすぐに思い出した。同じ班で前の席に座っていた。
 ほぼ無表情で、何を言っても反応があまりなかった。
 でも彼女はごく稀に挙手する。彼女の声が聴けたのは、一学期のうちに3~4回だっただろうか。
 特に誰も手を挙げないでシンとなってしまった時に。私はその勇気と彼女の心の中の「何か主張したい」灯に、いたく感心したものだった。
 先生に指名されて立っても、耳をじっと傾けてクラス全員がかたずをのんで聞かないと聞こえないくらいかすれた小さな声。
 「聞こえへん。もっと大きな声で言ってな」先生は軽く言っていたけど、先生はわかっていたのかな。40年ほど前、そういうのって治せるものだと思われていなかっただろうか。彼女はどんな思いで先生の言葉を聞いていたんだろう。
 言動のキツい、生徒もすぐ叩きののしる古いタイプの先生だったけど、彼女をそれほど責めることもなかったからか、ごく稀に彼女はそうやってそっと挙手をしたのかもしれない。でも段々それも減っていった。

 給食など机を突き合わせて班活動をする時、どうにか彼女に笑ってほしくて、誰かが何か可笑しなことを言うとつい彼女の表情をチラリと伺ってしまった。
 私はイジメられていた時期を抜けて、友達がいない頃。誰も巻き沿いにしたくなかったし、誰かをイジメることもしたくなかったから、彼女と友達になりたいなんて願望もなかった。でも班活動をする時くらいは冗談を言っていたし、彼女に笑ってほしかった。できるだけ班の子たち皆と同じように接した。きっと私の思いには気づいていただろう。
 だからちょっと微笑んでくれただけで、彼女と私の周りにパァッと花が咲きそうなほど嬉しかった。

 その後、運動会だったかで家族といる時に、彼女が弟らしき子を「こらー!」と追いかけていたのを目にして「わあ。他の子と同じなんだな」と驚いたのを覚えている。

 彼女は場面緘黙症だったのかもしれない。

 でもそうやって皆の前で時々、自分の答えをかすれたような小さい声でも発表する彼女が、凛としていて好きだった。


 時は経ち。
 息子が幼稚園で「なんか知らないけど寄ってくるんだ」とちょっと逃げ腰ながらも一緒に遊んでいた女の子を見ていると、どうやら緘黙症のよう。
 全然喋らない。声を発さずただ微笑んで息子と遊びたがる。「息子クンは、〇〇ちゃん(その女の子)に分け隔てなく話しかけて遊ぶ時があるから、〇〇ちゃんも息子クンなら遊んでくれると思っているみたいです」と先生が教えてくれた。
 ああ息子よ。キミにはそういう部分があるのだね。
 息子は分け隔てなくとか意識しているんじゃなくて、ただ単によくわかっていない、気が付いていないだけと思うけれど、でも意地悪言ったり、突き放したりはしないんだな。そういう「周りの子と違うからと遠ざけるような態度にはならない」部分はそのまま大切にしてほしいと見守ったものだった。

 緘黙症は親の努力や本人の心がけで治るものではないようだ。そういうタイプなのだよね。
 当時の息子の吃音と一緒だ。
 私のHSP(highly sensitive person)と一緒だ。
 つい込み上げてくる考えや思い、言動に、なんなのこの人。って本当は思われたくないよね。思われたくないけど、何ともできないんだよね。相手に伝わらなくてきっと相手も特性について知らないから、相手にイヤな思いをさせたんじゃないかって、申し訳ない気持ちだってたくさん持っているよね。それを言葉でちゃんと説明しようとすると言い訳にして逃げてるって思われちゃうんだよね。

 だけどそういう気質から来ているものなんだもの。変えよう、治そうと努力し続けて、いっぱい自分にダメ出しして、でもなかなか変わらないものだよね。開き直るのでなく受け入れるってすごく難しいけれど、人に説明も必要だから。

 私は彼女にどこか共感していたんだろう。

 古見さんも一生懸命だった。周りの理解しようとする思いや無邪気で純粋な気持ちから友達ができた。きっとコミュニケーションに壁はあっても、互いを知ろうとする気持ちって愛なんだよなあ。

 小学生の頃の彼女、息子の幼稚園にいた彼女は元気にしているだろうか。その後どんな人生を過ごしているのかな。


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読んでいただいて、ありがとうございます! 心に残る記事をまた書きたいです。