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「おしゃれ童子」(新潮文庫『きりぎりす』)太宰治著 :図書館司書の短編小説紹介

 自意識過剰で自己陶酔的で独善的な一時期というのは、誰にでもあると思う。
 その頃に突飛な言動をとり、数年後に当時を振り返って恥ずかしさで顔を覆いたくなる、きっと誰にでもそういう経験はあるに違いない。あって欲しい。

 太宰治の「おしゃれ童子」を読んで、まず感じたのは、自分も同じようなことをしたなぁ、との恥じらいへの同調だ。
 周囲から浮いた「あわれに珍妙な」恰好をしても、天上天下唯我独尊状態にある時期には、他から変だと指摘されたところで、自分の洒落っ気を理解できない相手の感性の方が変なのだと思いがちだ。
 だから、本作の中で太宰自身と思われる主人公が、お気に入りの白いフランネルのシャツを、「着物の襟の外側にひっぱり出し、着物の襟に覆いかぶせて」、それが「よだれ掛けのように見え」ても、本人は「そっくり貴公子のように見えるだろう」と思っていたことに、ああ、わかる、との感想が湧いて来る。
 まるで、過去の自分を見ているようなのだ。しかも、他者の恥ずかしい状況が自らの恥ずかしい状況として感じられる、共感性羞恥を発動させながらなので、より切実な実感がある。
 
 私も、手の甲に魔方陣を書いたり、前髪の中心の二束だけをムースで固めてコオロギやゴキブリの触角のように前に飛び出させてみたりと、少年ゆえの恥ずかしい記憶を、溜め息をつきつつ苦笑混じりに思い出すことがある。
 小学生や中学生だった当時は、本気でそれが恰好いいと思っていたのだ。
 けれど、大学四年の時の失敗は、少年だったからとも言えない年で、だから自意識過剰ゆえとも言い訳できないために、苦笑すら漏らせない思い出として胸にわだかまっている。

 当時、私は大学三年までにほとんどの単位を取っていたために、四年次は一つのゼミをとるだけでよくなっていた。
 ファッションに興味がなく、かつ友達付き合いも苦手だった私は、着衣にまつわる相談相手がおらず、その頃の学生がどういう恰好をするのが適当なのか、ずっとわからないまま過ごしていた。
 だから、無難に黒いジーンズと白いシャツという恰好が多かった。

 そんなある時、そのゼミに時々出て来る三年生の男の子の恰好に、私は惹き付けられてしまった。
 髪型は、長髪の頃の木村拓哉や江口洋介、つまり『スラムダンク』初登場時の三井寿のようで、当時の最先端を行っていた。
 そして服は、テカリのあるパリッとしたダブルの黒いスーツに紫色のシャツ、濃いブラウンのネクタイという一式だった。
 頭の中で思い浮かべて頂ければわかるように、堅気ではない恰好だ。
 ホストらしいといえば言えるが、肝心の当人がふくよかで、丸顔だったため、彼自身を格好いいとは思わなかった。
 が、その着こなしを、当時の私は気に入ってしまったのだ。
 彼は他の日には、白いスーツに白いシャツ、白いベストに銀色のネクタイといった、これまた堅気に見えない恰好で登場したりした。
 それも私は格好いいと思った。
 きちんとしていながら、道から外れた恰好というのか。そういう二律背反性に得も言われぬ魅力を感じてしまったのだ。

 そこで、真似することにしたのだが、テカリのあるダブルのスーツや白いスーツを着る勇気はさすがになかった。
 だから、手持ちのリクルートスーツに、洗い立ての白いシャツ、漆黒のネクタイを締め、鏡を見ながら、「決まった」と、得意な気持ちになっていた。
 
 そのホスト的な彼とは、学年も違うためゼミの前後に時々話すだけの仲だった。
 だが、似たような恰好をしていることで、ファッションについて意見を述べてくれるかと、敢えてそのゼミの日に、その恰好で登校してみた。
 そして、彼に出会った時に言われたひと言が、思い返す度に今でも私の顔に赤い火を点けるのだ。

 「葬式行くんですか?」

 彼は冗談でもなく、真顔でそう訊いてきたのだ。
 黒いスーツに白いシャツ、黒いネクタイと来れば、その人が行くところはお通夜か葬式と相場が決まっている。
 それでホスト的な格好だと勘違いしていた自分に、今でも狂いそうな恥ずかしさを感じるのだ。
 
 太宰が今でも読み継がれているのは、この種の恥ずかしい過去を、包み隠すことなく、かつひけらかすでもなく文章の中で描き切っているからだろう……か?
 
 

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