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「働いていると本が読めなくなる社会」について

川口市出身の自称読書家 川口竜也です!

最近巷で噂の話題作、三宅香帆さんの「なぜ働いていると本が読めなくなるのか」集英社 (2024) が会社の新刊図書に陳列していた。

会社の図書スペースの本は、ネットで申請すれば自分の席まで届けてくれるという至れり尽くせりのサービスもあるが、実際に本棚で借りたほうが早いというアナログ人間の思考で、予約が入る前に紐解いた次第。

読んで面白かったのもあり、今回は珍しく、「なぜ働いていると本が読めなくなるのか」について真面目に考えてみようと思う。

ちなみに、本著では大前提、「教養や勉強のための読書」も「趣味や楽しみとしての読書」も同じ枠組みで語られる。本を読む行為自体を総じて「読書」とする。

それすなわち、これから労働と読書の関係性を語るに当たり、「読書なんて所詮余暇時間の使い方だから、読みたい人が読めば良い」という、読書好きのよくある主張で済まさない点を裏付けている。

※ 以前にまんまとそういう記事も書いたけれども。


本も読めない働き方の現代社会

まえがきにて、三宅さんの経験から「そもそも本も読めない働き方が普通とされている社会自体がおかしい」という主張から始まる。

歴史やデータを踏まえて、労働と読書の関係性を深堀りしている中で、(どうしてそういう社会になったのかという経緯は、ぜひ本著を手にとって欲しいのだが)最終章で現代社会を以下のようにまとめている。

「働きながら本が読めなくなるくらい、全身全霊で働きたくなってしまう」ように個人が仕向けられているのが、現代社会なのだ。

同著 246頁より抜粋

個人的な経験からも、働くことに全身全霊を求められた頃は、読書する心の余裕も時間もなかった。

「自分の名前で稼げるようになりたい」と躍起になっていた時期(それすらも全身全霊で働きたいって意欲の現れなのだが)、心機一転、営業職(テレアポ)に挑んだことがある。

あくまでも私が勤めた会社だけかもしれないし、決して強制されたわけではないが、勤務時間が終了しても、自分の架電の録音を聞き返すなり、商談の見込みが有りそうな業者は自ら探し出そうという風潮は強かった。

当然、勤務時間外だから給料が出るわけではない。あくまでも余暇時間を減らしてでも、成果を出したいという自発的な行動である。

アポを取るために一生懸命になれる、その上アポを獲得(貢献)してくれるのならば、会社としても手放すわけにはいかない。『全身全霊で働きたい』やつを見放す道理はない。

仮に営業マンが「会社のため」とは思ってなくても、個人として「稼ぎたい」や「評価されたい」って気持ちがあるならば、それは『全身全霊で働きたい』と思っているに他ならない。

読書はノイズとなりうる

Webライターである私自身の経験で言っても、勤務時間外にnoteを書く余力があるならば、その時間とやる気で会社の記事を書き上げてくれ、と言われてもしょうがないと思ってはいる。

会社の先輩にも、夜遅くまで仕事をしている方が多い。私がnoteの記事を書き終える頃に、帰りのエレベーターで鉢合わせすることも多々ある。

会社が定めた目標などはあるにせよ、個人が趣味や余暇時間を減らしてでも稼ぎたい、貢献したいのであれば、会社はそれをサポートする。ある意味Win-Winの関係と言える。

そうなると、余暇時間も時間的・精神的な余裕があるのならば、会社や社会のためにやるべきことをやったほうがメリットになりうる。

個人に置き換えると、無駄なことに時間を使うのならば、自分にとって役に立つ知識や実務経験を積んだほうが良いと思うようになる。

自己啓発やハウツー本が読まれるのも、その風潮があるだろう。その点、文学や小説などの本は、役に立たない ≒ 自分とは関係がないにつながる。

知らなかったことを知ることは、世界のアンコントローラブルなものを知る、人生のノイズそのものだからだ。本を読むことは、働くことの、ノイズになる。

同著 182頁より抜粋

世界を広げることがノイズとなるならば、確かに読書は相反する行為かもしれない。

実際、私が読書会を主催しているのも「自分が知らない本を知りたい、知らない世界を知りたい」がためである。

でも、自分の仕事(人生)にとってノイズとなるものを避けるのであれば、人の心理や社会を描く文学や小説などは、読まないほうが有意義なのかもしれない。

会社の図書スペースにおいても、大抵の本はビジネス書や技術書、業界に関する知識に関わる本である。ましてや社長の蔵書コーナーなんかは、数冊の東野圭吾がある以外、ほぼ教養に関わる本である。

先日流し読みした読書猿の「独学大全」ダイヤモンド社でも、読み方の一つとして「読むべき部分と(当面の目的のためには)読まなくていい部分を見分けて、必要なところだけ読む」という『掬読』を推奨している。

当面の目的のためには読まなくて良い。文学作品というものは、大抵そういうものに該当する。

読書会でも、本に対する捉え方は様々である。必要性で本を読んでいる人とも、私のように好き好んで読んでいる人とでは、話の盛り上がりに若干齟齬を感じる。

本好きであれば、いや文学にも学ぶところはあると思うけれども、必要性重視の本読みは、回りくどい心理描写は抜きに、事実や主張をさっさと述べて欲しいって思うのかもしれない。

ただそれは、あくまでも本を読む人の考え方である(多分、三宅さんの本自体、平素から読書する人が読んでいるのではないかと、勝手に想像している)。

本を読まない人、あるいは本を読めなくなった人にとっては、読書する事自体がノイズとなりうる。

わざわざ時間を掛けて1冊を読み切るならば、他に時間を当てたほうが良い。すると人は、慣れ親しんだ行動を取るのが最適だと思うようになる。

SNSを見たりだとか、スマホゲームをするのだとか、別に有意義とは思っているわけではないが、自分にとって気持ちの良いものを与えてくれる媒体が欲しくなるのだろう。

読書だけがノイズであるか?

三宅さんの本を読んでいて、個人的に、「仕事が忙しいと読書ができなくなる。でもスマホゲームはできる」という点に引っかかった。

仕事で全身全霊で働かされているからこそ、仕事以外の時間は余計なことをしたくない。だからこそ、スマホでゲームをしたり、お気に入りの配信者の動画を見返してみるってのは分かる。

ただ、本だけがノイズ性を有しているとは思えない。別に読書に限らず、様々なものに当てはまると考える。

逆に私はニュースやSNSを見ない。芸能人が浮気しようが、スポーツで日本代表が優勝しようが、どっか通訳が賭博に嵌っていようが、私の人生は1ミリも変わる気がしないからだ。

他にも、集団でスポーツする行事なんかも苦手だ。以前はよく知り合いにフットサルとかボーリングに誘われることもあった。でも、運動神経が良いわけでもないし、一緒に楽しむってのも苦手だからと断り続けた。

言っちゃえば、スマホゲームすら最近はやってない。大学時代は暇さえあればシャンシャンやっていたけれども、今はそれをする余裕がない。

つまり、私にとっては、本を読むことよりも、別の活動を始めるほうがノイズとなるのだ。

それも、私が普段から本を読んでいる人間だからこそなんだろう。立っている場所が違うからこそ、ものの見え方も異なるのだろう。

働きながらでも本を読める社会

改めて三宅さんの本著に戻るが、読書とは自分の世界を広げる役割があるのと同時に、自分とは遠く離れた文脈に触れることであるという。

読書とは「文脈」のなかで紡ぐものだ。たとえば、書店に行くと、そのとき気になっていることによって、目につく本が変わる。……読みたい本を選ぶことは、自分の気になる「文脈」を取り入れることでもある。

同著 233頁より部分抜粋

人間誰しも「文脈」を持っている。それは経験とか仕事で形成されるもので、誰一人として同じ文脈を有している者はいない。

それで成り立つのが社会であるが、仕事が忙しくなったり、家事や育児が忙しくなると、どんどん新しい文脈を受け入れる余裕がなくなる。

それがタイトルである「働いていると本が読めなくなる」社会につながる。

では、そのためにどうすれば良いのか。著者曰く、働いていても本が読める社会とは、仕事に対して全身全霊で働くのではなく、「半身で働く」ことだと主張する。

社会の働き方を、全身ではなく、「半身」に変えることができたら、どうだろうか。半身で「仕事の文脈」を持ち、もう半身は、「別の文脈」を取り入れる余裕ができるはずだ。

同著 234頁より抜粋

私自身も、スマホゲームをしないで本を読んでいたら人生が変わるのかと問われたら、半分正解だけれども、半分は違うと考える。

別に私自身、そこまで真剣に本を読んでいるわけでもないし、かと言って、毎回ダラダラ本を読んでいるのかと問われたら、それはそれで違う。

真剣に読むべき本もあれば、ただ楽しむだけ、本を読むこと自体を実感するために読書することだってある。

要はそれくらいの気持ちで良いのだ。本を読むってのも、半身くらいがちょうど良いのだと。

結局、読みたいならば読めば良いという結論に陥りそうだが、そのためにも、何事にも全身全霊で、真剣に取り組まなければならないという固定観念をなくす必要がある。

つまるところ、「半身で働く」とは、無理をしないで生きることではなかろうか。

資本主義だとか競争社会とか色々あるし、もちろん中にはハードワークが生きがいというタイプもいるだろうけれども、それを強制する必要はないのだと。

私自身、Webライターとして今の働き方になってからは、仕事は仕事、休みは休みと割り切って、図らずも「半身で働いている」。

全く不満はないと言うと嘘になるけれども、今まで働いてきた中で一番楽しく働いているのも事実。

そう考える人が一人でも多ければ、仕事と余暇(読書)の考え方も、少しは変わっていくのではなかろうか。それではまた次回!

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