小説を読むべき話
川口市出身の自称読書家 川口竜也です!
毎日のように会社の図書スペースにふらっと立ち寄っては、何か面白い本はないかと見て回る。借りはしないのだが、気になる本が多くて困る。
だが会社が推奨しているだけあって、割合としてはビジネス書や商業関係の雑誌、経営者の自伝などが多い。
勿論私自身ビジネス書も読む。勉強になるし、福利厚生で読み放題だから今のうちに読めるだけ読んじまおうという腹積もりである。
時に、ビジネス書は読むけれども、小説は全く読まないなんて人もいる。最近私の読書会では見かけなくなってきたが、読書は知識やハウツーとして活かすためにあると考える人は一定数いるものである。
そうなると、小説や文学は何も得られるものがないと思われがちである。
役立つ役立たないという視点において、文学は絶妙な位置にあるのは否めない。先日書いた記事のように、文学は実学であるか状態である。
だがしかし、やはり文学は読むべきだと私は言いたい。
近所の図書館にてたまたまふと借りたのが、池澤夏樹さんの「現代世界の十大小説」NHK出版 (2014)。同著のあとがきに下記のような言葉があった。
この言葉を踏まえると、同じ世界に生きる人間を理解するのに最も適しているのが、小説なのではなかろうか。
人間というものは、必ずしも脳の構造やDNAで全てわかるわけではない。また統計やデータで人間の行動を全て理解できるわけでもない。
そこで理解できるのは、生物学上の人間であって、統計上の人間の行動であって、目の前にいるあなたではない。
あなたという人間は当然一人ひとり違う。今日まで生きてきた時間と経験の積み重ねによって存在するのがあなたであって、同じように私も存在する。
もちろん小説には著者の意図とか、何を伝えたいかなどの目的もある。
同時に私たちにも、何か意図や目的があって存在しているわけであり、一人ひとりが物語の登場人物なのである。
すると当然、私という人間は、私の視点でしか世界を見ることになる。決してあなたの視点で世界を見ることはできない。
これは物理的な視点ではない。今まで経験してきたものの見方・捉え方が影響するため、同じものを見たとしても得られるものは異なる。
その自分とはことなるあなたの視点を得るために、小説というものは非常に有効であるのではなかろうか。
もちろん、「人生は小説だからハッピーエンドの作品に自ら作り上げる」という捉え方もできる。
それもまた、その人も生きてきた時間や経験に左右されるものであり、そのように考えるようになったきっかけがどこかにある。
つまり何が言いたいのかと言うと、自分の視点が必ずしも正しいとは思わないことである。
小説に登場する人は、感情移入できる人もいれば、全く共感できない人も存在する。つまり、相反する考え方を持つ人が同時に存在すると言える。
とは言え、全く共感できないと言えばそうでもなくて、どこか「この点はわかるな」と思うときもある。
どうしても目の前に人がいると、嫌な相手は嫌なやつだとフィルターを掛けてしまう。しかし、小説ではどんなに嫌なやつがいても、物語を進めるために読み進めていくことになる。
そうやって、少しづつでも、自分とは異なる視点を得ていく。
巡り巡って、目の前のあなたを理解することにつながる。
いや、完全に理解することはできないが、理解に努めやすくなるといえるだろう。
だからどんな本であっても読むべきなんじゃないかなと考える。それではまた次回!
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