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読書記録「スタンド・バイ・ミー」

川口市出身の自称読書家 川口竜也です!

今回読んだのは、スティーブン・キング 山田順子 訳「スタンド・バイ・ミー ー恐怖の四季 秋冬編ー」新潮社 (1987) です!

スティーヴン・キング「スタンド・バイ・ミー」新潮社

・あらすじ

なににもまして重要だというものごとは、なににもまして口に出して言いにくいものだ。なぜなら、ことばというものは、ものごとの重要性を減少させてしまうからだ――。

同著 24頁より部分抜粋

私がはじめて死体を目にしたのは、やがて13歳になるという12歳のとき、1960年代、夏のことである。

私が少年時代を過ごしたキャッスル・ロックは、お世辞にも風紀のいい町ではなかった。不良のたまり場のような、何かしら家庭環境に問題がある家族が多い地域だ。

夏休みも終わりに差し掛かる頃、ゴーディ(ゴードン・ラチャンス)は悪友のバーンから「森の奥に子どもの死体がある」という噂を聞く。

保安官らは必死にその子の行方を追っている。もし死体を僕らが発見すれば、第一発見者ヒーローとしてテレビに出れるだろうと。

一緒に話を聞いていたクリスとテディの4人で、死体探しの冒険に出る。

最初は好奇心から始まった旅だったが、今振り返って思えば、その旅は子供から大人に変わる通過儀礼だったのかもしれない。

わたしたち四人の子どもの通廊は、二本並んだレールだった。わたしたちはそのあいだを、なんだかわけがわからないが、なにやら意味があることに向かって、歩を進めていったのだ。

同著 243頁より抜粋

映画は大分前に、一度だけDVDを借りて観たことがあったため、大筋は理解していたけれども、やはり原作も味わってみたかった。

夏の京都は下鴨納涼古本まつりにて、3冊500円コーナーにて見かけ、「1冊買ったら何冊買っても同じだろう」精神で購入した次第。

映画版は少年たちの「青春ドラマ」として、綺麗に仕上がっている感じがした(大量のヒルに噛まれる不気味なシーンもあったが)。

原作だと、映画版だと最初と最後くらいしかなかった、ゴーディが大人になってから当時を振り返るシーンがたびたび交差する。

また、一緒に死体探しの旅に出たバーンやテディ、そしてクリスがいかに彼の人生からいなくなったのか・・・・・・・・も記されている。

友人というものは、レストランの皿洗いと同じく、ひとりの人間に一生に入りこんできたり、出ていったりする。そこにお気づきになったことはないだろうか?

同著 302頁より抜粋

私自身で言っても、小学生時代には小学生時代の、中学時代には中学時代の、高校時代にはまた高校時代の友達ができては、いなくなっていった。

もとより友達が多い方ではなかったが、歳を重ねていくうちに、古い友人は新しい友人に置き換えられていく・・・・・・・・・。言い方は悪いが、おそらく誰もがそういう経験はするものであろう。

さて、「スタンド・バイ・ミー」に戻る。

死体探しの旅は、12歳のゴーディにとっても、作家として生計を立てている私にとっても、大きな影響を与えていた。

12歳のゴーディにとっては、大人への一歩のようでもあり、少年時代への別れのようでもあり、とにかく人生の分岐点の最中にいた。

なによりその時には、クリス・チェンバーズという親友がいた。

ゴーディの作家の才能を認め、将来のためにも俺達のような悪友から離れるべきだと、本気で諭してくれた友がいた。

そんな親友がかつていたと言っても、それがどれだけ私にとって心の支えになったのかを、言葉にするのは難しい。

なににもまして重要だということは、口に出して言うのがきわめてむずかしい。おのれの人生の中のよりよきものを、他人にたいせつにしてもらうのは、むずかしい。

同著 225頁より部分抜粋

私自身、ゴーディとクリスの2人と同じくらい、お互いに影響し合う友がいたかどうかと問われたら、正直思い浮かばぬ。

少なくとも、様々な人の影響を受けて、今ここにいる。

入っては出ていく友人たちに、良き面も、悪い面も、影響を受けて、今ここにいる。

あいつらは、元気にやっているかな。

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