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4月はパープルピンクで(めぐみ)

4/28(金)

仕事が休みだったので、ヨガと歯医者に行く。
体がくたくたで呼吸があまりうまくできていない感じがしてた。
ヨガ、きつかったけどすっきりした。
来週は一週間行けない。心配。

歯医者には引き続き知覚過敏をみてもらう。
この寒暖差がよくないようだ。

ヨガと歯医者の間が4時間近く空いて、スタバと神社と銀行に行く。
歯医者に行くからという名目で何も食べない。
スタバで書いた文章は、何も浮かばないと思ったが清少納言を意識したらどんどん出てきた。
でも清少納言ってこんなにひとりよがりだったっけ?
ちょっとわからなくなる。
ゴールデンウィークの日程や帰る際の混雑について考えることに疲れた。
行き当たりばったりでうまくいきたい。
神社で『マスクとお金について悩まなくてすみますように』と祈った。
高い電気代の支払いと住んでる建物の更新料が続いている。
歯医者遠いな…。やっぱめちゃくちゃ遠いよな…。

帰りにケーキとドーナツ買ってしまった。


4/27(木)

最近人との関わりが多い気がする。仕事も日常も。
困ったら、だいたい誰かが助けてくれる。
言っても言わなくても。
助けてもらえるのだから、言えばいいのだと思った。

今日は、行事の関係で1時間目と5時間目だけの授業だった。
膨大な待ち時間は、一回家に帰れそうなほどだ。
職場から15分ぐらい歩いたところにできたと聞いた新しいパン屋に行ったり🐧、本を読んだりしようと決めていた。
けど、人と話したり、雑用(春休み課題の点検😱)を片付けたり、引き受けたりしたりしていたら過ぎてしまった。

ていうか、これぐらいの時間がないと、雑用なんかやってられねえ!
いつもはひたすら授業で埋め尽くされる。
これぐらい時間があれば、やさしい気持ちで「私やりましょうか?」って言ってあげられる。
この場所に来て初めて言ったな~『私やりましょうか?』。
すてきだな~『私やりましょうか?』。
誰が言ったんだろう『私やりましょうか?』。
どこかから聞こえてきてハッとした『私やりましょうか?』。
私の口から出ていた『私やりましょうか?』。
私がそんな言葉を知っていたとは。

めちゃくちゃめんどくさくてうんざりはしたが、この程度の雑用なら今後も引き受けてもいいかなと一瞬思ったものの、そんな宣言などしなくても、そのつど引き受けたり受けなかったりすればいいやと思った。
簡単に自分を売り渡してはいけないな。

パン屋に行けなかったから食堂で肉丼を買ってたべた。
どうしてもパンのようなものが食べたかったから、帰り道、遠くのスーパーまで歩いた。

4/26(水)

国立国際美術館のピカソとその時代展に行った。

ピカソは色がきれいだった。
クレーの絵はかわいすぎて、
マティスも派手でよかった。

今日は知ってることばかり話してしまった。
だからといって快感はなく、少し悪口っぽくなる時もあり、しゃべりながらこういう話がしたいわけではないと思った。絵の話、すればよかったな。

4/25(火)

人に、問いを投げかけられて、しゃべったことのないことをしゃべっていた。問いがよいと、わからないことについて話してみたくなるのかも。

4/24(月)

今日の仕事の進め具合すごかったな。

結局は授業の自己評価を、相手(生徒)から漂ってくるものにゆだねてしまって、それに一喜一憂するから疲れるんだろうな。
自分がよければ「いい」のに、人の反応や表情を主体としてしまう。振り回される。

今日はサクサクやれたな。
授業の最初に奈良の話をして、けっこう聞いてくれたからかな。鹿の絵かいたし。
また相手の反応見てる。

全部パウッと解決! (『パウパトロール』というアニメの決めゼリフ)して、夕方になる前に走って帰った。

スーパーに行き、切らしていた本だしと目に入った野菜を買った。帰ったら全部カットの儀をしようと急に決める。米も炊く気になってくる。
え、何それ平日にすることじゃないよ。

家に帰って、白菜、チンゲン菜、小松菜、どんこ椎茸、にんじん、玉ねぎを切りまくって冷蔵庫と冷凍庫にいれた。

昨日の選挙の解説をしてほしかったから、radikoで荻上チキのsessionを聞きながらおこなった📻️

ぶ~なかよのひとりごと日記で、かよちゃんが「選挙わからん…誰か…。とりあえず投票いってきます」と話しているのがおもしろかったし、私もアバウトに投票してるから、選挙にどう立ち向かうか? の話がちょうど出ていてめっちゃおもしろかった。選挙の解説のところだけでもぜひ。


『センキョナンデス』って映画も見たい。

あすぴーも選挙のこと書いてた。めっちゃよかった。こんな若者たちがいる。前途洋々じゃ。

選挙の話、授業ですればよかったね。

🍙

ごはん炊いた。
野菜食べまくった。
洗濯した。
自分は働き者だなと思った。

💤

ゴールデンウィークのことを真剣に考えはじめた。

4/23(日)

奈良でピクニックした。

友達が、レジャーシートとウェットティッシュを持ってくね! というから私も持っていった。

若草山に登った。

途中の茶屋でうどんを食べた。

若草山はめっちゃ緑で、上から見ると街はきらきらしていた。
こんな緑を見たかったんだ。

数日前、薬師寺の塔の修繕が終わったというニュースを見て、奈良に行きたくなった。呼ばれてる気がしたの、合ってた。

若草山の三つの山を登り、レジャーシートの上でしゃべった。

昨日あんなに頭から離れずにつらかったマスクの話は一気に消え去った。自然が全部消してくれた。


一番目の山


二番目の山


三番目の山で、われわれのラジオの話をした


塔が好き。(興福寺)


いたーー♡


4/22(土)

ヨガに行った後、いつもの神社で『マスクのことでもう悩みませんように』と祈った。

昨日、時間がちょうど合ったので友達(同僚)と一緒に帰ったのだが、友達は『今日は一日マスク無しで過ごして快適だった!』と言った。あれ。その話、さっきトイレで会った時にも聞いたけどな、と私は思った。
友達は、これまでは授業中もマスクをしていたが、今日は暑すぎて火照りがひどかったのでマスクを外して授業をした。生徒たちには、「政府もいいと言ってるし、まずは先生が外さなければみんなも外さないと思うから外します。日本は同調圧力が強い国だからみんな外さないけどね。もし私がマスクを外して授業することに不安を覚える人がいたら、後でこっそり言いに来てね」と言って外したのだという。教室内には、それを聞いて同じようにマスクを外す生徒もいたらしい。

🎭️

生徒のマスク着用状況は人それぞれで、割合としてはつけている子の方が多い。
偏見かもしれないが、いわゆる声の大きい子が積極的に外しているようにも見える。偏見かな?

私は学校ではやっぱり外したくはなく、それは容姿について残酷な言葉を投げられるのが嫌だからだ。
教員は、職員室では外してもよいが、授業中はひとまず政府が最初言い出していた「5月○日」(私は忘れた)まではマスクをしてほしい、と学校側に言われていることもあり、それにしたがっている模様だ。
つまり、友達は少し勘違いをしていて、同調圧力ではなく、学校側の要請…というか指示である「5月○日」までの期限を守ってみんなマスクをしている、ということなのだと思う。だから、厳密に言えば友達の方が「学校の指示をやぶった」形になるのだが、私から「それは学校側の指示をやぶっているよ」と言うのも馬鹿らしいしそれは私の言葉じゃないので言わなかった。自分の考えで「指示をやぶって」いるのならそれもまたよし、とも思う。

でも、私に何回も言ってくるなよ!!! と思うのだ。
私は生徒のルッキズムの残酷さを知ってるから、この学校ではマスクを外したくない、ということについて、何度か友達に話したことがある。つまり、学校でマスクを外すことについて正反対の意志を持つ相手(わたし)に、2回も続けて同じ話をするなよと思うのだ。
帰り道、友達はさらに、「『先生が外さなければみんなも外しにくいでしょう』と言ったら、何人かの子は『そうそう!』ってうなずいてた。『外してほしくない人はあとからこっそり教えて』と言ったら、『そんな奴おらんおらん!!』と言ってたから、やっぱりみんな外したいんだなと思った」と言う。

私は単純に、なんか怖い話だなと思った。私がそのクラスに生徒として居たとしたら、そのすべてが怖いと思っただろう。『そんな奴おらんおらん!!』と言ったのは声の大きい生徒だろう。自分こそ、同調圧力に負けてんじゃん。
その話を聞いた感想として、私は「声の大きい奴は嫌だな」と言ったが、友達に対して言うことができたのはそのぐらいだった。
私の心の中には恐怖だけが居座り、増大していくのを感じた。

🌝

家で一人で考えていてわかったことがある。それは、友達は不安だったのではないか? ということだ。
自分だけが授業にノーマスクで行っていて、他の教員はみんなマスクをしていることに対して、心細く感じたのではないだろうか。みんなは学校の指示にしたがっているだけなのだが、友達は勘違いをしていてみんなが同調圧力に屈しているととらえた。自分の頭で考え、決断し行動したというのに自信が持てず、どうしても不安になってしまったのに違いない。それで、その不安を友達である私に2回も吐露したのだろう。その時の彼女には、私が学校でマスクを外したくないと思っていることは見えていないのかもしれない。見ているのは、ただ不安と不満を言いたいというその一点のみ。
自分に置き換えて考えてみても、私が職場の仲の良い人に話したい衝動に駆られるのはどんな時かというと、嬉しいことがあった時、つらいことがあった時、めちゃくちゃ腹が立った時、困っている時、それから不安でなぐさめてほしい時だ。
友達は「マスクを外した爽快感」を伝えるつもりで、本当は不安に突き動かされたのに違いない。これが同じ話を同じ人に、一日に2回もする理由。

🕵️

友達の不安はともかくとして、私はまんまと恐怖に感染し、昨夜のそれからと今日にいたるまで、たびたびマスクのことを考えてしまった。うざい。それが一番罪が重い。
それで、神社に祈りに行ったのだった。それでもまた考えてしまったから、こうして書きました。なーむー🙏
でも本当はこの話を本人にするのがベスト。言おう~。

神社に続く道🌞

書きました!

4/21(金)

テスト作りが嫌すぎて足の先から頭の上まで激しい感情が上がっては下がるというのを繰り返し感じた。
というか、テスト作りを自分の仕事とは認めていない。そのお金はもらってない。私の時間もあげてない。
同じチームの正社員たちに、「ちょっと抱えてる仕事が多くて無理なのでお任せしたい…」と春先に言われたのは非常勤の私と2年目の女の子。
私はかなり粘って、それは難しいということを言ったし、正社員たちが作る他のコースのテストを流用し変形することを提案したが、「僕、テスト作るのめっちゃ遅いんですよ」と瞬時にドアを閉められる始末。この優しくなさ何? おじさんと、もっとおじさんである正社員二人はそのまま黙り、2年目の女の子が「じゃあ私作ります」と言うまでその時間が終わらなかった。
2年目さんと私は、後からふたりで話し合って、本来は引き受けたくないという意思の確認と、ただし、2年目さんは「経験として、一度はテストを作ってみたいとは思っていた」と言うからそれもあっぱれで、ようやく私も今回はお願いすることに同意した。

「外の人」である非常勤講師にテストを全部任せるなんてどうかしている。しかも経験の浅い先生に、年度最初のテストを作らせるなんて。偏見を承知で言うけど、正社員おじさん二人はどーせ家庭内でも「家のことは君にお任せするよ」タイプだろう。古いし、やさしさとコミュニケーションがない。一気に嫌いになってしまう。

私だけであれば、断り続けるという方向で戦いのゴングが鳴ったところだが、そこには2年目さんがいた。
それで、ひとまず今回は2年目さんに作ってもらい、年度最後のテストの時期には私はスケジュール的にマシになるので私が作ってもいいかもしれないほんとは絶対にいやなんだけど。という方向にするとして、残り3回のテストは「中の人」二人に作ってもらうという作戦で交渉をしよう、と「外の人」二人は決定した。

📝

2年目さんはミッフィーが好きなようなので、ミッフィーさんと呼ぶことにする(≡・x・≡)
ミッフィーさんは、さっそくテストを作って見せに来た。作る前に、同じ教科の別のチームの人にもアドバイスをもらいにいったと言う。私はいつもすぐ帰るから夕方はもういないのだけど、いろんな人に聞いて頼るなんて超たのもしい✨と思う。

テストを作るのが好きと言う人もたまにいるし、今日もテスト作るの絶対嫌と愚痴ったら「え、私は好き」と返す人に遭遇したが、それはもはや趣味の領域だと思う。私の趣味はそれじゃない。

ミッフィーさんが授業に行っている間、私は居残りをして、もらった問題用紙の中から不備や直すべきところを見つけ出した。そして、どうやって伝えようか考えた。
それだけで、滞在が一時間延長している。金曜日の午後に。この私が。

ミッフィーさんはとてもよいのだが、誰が相手であるかは関係なく、実際は新人さんのこういったケアも「中の人」の仕事だと思う。
でも、私が最適だということもわかっている。
私以外、こんなに的確にポイントを見つけ、改善に向けて明るく建設的に相手とやりとりができる人は存在しない。
だからといって、腕まくりする気にはならなくて、終始、テスト作りたくない作りたくない作りたくない、が頭の中を侵していた。

授業を終えたミッフィーさんが戻ってきて、私は、発見したポイントを伝え、改善に向けて一緒に考え始めた。
思えば過去に、自分が作ったテストを見せた相手に死ぬほどくだらない理由で修正を求められたことがあったな~と薄く思い出した。あのミドルリーダー。張り切ってたな~、上滑りしてたな~、うざかったな~~~声めちゃでかかったな~~~。おじさん。
たとえなりたくとも、自分はそういうものになりようもないのだが、いざ若い人と向かい合うと緊張し、必要以上に気を遣う気分になる。
しかしミッフィーさんはとてもいいので、私とのやりとりのなかでも、一人で引き受けすぎず、頼りすぎず、明るくよく笑い、感謝を忘れずにいて、楽しく行うことができた。直してきます! と言う。ありがとう。
そしてそれはさらなる延長一時間だった。そのことをミッフィーさんが謝ってくれたけど、それも変で、でも言ってもらえるのはありがたいと思った。
生徒ではない、大人の若い人とでも、自分はきっとうまくやれると思えるのは、やっぱり思い当たる顔顔顔があるからだろう。

家に帰って、ミッフィーさんとの楽しかったやりとりと、どうしても絶対にテストを作りたくない作りたくない作りたくないということが交互に思い出され、少し混乱した。

4/20(木)

やっぱり歯が痛すぎて歯医者に行った。
昼に電話したら、最速で今日の4:00が空いてますと言う。
行ける?……行ける!

すべての日が6時間目がないマイ時間割サイコー。
毎日朝早くから行ってるんだからそれぐらい。
早く帰れること。早く帰ろうとすること。というのが大事だった。

知覚過敏と噛み合わせの不具合とかで、歯を調整してもらう。
虫歯の疑いもあるものの、優先順位と治療方針を説明されてすべて納得する。
私が遠くから来ていてあまり通えないことも理解してくれている。
しばらく冷たいもの禁止。
今日アイス食べたかった!☀️😵💦

授業中、教科書とともに入試用問題集を広げている子がいる。毎年いるし私も学生時代にしてたけど、実は何も頭に入らないんだよな。先生への罪悪感と、授業で行われていること&内職の両立=思うようにいかないままならなさ。それでそわそわ落ち着かない時間を過ごすだけ。
教科書は入試に出ないから、とかれらは言うけどな。

去年、見事国立大合格を果たした子は、毎回いちばん前の真ん中に座り、1秒も目を離さずに私とホワイトボードを見ていた。ノートにはホワイトボードの丸写しじゃなくて、自分の理解した形で書いていた。どの授業もそうだったと聞いた。そんなこと普通はできないんだけど、やっぱりそれがいちばんシンプルで良いんだから結局うまくいく。自然とか普通ってこういうことなのかもしれない。学ぶ~。

今日聞いた吉報は、その子と同じクラスで仲良しだった子も京都の公立大学に合格したということ! 二人は最後まで励まし合って頑張ったそうだ。とりわけ二人は、私の授業の課題でも思慮深い文章を書く人たちだった。そしてそのクラスの誰も、ひとときも寝たりしてなかったんだよーーー! すごすぎ。いいムードがクラスに循環していた♻️

このことを今目の前にいるひとたちにも伝えたい…けど、伝え方難しい。

ひとまず、私は自分のこの授業でよかったのだと思えた。(もちろんかれらは自分で受験勉強していた。予備校にも行くと言っていた。)
私は、カリキュラム的にも、多様なメンバー的にも、授業で受験対策まではできない……と思いながらの教科書中心型に割りきってやっていて少しだけ罪悪感もあったけど。私は私のできることをやったんだ!

4/18(火)

ぐあ~楽しかったぞ!
反応があるのはうれしい。うれしくてうれしくて飛び上がってしまう。それはもちろん伝わる。循環♻️

あんな風に返してくれるなら、私のやりたいことができるかもしれない。
一人じゃないっていうことだけでいい。

🏫

おーいみんなー!
『現代文』はもうなくなって、『論理国語』と『文学』になったよ。

『論理国語』、変な名前。すぐ忘れる。教科書の題名を見て、「本気で言ってる?」って毎回思う。
『文学』も、ちょっと重いよな。

私は2年生と一緒に『論理国語』をやる。
3年生は旧カリキュラムの最後の学年だ。つまり、この世界で「現代文」を最後にやる人たち。それもやる。

2年生の最初の文章の筆者は宇野常寛だった。
あたらしくて、いい文章で、私は大好きだ。
でも難しい。時間数が少なく、たぶん高校生にはわかりづらい文章だ。
段落ごとに読む、いわゆる精読はしないように、とチームリーダーから言われたことにもムカついてくる。
私はプリントが嫌いだしパワーポイントも嫌いだ。つまり、パワポみたいな、プレゼンみたいな授業は大嫌いだよ! 効率重視で、どんな文章でも必ずパターンに当てはまるから読まなくても文意はわかる、読まなくてもいい……なんてくそくらえだよ!

いろんな情報が入ってきて混乱する。
「何からやったらいいかわからんくなった!」と職員室で出発間際につぶやいたら、みんなが心配してくれた。

チャイムが鳴って、ホワイトボードにタイトルと「宇野 常寛」と書いたら、口が勝手に『水曜日は働かない』のことをしゃべり出したので驚いた。
『水曜日は働かない』は宇野さんの著書だ。水曜日を休みにすれば、すべての日が休日に隣接するからみんな休もう、という説の提唱で、現代の働き方や休み方をはじめ、見直すことを提案している…と、私の口が言ってた。

実は、明日は新学期お疲れさま~の「学校休養日」で、そのうえ水曜日で、納得と実感とご機嫌をみんなでともにしながら知るにはぴったりすぎた。
こういうことってある。
偶然とは思えない。キャッチしていたい。

難しい文章のえらそうな人……じゃなくて、面白いことを書く人だって興味を持ってもらえたらいい。
今起きていることを知るために「読む」ことが必要だって紹介できたらいい。

新しい教科の名前は変だけど、内容はあたらしくてとてもいい。私に合ってる。

職員室に戻って、めちゃくちゃ楽しかったと報告したらみんなが羨ましがってくれた。
先生もみんな、反応がほしいんだ!🌟

4/17(月)

しゃべる相手のいない席に座っちまった。
つまらんな~
休み時間にしゃべんないと、行ってる意味ないんだよな。
今は無き飲み会も、フリーアドレスとやらの職場の非固定座席も、誰のとなりに座るかが大事でしょ。
やれやれ。

🍱


何を食べたらいいかわからない昼飯

昼を越えると怖くなる。
もらったものを寄せ集めて持ってった。

4/14(金)

職場で人々が話すのが聞こえてきた。
先生気分で、生徒のことを知った風に語るのがうるさかった。
ああはなりたくないと横目で見つつ、ふと気付くのはあの人たちはよく生徒の名前を知ってるなということで、私は名前をあまり覚えていないということ。もしかしたら自分はいつの間にか一人ずつを把握することはやめちまって、全体に向かって話しかけているのかもしれないということ。
ラジオDJ気取りかよ! いやホント。
生徒たちの個々の反応が薄い(恥ずかしいのか目立ちたくないのか、世代の特性もあり)ということもある。それで、個人に期待する方向に限界を感じたんだ。いいように言っているけど。

でも、もうあんまり「一人」を見てないのもたしかだった。
全体の動きしか見てないのかもな。

それで、トークを頑張っている。リスナーにお便りを書いてもらいたいがために。

こんなこと、他の人はできないだろうなと心の中でマウント……事実を噛み締めつつ、いやいや、誰もしないって(ヾノ・ω・`)

🌺

呼び方は「くん」「さん」でも、流行りの「さん」で統一方式でも、どっちでもいいけど、みんなジェンダーフリーネームすぎていちいちどっちなのか確認して言い換えるのめんどくせーから「さん」に統一したい。
って今自分に言ってる。

🎹

女の子たちの多い元気クラスで「自己紹介してほしい」と言われ、何が聞きたいのか尋ねると、「家族構成とか生い立ち…」と言う。結婚してるとかが知りたいんだろーなそれめんどくせーなーとすぐに思い、ためらってから避けて、出身地やこっちに移り住んできたことなどを話したら、だんだん『あんまり詳しく(結婚とか)聞いちゃいけないかも』って思い始めてる? って感じがうかがえて、遠慮や気遣われていることを感じ、そういう気持ちや関係性って大事☆と思ったから、一人暮らしであることは言った。妹がいて子どもがいることも言った。子どものかわいいエピソードトークしたら、ちょっと場がまるくなった。
結婚とか恋愛とか恋人とか、それから願望とかの一般的世間的ゴシップ的な興味を満たす要素を私は持っていないから、期待されると応えられないことが辛くなる。相手が大人なら即激怒だが、まだ子どもだしなあと思うとあまりキツイことも思えない。
でも、またそれか。まだそれか。と思う。
「自己紹介聞きたいです」でも何でも、求められるのはうれしい。それとこれ(期待しないでほしいこと)は併存する。
だからDJに変身して、今自分がいちばん熱を持って話せる話をしてしまうんだよな。

🌟4/16(日)のドラマ『だが、情熱はある』第2話では、若き日の山里亮太も若林正恭も、それぞれの事務所の入所オーディションで『今自分がいちばん熱を持って話せる話』を披露していた。とくに求められてないのに、自ら手を挙げて。二人とも合格していた。

4/13(木)

授業の始まり。

何の準備もしていないので最初からドタバタしていた。
教室に向かって階段を登りながら、今から自分がどこのクラスに行くのかわかっていない。

授業開始時に生徒たちに説明しておかなければいけない大切なこと。
なんてあったっけ?
…無かったような気がする。
点数につながる提出物の種類の説明……?
なんぞバカらしい。
どうせ言葉にして口に出すのなら、意味があることを話したいよ。

📻️

昨日は遅くまで眠れなかった。
布団のなかで、学校のホワイトボード用マーカーはもっと多種類でカラフルな色にすべきだと思い付き、言いに行こうかと思った。
生徒に対して話したいことが沸き上がって止まらなくなる。暴走して頭の中が爆発しそうだった。
まだ見ぬ生徒に脳内で話しかけることは、数日前から始まっていた。そういう自分を外から眺め、驚いている。
しかし、ずっと何年も私はこうして話しかけてきたのだった。

目を合わせてくれたり、うなずいたりしてくれる子や、私が話すのを聴いている子がいた。
応答してくれる子や、クイズに答えてくれる子がいた。

よかったような気がするよ。

今日みんなでやったこと…

まずは白紙を配って…
○名前を書く
○紙を一番好きな色のペンでかわいくデコる
○私の話を聴きながら自分のエピソードを考えて書く

トークテーマ…

🔘最近始めたこと
(私は、天気予報を見ること)
🔘「○○しないでくれ」と思うこと
(天気予報のなかで気象予報士がクイズを出してくること。スッと天気言わない。リモコンボタンで視聴者のクイズ参加を募ったりするからけっこう長くなり、最後の全国のお天気が信じられない早口で伝えられる👄クイズいらん!天気予報を早く!!!)

🔘最近褒められたこと
(この前、かよちゃんと電話ラジオをやった時、かよちゃんが「やっぱり先生ですね~」と褒めてくれた。私が本の紹介をわかりやすくできたから)。
🔘最近嬉しかったこと
(手帳がなんと4月まであったこと!😭まだ新しい手帳買ってないめんどくさがり)
🔘自分にとっての「ユートピア」とは?
(ドラえもんの映画をみました)
🔘高校生ってエコバッグって持ってるの?
🔘私から呼ぶ際は、従来の「○○君」「○○さん」呼びでいいの?
最近は全員を「○○さん」呼びするのがトレンドのようだけど…?
🔘ラジオと私
(DJになりたい)
🔘ずっと頭の中で流れている曲&エピソード

などなど。

私はやっぱり少し頑張っていたけど、無理がなく、気安くて、よかった気がする。

あいみょんの「愛の花」を流した。


4/12(水)

同僚かつ友達からLINEで誘われ、家に遊びに行った。
絶対ヨガに行きたかったから、午前中神戸、午後大阪という詰め詰めの1日になった💅

本当は、ヨガの後はスタバで一人で予習するつもりだった。
学校明日からなのに、ノー予習かつ、ノー準備。

それでも友達と一緒にしゃべってる方がいい、そうしたいと直感で思ったから行くことにした。

友達も新学期の始まりが何か不安で心細いようだった。送られてきたLINEからそんな印象を受けた。

🚃

昼ごはん作ってくれるって言うから、デザートにケーキを買って行った。

🍝

しゃべりにしゃべった。
不安と懸念と、私は人に対するお怒りエピソードをおもしろに変えて🍰
たぶん上手に変えられたと思うんだよね。

よくしゃべったので満足した。

本当はこのくらい毎日しゃべりたい。
でも日々一人で過ごしていて、自分の中で醸成させたことによる仕上がりというものもあるのかもしれない。
仕上がる前に垂れ流すのが、私にとっていいのかはわからない。したいかどうかもわからない。
でも、日々はあまりに一人なので。
仕事で「授業」っていう一人の特性が際立つことをしているという事情も加わると、やっぱり私は日常的に持つにしては「一人成分過多」な気がする。持ちすぎて、精神の健康に支障をきたしている気がする。
基本的に「受け止めすぎる」から、一人でいるとしんどさが積もっていき、募らせてしまう。
かなり的確に自己分析できたな。いい感じだ。

友達が、「ちょっとー! 明日から学校始まるの不安だから家来て!」ってニュアンスのLINEをしてきたことについて、偉業だと感じる。
言ったら助けてもらえる。
分かち合える。
つらい時は私も素直に声をあげよう。

🍃

家に帰ったら、突然頭の中で音楽が鳴った。

冬の初め頃から、曲が流れなくなっていた。
流したい曲も聴きたい曲もなかった。
原因はわからない。もう飽きたから、場所を移らなければならないのだと思った。

🌱

朝ドラは、新しくなってから飛び飛びでしか観ていない。
『舞い上がれ』みたいに、誰か、好きな人に勧められなきゃみれないよ。
でも、流れる主題歌とピンクのタイトルが朝からめちゃかわいい。

神木くんのところからみようかな。

もう頭の中に流れて離れない。この曲を明日は授業で流そう。

○あいみょん『愛の花』



あいを、あいをあなたへ
あいに、あいにきてほしい

というのが気持ちいい。「あい」と発語するのは気持ちがいいんだな。

4/11(火)

朝6時ごろまで本を読んでいたから、起きたら昼だった。
届いていたLINEによれば、妹の子ども(3才)は、今朝、初めての幼稚園バスに乗って行ったらしい。泣けるっ💧

授業の準備をする気になれないので、ラジオをつけて米を炊いた。
米を炊くのは3ヶ月ぶりとかではないか? 少なくとも今年初だ。
おむすびにして冷凍するのだ。学校が始まったら昼飯に持っていく。
それから、カブを切ったりセロリや椎茸やじゃがいもを切ったりした。キウイも🥝

授業の準備じゃなくて生活の準備をした。
つい、生活よりも仕事を優先させがちだ。ちょっと変えてみたくなった。
そんな新学期は初めてでなんか気に入った。

4/10(月)②

もうすぐ仕事が始まるから頭痛クリニックに薬をもらいに行こうと思った。
近頃、もうすぐ仕事が始まるから、という理由で備えようとすることがちょくちょくある。自分は真面目だと思う。

朝うまく起きられず、すべての予定をやめるかどうか迷った。
本当は、銀行で年金払い込み→頭痛クリニック→ドラえもんの映画(12:00)。全部西宮北口。

電車に乗ったが、映画にしか間に合いそうになかったので映画館へ行った。

待ち時間に、別のクリニックに電話する。来週受けようと思っていた検査は、新年度のスケジュール的に難しそうで予約日を変更したかった。人気なのか、枠が少ないだけなのか、空きが無くて7月になってしまい、軽く落ち込む。さらに、「もう変更はしないでください」と怒られてムッとする。仕事で行けなくなったから変更したのだが、こっちも安易な仕事最優先人間ってわけでもなく、自分にとって負担の少ない方法をよくよく考えた結果だった。果たして延期してよかったのか…という不安も重なり落ち込む。今日は、うまく起きれなかったことから始まり、全部ダメな日のような気がしてくる。
頭痛クリニックも行けるかどうかわからなくなる。薬も効いていない気がするし、今頭が痛くなければ、もういいのかもしれない。

『映画ドラえもんのび太と空の理想郷』、とてもよかった。なんであんなに泣いちゃうのかな。消えちゃうってわかるからかな。
これで少しは高校生と話せるだろうか。

映画を観ながらビールを飲んだら頭が痛くなってきた。こういうタイプの頭痛もあるのだった。

妹から、今日子ども(3才)が幼稚園に入園したよと写真と動画が送られてきた。
子どもは先生に名前を呼ばれ、大きな声で、練習した「はーーい」を言っていた。(長めに伸ばす)

お祝いと頭痛な自分のなぐさめに、ケーキを買った🌸

銀行で年金の支払いを済ませた。これで一年間年金のことを忘れられる!!! 残高の数字は私のせいじゃない。

迷っていたが、ちょうど午後の診察開始時刻になったから、頭痛クリニックに行くことにした。
「薬をもらいにきたんですが、効いているのかはわかりません…。」
と受付でわけのわからないことを言ったら、「2回目の方は診察を受けてくださいね」と言われて、ぜひそのように! こちらこそ! とお願いをする。
自分で決められることばかりじゃないということを時々知ると、すごく安心する。

先生は、相変わらず一生懸命頭痛の原因と対策を考えていた。
薬が効いてないということは、イコール諦めるということではなく、別の方法に変えるということなのか。そうなのか!

肩こり+偏頭痛と、ビタミンの薬と、偏頭痛用の痛み止めを処方された。

経過を知りたいから2週間後に来てくださいと言われる。
そうか。私の頭痛に付き合ってくれるんだな。
そして、私は自分の頭痛を何とかしようとしてるんだな。すごくえらいな。

💊家に帰って飲んだら、偏頭痛用の痛み止めが効いた。

夜中に急に読み出した本が面白くて止まらなくなり徹夜した。これが春休みにすることよ、と思ってめちゃくちゃ嬉しかった。

夜中にクスクス笑い、時々泣いた。
まだ終わってない。終わりたくない。

○津村記久子『水車小屋のネネ』

大人の本なのに(児童書じゃないっていう意味)、挿し絵がある。たびたびある。
児童書っていってもいいのかもしれない。
たしかに、子どものころ、図書館で借りて夢中で読んだ分厚い児童書に少し似ている。

出てくる人たちは、ネネ(ヨウム)のことを変に動物扱いしたり、自分より低いもののように接したりしない🦜
それと同じで、子どもに対しても、決めつけたり侮ったりしない。
対等な人同士のやりとりで、それだってもう「ファンタジー」なのかもしれないけど、津村さんが描く「現実」ってこれなんだと思うと、自分の見えてない世界の方を見てみたいと思う。

視点が全部公平で、津村さんだな~と思う。

「家族というものが資本にならない人、親に理解されない、親が力になってくれない状況を乗り越えていく人を書きたかったんです。たとえば理佐たちの母親がああいう人であることは、子供たちのせいではないですよね。自分とはまったく関係ないことで子供が苦しめられるのは理不尽だと思う。そういう子供たちが、周りの人たちのちょっとした良心や親切によって人生を立て直していく姿を書きたかったんです」

この〝ちょっとした〟良心や親切、というのが重要なポイントだ。

「登場人物はみんなわりといい人なんですけれど、無理させないことが大事だと思っていました。読んでいる人が〝この程度のことなら自分にもできる〟という範囲の親切にしたかったんですよね。強烈に肩入れして助けてくれる人がいて人生が変わった、という話は拒否したいんです。そういう話は読者を疎外するし、書いている私自身も疎外感を抱きます。そうではなく、みんなできる範囲のことしかやらないけれど、それが嚙み合っていく話にしました。なので登場人物同士の距離感は書きながらずっと管理していたと思います。

終わらないでずっと続いてほしい。一緒に生きていきたい。


4/10(月)①

週末は、友達からもう生きていたくないという内容の短いLINEが届き、いろいろなことを考えた。
慌てたり、電話をかけてみたけどつながらなかったり、言葉なんて思いつくわけないけどひねり出して、よかったら話してみない? と送ったりした。

でもたぶん大丈夫なはずだと考えたり、不意に心配が高まったりした。
そうやって本当に死んじゃう人がたくさんいる。

それで、共通の友達に連絡した。私は私のことも心配だから、一人で抱えてはいけない。
すると、他の人たちにも送っていることがわかった。その中で、ある人が返したという言葉を聞いて、私のほうが救われた。

死んだらまた会えるかなあ☺️
生きているうちにお互いに大切にしませんか♥️

いい言葉じゃない? 

夜になって本人と連絡がついた。少し荒れていた。
翌日になってしだいにやわらいでいき、少しずつやりとりをかわすことができるようになった。孤独や現在や将来の不安、現代日本で生きる苦しみなど、そういう私も持っていて時々襲われるものに追い詰められてしまったことが原因のひとつのようだった。

🌒

「死にたい」ぐらい、気軽に言いたい。
でも、実際に目にするとすごく動揺する。
でも、「『死にたい』なんて言わないで」なんて言えない。

友達本人と連絡がつくまで、そういうことがぐるぐると頭の中をめぐった。

「死にたい朝がある」って、自分が書いた数日前の自分の「川でピクニック」も思い出した。⬇️

死にたいなんて書いたらみんながびっくりして嫌な気持ちになるかなと少し思ったけど、きっと大丈夫だろうと思った。
死にたいって書ける場所があるのは、たとえそれだけであっても大事なことなのかもしれない。

4/7(金)


同じ教科の非常勤仲間たちが『授業の準備をしに、今度の金曜日に学校来よっかな~』と言っていたから私も行った。
外はしっかり雨だけど、今は出掛けて人に会い、話すのが大事だから。
が、二人とも来なかった!☔️☔️
連絡し合ったりしてないし、そもそも連絡先を知らない。
もともと、誰も来なくても責めないことにして家を出てきた。
そうやって生きているのがちょうどよくて、偶然が絶対にいい。

授業は来週中頃からなので、非常勤の人たちはほとんど来ていない。
本日は始業式で、午前中の早い時間に始まり終わったそうだ。

💻️

・支給されているiPadの再登録をした。パスワードを忘れているし、さらに深いシステムに入るために必要な秘密のアドレスが書いた紙の行方も忘れてしまった。軽く絶望したけど、いつも居るわけじゃない外部の係の人が今日は偶然来ていたから、助けてもらいに行く。パスワードの再発行をしなければならない…と言われるが、少し落ち着いてきて、諦めずスマホを取り出し試してみたら、iPadと連携されていたことによっていきなりうまくいった。
そしてそのように冷静になれば、紙の場所を思い出すこともできた。
私は12月の終わりから3ヶ月間学校に行っていなかったのでやっぱり少しラグがあり、実はそんなことも少し不安だったみたいだ。
不安なことを一つずつ自分のペースでやってよければ、人に助けてもらうこともできる。安心した。

・指導書をコピーして、使う教科書と単元の確認をした。
・お礼を言いたいと思っていたおじさんに、言いに行くことができた。
薄々気付いていたが、昨年度ずいぶん悩まされたある相手と今年度は関わらなくて済むような時間割にしてくれていた。私から頼んだわけではなかったが、おじさんは「できることはやりますよ☺️」と言ってくれたのだった。新年度は異動で部署が変わったけど、困ったら言いに来てくださいと言われ、「行きます!!!」

・私の好きなかわいこちゃんがいたーーー!会えてなかったから辞めちゃったのかと思ってた。今年は初担任なんだって。信じられないことだが、この世には、挨拶ができずにお別れすることがある。そうじゃなくてよかった。
・あとは何人かの人と雑談とか。

今日のことはもう十分にできたので片付けて学校を出た。雨めちゃくちゃ降ってる。
迷いつつ電車に乗り、決心して選挙に行った。私は投票できないと思いこんでいたけど、そういえば前回も、電車に乗って前住所付近の主要駅に開設されていた不在者投票所に行ったのだった。
と、昨日思い出したから。
電車を降りて駅前に出ると、強い雨のなか、共産党の候補者が演説をしており、多くの人々が傘を差して聴いていた。応援演説に国会議員が来ていたことも理由かもしれないが、その光景になんか安心する思いがした。本当にすごく雨が降っていたのにみんなが話を聴いていたから。


又吉君のエッセイを読んでるところ

家に帰ったら、今年分の年金の払い込み用紙の入った分厚い封筒が届いていた。
ぎょえとか、おのれ…とか、反射で思いそうになるのを頑張ってなだめる。最近よくお金のことを考えているので、これ以上自分の精神に負荷をかけるのはよくないとは思ったが、ひとまず無心で開封してみた。じっくりとよく読み、仕組みを把握する。そして、理解した。
私は振込用紙を使って1年分前納するのを挑戦してみることにする!  すると、3800円ぐらい安くなるのだ。本当にいちばん安くなる方法は「1年分前納」を「口座引き落とし」でやることで、そうすると4300円ぐらい安くなるのだが、そのための手続きは2月末に締め切られたのだと紙に書いてあった。そのことは悔しいが、ともあれ3800円安くなるのは大きい。私は今人間3回目ぐらいで、かつ、フリーランス2年半目だから、本当に少しずつ学びながらやっているところなのだ。
人間2回目の仕事していない時代には、年金が高すぎて怖くなり、市役所に申請して3/4免除だった時もある。だから、払うのがキツイという感覚が今も残っているし、先払いしてもし年度の途中で私が死んだらどうすんだ無駄じゃんもったいないとかも、わりと本気で思うほうだ。
それでも、たとえどんなに市役所の窓口でごねたとしてもどうせ支払うことになり、実際支払った2年半を経たから、今度は次の段階に挑戦してみようと思ったのかもしれない。

仕事仲間の友達は、大卒以来フリーランスひと筋の大ベテランで、私が以前、『年金・市税・国保が高い💢💢』と怒りまくっていた時には同調しつつ、しかし上から目線皆無で、『自分は少しでも安くなる方法として、年払いをしている』と言っていた。その時の私は、あんまり真に受けることができていなかったな。

近頃、いくつかの理由でお金のことを考えたり仕事を増やすことを考えてみたりしているのだが、そんな中にあって、この3800円のディスカウントにたどり着いたことは、人から見たら当たり前の知識で大したことのない金額だとしても、私には大層嬉しかった。それは、人間3回目の2年半目でやっと到達した、私にとってほんの少し生きるのがマシになる福音だった。

『ヤギと大悟』だって🐐
江口のりこが出ていて、超普通のテンションでめちゃよかった。

葉を食べるポポ🐐を見ながら、私も洗っただけのセロリを食べた。


4/6(木)

昨日は家で過ごした。文章は書いたが怒りが混じって暗くなった。
不安でたまらない今、家で一人で過ごすのはいけないということを実感した。
よくない想像しかしなくなる。誰かに会ってしゃべらなきゃいけない。

🧘

仕事じゃないのに、朝起きるのがつらかった(夜寝るのが遅すぎる)。
仕事が始まったら毎日この気持ちになって、毎日欠かさず死にたくなるのかと思ったらもう死にたくなった。
絶望を先取りするなよ。
朝の絶望は、一人暮らしだからなのかな? といつも思えてくる。

🚃

ヨガに向かう電車でも何だか暗い。耳に付けたイヤホンから、ラジオでこの国の現状を知らされるのもしんどい。(『大竹まことのゴールデンラジオ』)

今日のヨガは、先生の弟子のMさんが先生だった。(弟子先生は何人もいる。)
Mさんは生徒も兼ねているから顔なじみだ。
私が一番乗りの生徒だったこともあり、Mさんは何かと話しかけてくれる。
聞かれて、高校で非常勤の先生をしていることをしゃべった。今まで誰にも言っていなかったのも不思議だが、今言い出したのも不思議だった。Mさんの実家が昔私が勤めていた学校に激近だということを、以前何かのタイミングで聞いたことがあり、そのことをいつか言いたいと思っていた。ただ、学校を辞めた原因が自分にとって大きく、まだ消化できていない時点だったから話せないでいた。池の近くの立派な学校のこと。夕方いつも、でかい鳥が小島にとまり、鳴いていた。
今は、話してもいいと思える。原因も含めて、何でも言いたいし、自分はいったいどうやって話すだろうかと興味がある。
Mさんは近くの神戸屋レストランでバイトしてたということを話してくれた🍞もう潰れちゃったらしい。時期は重ならないと思うけど、私もテストの日のランチに同僚と行ったことがあるよ。

(つづく)

4/5(水)

ヨガに寝坊した。
思い返せば昨夜、電車の時間は調べたが目覚まし時計をセットするのを忘れた。

さてどうする。
教室は遠いのでどうしても間に合わない。
明日行く?
仕方がない。
切り替えるしかないが、そうなると今日会いたかった人がいたということが身に迫って悔やまれる。お茶に誘いたかった。

ヨガの他に、
・文章を書く
・神社でお参り

今日しておきたかったことを、家でする日にしてみよう。

4/4(火)のことを書く。

昨日って4日か。まだいいじゃん。
書かないでいると、脳内で数字が大きく見える。
書けないから書かなくて、書けないんだから仕方ないと思ってきたが、書いた方がいい。

髪を茶色にした。

4/1に新年度の全体打ち合わせがあり、学校へ行った。(土曜日なのに!!!!!)

数ヶ月ぶりに会う人たちもいて、『今年も一緒に働けて嬉しいよ♪(要約)』というようなことを互いに言い合った。
言い合ったっけ?
いや、願望による妄想で、そんなの言われてない。
「やめる」とか「やめたい」とか言ってたのにまた居たから、笑われただけのような気がする。
言われてないだけかと思ったが、自分だって人に言ってなかった。言わなきゃ、そりゃ言われないよ。
かわりに、惰性と脱力が私自身にも蔓延していた。
それは、悪いことだとも言いきれない気がした。
私は新年度、別の学校に行きたかったが、こうして見知った顔や光景、手順のなかにあることをたしかに享受していた。これはこれで、素直にありがたく受け取っておけばいいような気もした。

🌇

さまざまな行程を終えたらもう夕方だった。今日知らされたことについては、いいこともとまどいもショックもあり、職員室で放心していると、「それいいですね」とある同僚に言われた。「え?」 と言うと、「髪の色、いいですね、カッコいい」と言う。金色に染めた私の髪の毛のことだった。

長期休みに入ってすぐの頃、憧れの金髪を実行するべくブリーチした。気に入って、パーマもして、さらに明るい色にした。
新学期はどうするか? ということはあまり考えておらず、今日はそのまま来た。
周囲から明らかに浮いた金色の髪について、触れてくれる人は少なく、そのことはけっこう怖いなと思っていた。自意識過剰と言われてもいいのだが、明らかに異色の人がいたら声をかけるものじゃないか? と思う。それとも、触れられないほど変だった? なんか怖かった?!?!

今度学校に行ったら人々に聞いてみたい。「先生、何でこの前私の金髪に触れなかったの?」って。
ヤバい。攻撃的になっている。ケンカじゃなくて。

そんななか、果敢に褒めてくれた人の存在は光って見えた。しかも、その人に外見を褒められるのは初めてだ!
私はもっと詳しくこの金髪のどこら辺の何がいいのか聞きたかったのだが、愚痴を言いに来た人に邪魔されてタイミングを逃してしまった。

ところで、自分の愚痴を場も人も選ばず瞬時に垂れ流す人の脳ってどうなってるんだろう?
モラルって?
相手のタイミングって???

私もへとへとで、渡された新しいスケジュールにストレスを感じていたのだが、それを無尽蔵に垂れ流すことにも同じぐらいストレスを感じる。つまり、人に垂れ流されるのもストレスなんだよ。
だってあなたが私の愚痴を聞いてくれたことはないじゃない!!! 去年のある時、他に人がおらず、それでもこの憤りを持ち帰るよりはマシだと勇気を出してこぼしてみたら、「気にしないほうがいいですよ~」って言って終わりだったじゃない。
垂れ流すけど、人のは聞かないよね。

っっって、またキレてる!

2年半も同じ場所にいると、そういうことも見えてしまってつらい。

ともかく、すぐに愚痴る人が現れてひとしきり垂れ流して去っていった後、気を取り直してもう一度「この髪の色、いいですか?」と聞いてみたのだった。私はとにかく褒めてほしいのだ。何度でも。
すると相手は、「いいと思いますけど、管理職に何も言われなければいいなって。何か言われるまでそのままでいいんじゃないですか」
と言う。
は? そういうことを聞いてるんじゃないって。アドバイスいらねえ。てか、聞き直なさけりゃよかったな。がっかりするような答えも聞きたくなかった。いや、引き出してしまったのはこちらなのか。自由を愛する仲間だと思ったのに。小市民モードで自分と私と世界をくくらないでほしかった。たとえ、心配してくれたにせよ!

私は「聞かなきゃよかった」とそのまま垂れ流し、ショックのあまりさらに恨み言を言いかけた時、会話におじさんが参加しにやって来たので「『この髪の色、いいですね』って今言われたんですけど、どうですか?」と聞いてみた。すると、「いいけど、教育現場には向かんと思う」だって。そんなこと聞いてんじゃねえええええ!!!!!!

何重にもショックを受けて帰った。
夜、検索したら奇跡的に空いていたので美容室の予約をした。
自分がどうしたいのかまだよくわからないでいたが、相談しに行こうと思った。

💆

美容師さんは、「やっぱり学校が始まるから、色を暗くするんですか?」とは言わなかった。
逆に、「もっと明るくしに来たのかと思った」と言う。よくわかってくれている。
「そろそろこの色に飽きてきましたか~? 」とも言う。
救われた🌸

意地を張って金髪を貫きたいわけでもないし、誰かに言われて無難な色にしたいわけでもなかった。
自由を求めて管理職と戦う……ほどのことでは全然なかった。
とにかく、喪服職場なのだから、そんな場所で一人で戦うなんて無駄が多すぎる。
(職員は卒業式に全員黒い服を着てきて、喪服かと思ったという経緯。)

本当に戦う場所と時はあるのかもしれないが、できることなら選んだ方がいいに決まっていた。

私の金髪はきれいな色で、派手な服にも映えて素敵だけど少し飽きていて、見知った相手の前ならともかく、このまま新しい生徒たちの前に立って授業するのはなんかちょっと自分が気にしすぎてくよくよしそうだった。
そういうことも、美容師さんに最初から全部話した。

「させられる」のは嫌で、自分が「したい」のは何なのか?
自分にとって、より「いい」が多い方法は?

色見本を前に、自分では見つけられていない色を、人と一緒に見つけていく。
美容師さんは十分にわかってくれて、さまざまなパターンの予測や提案をしてくれる。
イメージしやすいようにiPadで検索した画像も使いつつ、基本はどうしても言葉による説明になるし、ほぼ不可能と知りつつ、こちらも言葉を求めてしまうのは不思議だと感じた。

相談の結果、パープルピンク♡にすることに決定した。
決定してから、『パープルピンク?』 と繰り返し、二人で笑った。
一生懸命金髪を避けて考えた結果のパープルピンク。職場に対して気を遣っているのか何なのか、もはやよくわからない。いや、職場と自分に気を遣っているんだ!!!どっちも大事なんだよ!!!

美容師さんが配合し、出来上がったカラー剤はかなりのパープルピンクで、声をあげる私に、念のためといった調子で「茶色の成分も入れときますか?」と確認してくれたけど、考えた末に断った。
その色の髪の自分を見てみたかったから。

パープルピンク♡に染めてもらいながら、美容師さんと二人で想像した管理職のおじさんは、出勤した私に、
「よかった。金髪…ではなくなったんやな。ホッ。暗くはしてくれてはる…。でも……ん? 紫? ピンク? ……春やな」って思ってくれた。優しかった。

仕上がった髪の毛の色はピンク寄りの茶色で、ブリーチとパーマを重ねた私の髪の痛み具合のためにピンクパープルがうまく発色しなかったらしい。ブリーチした分、透明感は出ているそうだ。やってみなけりゃわからない!
少しがっかりして、少しほっとした。
喪服集団のなかで一人かわいい服を着続けるのは、時々疲れるから。
ドライヤーで乾かしてもらいながら、「こうなると少し惜しいですね」と言うと、美容師さんは、「でも、色落ちしたらすぐ金髪に戻りますから。前よりもさらに白っぽい金になる」と言った。
楽しみじゃんっ。


だいすき😇金髪

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