見出し画像

11月は開脚できるように!なる!!🧘‍♀️(めぐみ)

毎回ヨガの時、開脚ポーズが全然できなくて悲しくなる。時間長い痛いつまらない長い痛いつまらない…と唱えるが何も変わらない。つらい。
先生も私ができないことを知っている。強制しないけど、声かけてくれる。「毎日やったらいいのよ」と言われたから、肩のストレッチに加えて毎日開脚することにした。

11/30(木)

来年はここで働かないであろうということを、職場の仲の良い人に言った。

言ったら直面しなくてはならない、寂しい、悲しい、と思って避けていたが、勇気を出した。

知らなかったらしく、「マジか……。僕は来年から誰と話したらいいんですか? 」と言われ、心を撃ち抜かれた。
言葉や、いつもちゃんと言ってくれること、こういうことによって私は生きているのだと思う。
満足した。満足するとした! 

それに、これで一人で寂しさを背負わなくてもよくなった。

私だって同じだ。来年から誰と話したらいいんだろう。

同僚から、友達になればいいよね?


11/28(火)

ヨガに行ったあと、何をしたらいいかわからなくなり街をうろうろした。

何がしたいかわからないから何をしてもうまくいかない。

予約していた眼科も、14:00まで待てずにキャンセルすることにした。
待てない、待とうか、待てない、キャンセル、なので、「待とうか」のターンで大戸屋でしっかりとした昼食をとってしまった。

ウェブで予約したのにウェブでキャンセルできず、直接眼科に行って13:50にキャンセルした。
もう行けばって自分でも思ったが、予約時のものもらいが治っていたし視力の低下も最近気にならなくなっていたから、診察代と時間と人とのやりとりを負担に感じた。

電車に乗ってラジオを聞きながら熟睡し、乗り換えても乗り換えても熟睡した。降りても眠いと思った。ココカラファインでトイレットペーパーと箱ティッシュと絆創膏を買った。

ヨガの間以外、一日中、近い未来の不安や人との別れ、自分は何かが至らないのだろうかということについて考えて悲しかった。



11/27(月)

人が作ったテストに不満を抱くのは自分の意地悪さか狭量のためだと思っていた。

けど、生徒目線になって、果たしてこれが解けるのか? と客観的に注視しているだけで、それってたぶん絶対誰かがやるべきことなのだと思う。絶対必要!絶対!絶対!

作ってもいないのに難癖つけるのは無礼、という考え方もあるのだろうが、重箱の隅をつついて私がテスト問題を全体的に整えているんだ! 
てか、他の人の目が節穴なんじゃないか?

重箱つつき人と節穴人だけじゃなかった。
異を唱える私の隣で話を聞いて問題を眺め、冷静に意見する人もいる。
彼が結果的に出題者の意向をくむことにくみしていたとしても、私は受け入れたいと思った。
傾いた私を反対側から支え、バランスがとられていると感じるから。
こうしてどうやら適材適所!
今夜もとっくに無償残業! オレは帰るぜ!

帰ったらかよちゃんから本が届いていた。
欲しかった又吉くんの本と、かよちゃんが作った9月の本。

又吉くんのことはこの数日、自由律俳句についてよく考えていた。

先日おじいに授業を褒められて以来、又吉くんの詠んだ

どのように褒めていたのか もっとくわしく

という俳句を思いだして、過去の作品集『カキフライがないなら来なかった』と『まさかジープで来るとは』と『蕎麦湯が来ない』を読んでいた。

Amazonのレビューで読んだ、「正直、あるあるネタとの区別がつきません」という誰かの言葉が脳から離れず、あるあるというのは乱暴すぎると思うのだがどう説明したらいいのか…と考えていた。
また、短歌との違いもわからず、人に聞こうかと思ったり、私は自由律俳句は作れるけど短歌は作れないと思っているのは何でだろうとか。

9月の本を先に読んだ。
こういうことをずっとしてるし、記録するのはいいことだと思えた。マンスリーで出すって考えてもみなかったうれしい。かよちゃんのおかげで9月も頑張っていたと思えた。最高の誕生日プレゼントっぽかった笑

連想的に、今週末の最後の授業のことを考える。
何かしたほうがいいのだろうか。
今日が最後のクラスもあった。
終わった途端、言えばよかったことがあれもこれも思い付いていた。

11/26(日)

この前煮た鶏めちゃくちゃおいしかったな。

遅く起きて、昼間から夕方にかけて何度も寝る。
ドラマ『きのう何食べた?』 を続けて見た。
クリスマスのビーフシチューと、お正月の豚の角煮がおいしそうすぎた。
今は料理をしてないけど、広い台所で人がいるならしたくなった。

昨日から今日にかけて何度も雑煮を食べる。
人生で はじめて買った 白味噌が 甘すぎる。

きのう何食べた? のエンディングテーマが離れなくなった。

11/25(土)

開脚して座り、どっちかの足に頭を乗せてぼーっとするのが気持ちいいと知った。
そうです。じつは一週間ほど前ごろから徐々に自分の足が開いてきたなと実感し始めた。
たしかに実感する、ということはこういうことかと知る。
そういうのはこども時代以来かもしれない。
それか、何かをコツコツ学ぶ時ぶり。
自分の変化を実感することに対する驚きと感動。
筋トレにはまる人の仕組みがわかった。
こんなにも(簡単に)実感できる「成果」なら、飛び付くわな。

こうして筋トレマンをターゲットに嫌みを言う自分も、ヨガのレッスンの際、開脚して立ち、ゆっくり前屈してついに頭が床に付く、という明らかな変化を経験すると、その満足感に病み付きになる。

少しの努力と継続がたしかに実を結ぶことと、自分の身体の強さを味わい信頼できることは、何も結実などすることのない日常のなかで、唯一の救いになるのかもしれない。

そんなことはどうだっていい。ともかく、開脚して座り、前屈したとき、頭をクッションに乗せてぼーっとするのは恍惚。


11/24(金)

noteの自分のページに書いたりしてたからまあいいかと思いながら、何も書かなかったり浮いては沈んだりを繰り返してた🌰

風が強い。

人と話すのが楽しい。そのことを毎回ちゃんと相手に伝えたい。

休みが多い。嬉しい。
出掛けない日が続き、これでよかったのだろうか…と思った日の夜のニュースで、『阪神オリックス大阪神戸合同優勝パレード』に集まる人波を見て、あぶねーー出掛けなくてよかった~と心の底から思う。
神戸行きか、帰りの電車で確実に巻き込まれていた予測。

🍩

ココカラファインとミスドにしか寄らずに帰ってきてしまった。
スーパーに行かなければと思ったのかもしれない。
ミスドで汁そばを食べながら本当にしたいことがこれだったのか疑問が残った。

寝すぎて変な方向に身体が歪んで痛い。
こんなに身体に気を付けているのに。そんなことないか。

金原ひとみ『ハジケテマザレ』。
コロナ時代のせいで派遣切りにあってバイトしてる主人公と、バイト先の人たちめちゃくちゃいい。人と永遠に比べてしまうこと、年齢容姿性別その他あらゆるすべてに縛られていることが嫌なくせに刻み込まれていること。に思い煩う主人公に対してバイト先の先輩がかけてくれる言葉がよかったし、こんなに見ててくれるなんて神だよなと思った。

高校生の最後の授業が近いから何か言えること(本の話)がないか探しているのかもしれない。言えることなんか無いけど。

スーパーめんどくさい。けど今日食べるお惣菜が買いたい。


11/12(日)

妹の子ども4歳と私と母の3人で遊園地に行った。
この前友達と子どもとひらパーに行ったから、遊園地行きたい…行けるかも!と思ったのだ。
他の人たちは保険の窓口に行った。

3人で地下鉄に乗り、東山動物園の遊園地に行った。
東山動物園の遊園地は60年以上の歴史がありますのよ。
私が初めてジェットコースターに乗った遊園地であり、初めて子どもだけで遊びに行った遊園地だった。

しゅんぴー(子ども)は全部乗りまくりたいようだった。
しゅんぴーのフリーパスで付き添いの大人1人も一緒に乗れる。
私と母は交代でしゅんぴーと乗った。
時々チケットを買い、3人でも乗った。
一番盛り上がったのは一番人気のスロープシューター。
ボブスレーみたいな乗り物で、レールがない坂道を急カーブしながらスピードをあげて滑り降りていく乗り物。子どもの時も大好きで妹とよく乗った。



←昭和36年の記事 
2023年の記事→

しゅんぴーは固まった表情ですべての乗り物に乗っており、悲鳴をあげているのは大人だけだった。
けど、時々『あれ! 乗る』と言ったり、通った汽車を突然指差して『いないね!』(誰も乗ってない)(自分はさっき乗った)と言ったりした。
フリーパスでは乗れない乗り物(小銭を入れて乗るゲーセンにある小さい車みたいなやつ)にもたびたび乗りたがったが、『腕に巻いてる水色のテープ(フリーパス)で乗れるやつだけね』と言って我慢してもらった。
帰りにおみやげ物屋に行ったら、しゅんぴーがある場所で動かない。
『ブーブー』と言っている。
バスの形の缶にクッキーがはいったやつ。ちゃんとタイヤが付いている。1400円もする。しゅんぴーは前に富士サファリパークに行ったとき同じようなものを買ってもらったはず。家にあるよね! と言って去ろうとすると、泣こうとする。泣きわめく勢いだ。さらに、『黄色!』と言う。オレンジ色のバスの方じゃなくて黄色のバスがいいらしい。意思があってすばらしい。

私は『買えないよ~』と逃げた。そんなに駄々をこねる子どもをどうしたらいいのか全然わからない。私には買いたいコアラのボールペンとキリンのボールペンがある。
結局、母が買った。母は、仕方ないじゃん、と言っていた。
迎えに来た妹も、黄色いバスを見て一目で、えっ! という顔をしてから、誰も傷つけない声と言い方で、『買ってもらったの?』としゅんぴーに聞いていた。しゅんぴーは、『みんな乗ってる!』と言った。たしかに黄色いバスには動物がみんな乗っていた。

帰ってから考えた。しゅんぴー、今日わがままとか言わなかったもんな。主張して通らなくても、こっちの話をよく聞いて、合わせてくれていた。黄色いバスだけ譲らなかった。

妹は家で、おみやげの意義についてしゅんぴーに話し、大事にしようね、下の子と一緒に使おうね、と言ったのだって。


東山動物園はコアラ推し🐨
東山動物園は大人500円で、遊園地も入れる。




11/11(土)

母の家で、母、妹、夫、こども二人、私でたこ焼きパーティーした🐙

妹は昨夜夫に激怒していたのだが、その話も聞いた。
二人から、こどもの発話にまつわる診断についても聞いた。
夫は私に電話してきた後のことも話した。
みんないろいろ話せてよかったなと思った。

私は次の職場どーする? とかでけっこう混乱したり落ち込んだりしていることを言えなかった。
『どうするの?』 と言われても困るしな~と思ったからかもしれない。
その問題から離れたくて名古屋に帰ってきており、でもその話をしなかったら意味がないのかな…と思いつつも、今あんまり言いたくないからいっか、と思った。

みんなが来る前にスタバで履歴書を書いたら何か元気出てきた。おもしろい履歴だなって'`,、('∀`) '`,、
3年前ぐらいに友達が撮ってくれた、上機嫌に身振り手振り付きでしゃべる私の写真を貼った。これでよしじゃん。


ポンタはバタークリームのケーキ



11/10(金)

来年度の仕事について。
この話誰にしたらいーんだろうとか、自分がフラットに考えられるのは誰に話したとき? と考える。
それで、それって相手に何か言ってほしいって期待してる思考だな~と気付く。
たぶん自分で到達したいのだと思う。ただその方法がまだ見つからず、経済の数字にズドーンと落ち込まされてやられてる。


11/9(木)

5限終わりに廊下で会ったジージに、『いい授業するなあ!』と言われた。
隣の教室で授業してたジージは、時々廊下に出て私の授業を見ていたらしい。

もっと!
ほめて!!!
やっぱり!
そうだろう?
いいだろう?
やっと来た! 私のことを見てくれる人!

と思うし、私だって自分のこと最高だと思っているのに、現実は4分の3の生徒が寝ていた直前の光景を無しにするようで素直に感謝と喜びを表すことができず、

でも…でも…、みんな途中から寝ていった…

と繰り返すことしかできなかった。

本当はもっとほめてほしかったしそこんとこもっと詳しく! 聞きたかった!

今週は他人の下す数字にとらわれて、世の経済の観念から抜け出すことができなかったから、このことだけがよかったことだった。
あとは、同僚と、教材をもとに、いわゆる『読解力』とは『読んだり観たりしてきた量や経験』のうえに成り立っているという話をしたこと。



11/8(水)


友達と会って話した。交替するみたいにお互いにポツリポツリと打ち明け始めたらけっこう深刻なモードに覆われた。どうしようもなく、無言になる。それでも一緒にいる。

喫茶店を出て、Bleu bleuetに行ったら芋の形をしたマスコットがあった。『ぽちゃまる』というらしい。
今になって気になっている。


11/7(火)

今日、人に『ありがとうございました』と言われたのがいちばんものすごく嬉しかった。

揉めていた件について、「無事解決しました、ありがとうございました」と言われて、昨日まで何かよくわからず自分の中で絡まっていたものがするするほどけていった。

自分の考えていることや気持ちを相手に直接伝えることは、本当に大切だと感じる。
言葉で言わないと、何を考えているのかなんて全然わからないものだ。
言葉がうまくなかったとしてもまとまらないとしてもたとえ恥ずかしくても、絶対に伝えなければならないんだな。

言葉でちゃんと伝える人だということを知り、そのことにも感銘を受けた。相手がそういう人だと私はとても安心する。

昨日までの時点では、

🌀
ここ数日いったい自分は何をしていたんだろう人のために怒ったりして。何て余計なお世話なのか。人の領域のことなんだから、かわりに怒って行動する(言いに行く)ようなことは本当はしてはいけない。分をわきまえなくては。したいなら本人がするだろう、代弁なんてできないのだから。

と思ったり、

🌀🌀
でも正しくないことや目の前で仕事を押し付けられたり軽んじられたりするのを見過ごすことはできないから、つい身を挺してしまう。せめてそれはジコマンだということはわかっておかなくてはいけない……。

と自分に言い聞かせていたところだった。

でも、その結果、揉め事が無事に落着すると、

🌀🌀🌀
それは私の挺身のおかげなのであり、私が一人で戦い続けたおかげなんだけど、しかしそういうのって見過ごされるものだなあ、人魚姫の献身と同じ……🧜もっとフィーチャーしてほしい…気付いてほしい…褒めて! 

🌀🌀🌀🌀

え! じゃあやっぱり人のためにやってるし、褒めてほしくてやってるじゃん! 純粋な善意じゃなくてヨコシマじゃーん! 

と、自分の中で感情が目まぐるしく動くなかで気付いた矛盾を抱え、どう処理したらいいかわからなくなっていた。

けど、ちゃんとお礼を言われたから、私がやったことは人のためでもあり自分のためでもあったという結論に素直にたどり着くことができた。
見過ごされず、相手とも共有できたように思えて嬉しく、自分の葛藤まで含めて報われたように感じた。

私が自分や他人に対して無意識に想定している細かさは度が過ぎているので、人に求めるものではないと思っていたのだが、この人は伝わる人なんだなとわかったこともかなり嬉しいことだった。
気付き、さらに言葉にして伝える人なのか。ミラクル嬉しいよ❇️🤩


11/6(月)

テストを作ってほしいと言われたので断った。

あれ!
今度こそデジャブ!
いいえ確かに同じ人からの二度目です!

私が告発したことにより管理職からの指導が入ったはずなのだが、注意などまるで受けなかったような当人の厚顔ぶりに、私の方がたまりかねて、「注意を受けましたか?」と確認したほどだ。

注意は受けたらしい。
「その上で提案を話しているんです!」 と ピシャリと言われた。

それ、その態度よ…。
それだと、助けてあげようとか協力したいとかを一切思わせないのよ。
そのことを当人に教えてあげようと思った時もあったのだが、何の義理も無いのでやめてしまった。
こんな風に、自分では気付かぬ自分のふるまいで、交流を滞らせたりこじらせたりしていることが、もし私にもあったらどうしようと思う。
だから教えてあげたかったのだが、次から次へ、その気も失せるような下手な言葉の使い方をする。

「1問ぐらい作れませんか?」ってコラコラ。
『ぐらい』って思ってるなら自分が作りなよ。
相手への尊敬と尊重が皆無すぎ。

忙しすぎてプライベートな時間もないぐらいで、家に帰って毎日教材研究しているからテストは作れないらしい。

マジかよΣ(・ω・ノ)ノ  (←気持ち悪い顔文字?)
1年目でもないのに?
要領とかいったいどーなってるんだ。

それはもう全然まわせてないってことで、やめた方がいい。向いてないんだよ。

延々と断り続けたらついに怒らせたらしく、「わかりました💢💢」と言われた。
わかってくれたならよかったよ。

しかし疲弊した。
このいさかいを煽るような人物も現れて、やりきれない気持ちになる。
その煽りの方がおかしいのでいちいち乗ってやる必要もないのだが、声の大きさのせいで、一瞬そちらが正しいのかとぐらつくこともある。

私が一人で踏ん張って、
『嫌』
『できない』
『そんなの変』
『正社員の人がやってほしい』と言い続けるのはとても疲れる。

なかには自分の事情ばかり話しまくって、結果、自分だけいちばん負担の軽い仕事をかっさらって去っていく人もいる。

あるいは、惑わされてしまい、『争うぐらいなら私が』と、さらに仕事を背負おうとする人もいて、そんな人のことはつい気になってしまう。
その人のことを守ることと、正しさを通すことは同じ結果なのだが、自分の身を挺して、主張しない人を守ろうとしているようにも思え、実際そうな気もしてきてよくわからなくなる。私はその人を守りたくてしているのか、それとも、自分の『嫌』を守ろうとして奮闘しているのだろうか。

どっちでもいいことなのかもしれないが、誰かのことを想定したり当てにしたりするのが嫌だし、守るとかも変だし、味方になる、グル?になるというのも、変で嫌なのだと思う。
本当はグルになりたいのかもしれない。もっとずるく立ち回り、負のオーラに巻き込まれて恍惚として悪口とか言いまくってもいいのにそれはしたくない。愚痴を言いたいわけじゃない。正しさや情で繋がりたいと思ってるだけだ。

帰ってからも、あれでよかったのか考えている。
厚顔で言葉が下手な人に対しても、私にもっとできたことはなかったのだろうか。
もっと情で繋がり、協力し合う道はなかったのだろうか。
この件の学びは。

ずっと考えている。



11/5(日)

信田さよ子、上間陽子『言葉を失ったあとで』面白かった。

信田さんの、

カウンセリングに来た人に対して
語りのフォーマットを用意しない、
言葉を禁止する、
「自己肯定感」や「母の愛」、「だって親ですから」なんていう既成の言葉を言わせない、
別の言葉で言い表せるようにしなきゃいけない。

という話がめちゃくちゃ腑に落ちた。

上間さんの『裸足で逃げる』、『海をあげる』を続けて少し読んだ。
この辺りの人たちのことがずっと気になっていて、自分にとってここに何かあるのだろうと思った。

11/4(土)

ヨガに行く電車で、昨日放送の『武田砂鉄のプレ金ナイト』を聴いた。
ゲストが作家中村文則で、リモートじゃない時の中村文則を初めて聴いたのだが、ほどよく弾けていて面白かった。

最新作『行列』の話をしていた。
SNSの普及により、歴史上もっとも比較を強いられる世界で生きているわれわれについて語っていた。
比較しないようにしよう、ということを言う人はたいてい成功者で、あまり説得力がないこと。
比較してしまうとしても、どうやって生きていったらいいのか、ということが書かれているらしい。
読みたい。

日本はもう底が抜けており、自分達で国の行く末を決めることができなくなっているのではないか。全てはアメリカの意向にしたがうという状態で、自律どころではなく、他律の状態だという。

「選挙に行かないということは、自分以外の他者のことをどうでもいいと思っているということ。」
と言っていたのが印象的だった。

われわれがいつしか刷り込まれてしまった『自己責任論』についても述べられていて、何か失敗した際には自分のせいじゃないかと思いがちだという指摘を聴きながら、昨日見た『神の子はつぶやく』を思い出した。
田中麗奈は『自分のせい。自分の出来が悪くてダメなせい』と、若い頃から会社でも言われ、自分でも思い込んでいた。

🧘‍♀️

開脚と肩ほぐしを日々やっているのでヨガに行くのが楽しくなった。

次のクラスの人と、着替えながら時々話すのだが、今日は思ったまま『ヨガってやっぱり気持ちいいですね!』と言ったら笑っていた。
いつも話したいけど何話したらいいかわからないと思っていたが、素直にこうやって言えばいいのか!とわかった。



11/3(金)文化の日

ひらパー楽しく行けてよかった。

枚方公園駅で別れてバスに乗ったら寂しくなった。
遊びの帰りは寂しい。
一緒に帰る人たちのことが羨ましい。

高槻駅でうろうろして、セリアでノートと化粧用手鏡と靴下とウェットティッシュを買った。
カルディーで欲しかったチョコも買った。

電車に乗って家に帰って『ハライチのターン』を聴いたら岩井がスピッツの『YM71D』を選曲していた。
聴いていたら泣けてきて泣けてきて泣いた!

歌は、『誰かと一緒にいたいけど 誰でもいいわけじゃなく』から始まる。

反則の出会いなんだし 目立たぬようにしてたけど
きまじめで少しサディスティックな社会の手 振りほどいた
言霊を信じれば開けるでしょ
王様は裸です!と叫びたい夜
やめないで……

歌詞に何かが呼び起こされたのだろうか。

💧

勇ましく戦った木曜日は、同時に年末調整の書類のためにこの一年の収入を計算してもいた。
前年度も全く高くなかったのに、別に落ち込まなかった。
何かや、誰かの発言と比べて『低い』と初めて思ってしまった自分の年収のこと。

その上、契約上、来年度はもうここには居られない。
他の人達が来年度のスケジュールの確認のため校長室に呼ばれて行くのを見送った。

でももうこれ以上の時間は働けないのだ
とか、
生活できているからいいのだ
とか思ったが、そう思えばいいと思ってそう思ったのかもしれない。

来年は居ない職場で、あんな風に同僚についての不服を管理職に申し立てても意味なんかない気がした。
職場環境がよくなったとしても、私には一切関係がないのだ。
違う。職場を良くするために告発しているのではない。現在の私が嫌だと思っているから訴えるのだ。ただそれだけだ。

『YM71D』の歌詞にある、『きまじめで少しサディスティックな社会』ってこの社会そのものだと思った。
物価高だが賃金は上がらない。
私の職種ではそれが普通だと思っているから誰もそんな話をしない。
物価高なのに賃金は上がらず、望むこともできない気にさせられて税金だけクソ高く、社会保険料もバカのように高い。まるで死ねと言っているようなものだ。

年収の数字に落ち込むなんて本当は馬鹿みたいで、強制的に落ち込まされているのだが(なんと、国によって!)、こうしてたまに直面したり、事象が重なってしまったりすると、まんまと落ち込んでしまう。

そのことを誰にも話せず蓋をしたまま、目の前の戦いにだけ一人出征してしまった。
管理職は同情的に話を聴いてくれ、その点だけはよかった。
が、スピッツの『YM71D』によって蓋が開き、泣いてしまった。やっぱりいろいろなこと、待遇や今後のことがつらかったから。
戦いも本当はつらかったのかもしれない。

やめないで 長すぎた下りからジャンプ台にさしかかり
マグレにも光あれ どこまでも跳べるはずさ二人

やめないで と言われると、なぜか泣いてしまうのだと思う。

タイトルの『YM71D』は『やめないで』の意味らしい。

何について言われていたとしても、やめないでは泣ける。

あ、そうだ。オードリーの東京ドームライブの二次先行予約に落選し、スピッツのライブの先行予約も落ち続けており、その発表が全部今日だったことも涙に拍車をかけた。
やっぱりスピッツはファンクラブに入らないとライブになんて行けないんじゃないかと考えて、年会費…と思ったらそれも払えないから入ってないのだという気分に一瞬なって、その『蟹工船』や『女工哀史』チックなムードに悶え、涙に溺れた。
一瞬のち、でもファンクラブに入ろうと本気で思ったことは今までとくになく、お金が原因で諦めてきたわけでもなかったことに気付いてすぐに顔をふいた。

💧💧


夜、NHKの宗教2世を描いたドラマ『神の子はつぶやく』を夢中になって見た。

1世を演じる田中麗奈の信心が鬼気迫っていて心を奪われた。
さらに、高校生の長女の担任が『おまえのお母さん、ヤバイね』と言ったのも同じぐらいの『信心』と『ヤバさ』で描かれていてよかった。

て言うか、この一家の場合、貧しさと支援の無さから宗教に出会い、のめり込んでいて、それは国の制度の問題じゃないかと感じた。誰も助けてくれず、助けてくれたのが宗教とその仲間なら、宗教に行くよ。


11/2(木)

テスト作りを同僚に押し付けられそうになったから教頭先生に言いに行った。

あれ? デジャブ? 
違う! 正真正銘二度めです!
犯人は別の人です!

ヤバい思いをしたらすぐに言いに行くようになったな~
立派だな~~
ここで学んだ大事なことだな~

2ラウンドほど本人と直接対決して、決定打となる暴言!を聞いてしまったので怒りが爆発した。
今回の相手は、屁理屈ばっかり言うやつだった。
コミュニケーション能力の問題かもしれないし、意思の問題かもしれない。
謙虚さが足りないのかもしれない。
容量超えかも。

私が別の学校で専任(正社員)として働いていた時は、クラス担任も進路指導もテスト作成も全部やったがな~
そうするもんだと思ってたから、休日も学校や家で仕事した。もうやりたくない。

あなたはいいねと相手に対し、皮肉をこめて思う。
私以外の非常勤の先生達はテスト作りも手伝ってくれる。まるで夢のようだ。授業用のプリントも作ってくれるんだぜ。
それなのに、『自分は担任業務と進路指導で手一杯だから、テストを作ってほしい』なんて嘘だよね? 
『お願いされても困ります』と言ったら、『じゃあ指示したらいいですか?』って、馬鹿なのかな? 

ゴングが鳴るのが聞こえた。
高圧的な物言いと変な理屈をすべて告発した。

🧘‍♀️

今日はイケヒコさんでヨガした。
飽きるのを恐れて、違う動画を試してる。飽きない。楽しい。


📺️❇️


菅野美穂のドラマめっちゃ面白い~~~
菅野美穂がおばさんに見える…ようにしっかり演じてる。
年若い青年との交流の中で(恋愛に発展するかもしれない)、嬉しくてニヤけそうになる顔を変なしかめっ面で抑えているのがリアルすぎた。

急な病気で意識を失い完全介護必須の寝たきりになってしまった夫(田中哲司)と、義母(三田佳子がおばあちゃんなんて!)という暮らしに、夫の同性恋人(鈴鹿央士)と、愛人(松岡茉優)とその子ども二人が転がり込む。というか、家に導くゆりあ先生(菅野美穂は刺繍の先生)。
みんな癖が強いけど、それでもこれだけ人が揃ってたらい~~~♪と思わせる。恋人でも同性でも愛人でも何でもいい。それでゆりあ先生がわりと自由に出掛けたり青年と恋に落ちたりできるのい~~♪
てか、介護にも子育てにも家事をするにも、家の中にこれぐらい多種多様な人々がめっちゃ必要~。
って思いながら見ている。

ゆりあ先生の赤い糸
#TVer



11/1(水)

ずっと寝。

「開脚 ヨガ 」で検索して、廣田なおさんの動画にした。

ポーズのつなぎに無駄がない。やさしい。健やか。かわいい。

10分がちょうどよかった。



この記事が参加している募集

文学フリマ

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?