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【ピン留め本】『佐藤可士和の超整理術』とN702iD。視点を変えるということ。当時、人生二毛作目の0歳。

2007年に黒船のiPhoneが上陸する前の出来事。ケータイ(ガラケー)しかない当時、新しいムーブメントが起こりました。デザイナーとコラボレーションしたケータイが登場。佐藤可士和さんとのコラボケータイN702iDを商品企画した時の思い出。人生100年時代、人生三毛作時代。一毛作=33年とすると、人生一毛作目の最後の歳、33歳の時の出来事。

佐藤可士和さんとの出会い

今では当たり前ですが、携帯電話でインターネットができることで一斉を風靡した「iモード」が誕生したのが1999年。僕は、その翌年、2000年からケータイの商品企画を担当。最初に担当したモデルはN502it。NECで初めてカラー液晶を搭載したモデル。その後もN50Xiシリーズ(mova)やN90Xiシリーズ(FOMA)というハイスペックモデルを担当していました。

2005年に初めてハイスペックモデル以外の機種を担当することになりました。それが佐藤可士和さんとのコラボレーションモデル「N702iD」でした。

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プラス(+)すること

N702iDを担当するまではハイスペックモデルを担当していたので新機種を企画する時は常に最新機能や最高機能をプラス(+)することだけを考えていればよかったです。ただし、ケータイのサイズに最新機能や最高機能を搭載するには相応の技術や創造性が求められます。

ぐらぐらゲームで例えると、プラスすることはバランス感覚を求められる一方、何のためにプラスしているのかを忘れてしまう時があります。マスコットを乗せ続けるほどにバランスが崩れる。実は、マスコットを落とすためにマスコットを乗せているとも言えます。何のためにプラスしているかを見誤ったり忘れてしまうとバランスを崩してしまう。当時のケータイは、そのような感じでした。プラスの意味を理解してバランスのよいモデルは生活者から選ばれて、そうでないモデルは単なる機能過多でしかなく選ばれませんでした。

マイナス(ー)すること

佐藤可士和さんと初めてお会いした時、N702iDの原型となるペーパープロトタイプを紹介されました。当時、曲線美で造形されたケータイが主流だった中、佐藤可士和さんは曲線美で造形された箇所をムダな空間と捉えて直線だけで造形した箱型のコンセプトを提示。曲線美の空間に実装されていた最新機能や最高機能をマイナス(ー)することで箱型のコンセプトを実現できるだろうという論理的な説明。

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プロジェクトがスタートして、毎週、佐藤可士和さんのデザイン事務所でミーティング。佐藤可士和さんは丁寧にN702iDのコンセプトを繰り返し語り、僕らの理解と共感を確認しながら箱型のコンセプトデザインを実現すべく、プロジェクトは進行していきました。

それまで担当してきたハイスペックモデルとは異なり、N702iDは想定したターゲットやマーケットに対して不要な機能をマイナスして実現することは簡単に理解できます。ぐらぐらゲームで例えるとマスコットを無闇矢鱈に乗せるのではなく、バランスを崩すのであればマスコットを下ろすということ。

プラス(+)やマイナス(ー)をしないでバランスさせる術

プロジェクトが進むにつれて、N702iDの箱型のコンセプトを実現するのは困難だという暗雲が立ち込めてきました。いくら機能をマイナスしても箱型のサイズに収まらない。しかし、佐藤可士和さんは技術者ではないけど実現できるはずとの確信があるとのこと。佐藤可士和さんが求めているのはマイナス(ー)ということではなかったのです。

グラグラするタワーにマスコットを乗せたり(プラス)、下ろしたり(マイナス)してバランスさせることに意識を向けるのではなく、グラグラするタワーに意識を向けること。グラグラしないタワーをつくり、マスコットを再配置する。つまり、既存のモノにプラスやマイナスして設計するのではなく、ゼロから考え直すことを投げかけていました。問題を解決できないのであれば、視点を変えるということ。俯瞰して眺めることで問題の本質にアプローチできることを示唆してくれました。

『佐藤可士和の超整理術』とN702iD。視点を変えるということから学んだこと

佐藤可士和さんから「視点を変えて問題を見極め、問題を解決する」ということを学びました。佐藤可士和さんと出会ってから1年半後の2006年2月にN702Dが発売。この間、毎週のように佐藤可士和さんとミーティングを重ねたものの、佐藤可士和さんからの示唆を理解できたのは発売して数年を経過してから。理解したつもりにはなっていましたが、実際に理解して学びとして身につく段階に至るまでには長い時間を費やしましたし、その間には佐藤可士和さん以外に多くの方々との出会いが不可欠でした。

人生100年時代、人生三毛作時代。一毛作=33歳。人生一毛作目の33歳(2005年)、そして、人生二毛作目の0歳(2006年)のタイミングで佐藤可士和さんと出会えたことに感謝しています。人生一毛作目ではプラスやマイナスの手法しか知りませんでしたが、視点を変えるということを知って人生二毛作目がスタートしました。

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