「探究学習って何なの?」と中学生に聞かれたら
私は気仙沼の公立の中学校で「探究学習」のサポートをする仕事をしています。探究学習って何でしょう?
10 × 10 = □
これが従来の学びだとしたら、
□ × □ = □
これが探究学習の形になるでしょう。従来の学びだと「問い」を出されて「唯一解」を教えてもらいます。10が10個あるから正解は100です、と。一方、探究は「問い」から自分たちでセットします。するとだいたい絶対解がないものになります。ですので、仲間たちと協力しながら「納得解」を出すという作業が待ってます。このプロセスがこれからの時代を生きていくために大切になります。社会に求められる資質・能力です。
10 × 10 ができないと仕事にならないじゃないか、と思わないでくださいね。メタファー(例え)です。雛どりにエサを与えるように、答えが決まってる問いをじゃぶじゃぶ与えて解かせた「だけ」では、時代に翻弄され続ける受動的な人生がその子に待っています。この変化の激しい不確実で複雑な社会を「豊かに生きていく」ための練習がこの探究学習です。と、ふだん授業で中学生には説明しています。
学校での様子は上のページをご覧ください。
さらに、その問いを社会や地域、自分以外の誰かのためプロジェクトに落とし込んでいくと、プロジェクト型学習(PBL)と言われます。実践型の探究学習ですね。高校生が挑戦する自分だけのプロジェクトは「マイプロジェクト」と呼ばれ、全国で大会(アワード)もあります。私は気仙沼の高校生のマイプロジェクトを日々応援していて、それもお仕事にしています。なんてわくわくする仕事なんでしょう、と自負しています。
ちょっとイメージが湧きづらいと思うので、高校生プロジェクトの事例は上のページをご覧ください。
さて冒頭に話を戻すと、この探究学習を公教育の現場で広めていく、深めていくことが私のミッションなんですが、大きな壁がいくつかあります。例えば「落ちこぼれ」問題。ここでの落ちこぼれとはテストの点数が低い生徒のことを指しているのではありません。やる気や思考力、コミュニケーション力など(総称してテストでは測れない非認知能力と言う)によって、個々の探究に大きな格差が生まれます。この「新たな学びの格差」には、学校の先生たちも敏感です。
「できない子はどうするんですか」
と聞かれたりもします。探究学習によって学びのプロセスが個々の生徒の進捗に依るなら、学びの格差はどんどん広がり、公教育が誇る「平等教育」と反するのではないか?その心配も非常に共感します。そこで、そもそも「教育の平等」について次回考えてみたいと思います。
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