れみ@24歳島暮らし
2/4日は私にとって大切で大好きな日。 「春になる日」そして、『私の誕生日』 24歳になりました🙌 お祝いは島の人たちがご馳走と、大きなケーキを用意してくれて、 たくさんの方から素敵時間・メッセージ・プレゼントをいただきました。 振り返ると、たった24年間かもしれないけど、いろんなことがありました。 まさかこんなにたくさんの人に囲まれて笑っているなんて想像もできない時もありました。 何をやっても一番下で、周囲ともうまくいかず、親の言葉に敏感に反応して、自分は必要ないん
厄を祓い、開運招福・病気回復を祈願する『節分祭』 島では20人くらいが円になって2-3mの数珠を回しなが祈祷する。 中心では護摩木を焚いて願いが成就することを祈る。 そして、最後に島の人たちが持ってきたお正月飾りや、古神符守札を護摩木にくべて燃やす。 そこに宿る神霊が元の御座にお還りになれるように、浄火を点じ焼き納めをする。 この景色を見ながら70代のおじいちゃんが「小さい時から見ている景色だ」といった。 当たり前に今まで続いてきた毎年の行事・文化。 でも、現実は高
朝、早く目が覚めた日 本当はずっとお布団にこもっていたい気持ちを抑えながら 朝日を見にいく。 道中に会ったおばあちゃんに 「こんな早くにどうしたの??」 なんて言われながら自転車を走らして5分 鳥の声と、海の音しか聞こえない朝の海。 朝の冷たい空気と潮の匂いがする海風を受けながら 防波堤に座り太陽が上がるのを待つ時間がわくわくする。 少しづつ顔をだす燃えるような朝日。 時間が経つにつれて周囲がオレンジ色に染まっていく。 目を瞑り深呼吸する。 冷たい空気が肺をを膨らませ
こんばんは。23歳島暮らしのれみです! 今日は私の好きな場所を紹介できればと思います♪ 岩のように見えるけど、岩じゃない。 島を一望できる石の上。 「はと石」 が私の大好きな場所です! 知り合いが来たら必ず案内してしまうほど笑 3mほどある大きさでも、序の口で、もっと大きな岩がゴロゴロある奇石の島。 岩を祀り、大切にしてきた昔の人たちが何回も登るからできた足場を上がると、島全体を見下ろす絶景が広がる。 どっしりと動かない岩に触れていると、嫌なものがどんどん無くなっ
社会人になって2年。島に暮らし出したのも2年前。 私が移り住んだのは 人口400人 高齢化率70% 周囲10キロの小さな島 【白石島】 船しか交通手段はなく、人口は減っていくばかりだけれども、だからこそ豊かな自然と生き方が残った島。 自給自足が残り、昔ながらの生活が残っている。 生きているだけでもいいと思える場所。 そんな場所にこれて本当に良かったと思う。 たくさん幸せをいただいたから今度は私がお返しをする番。 島の豊かな自然・生き方を中心にゆっくりできる場所を作
島に移住して2年経つが、自然の景色は何度見ても見飽きない。 それどころか、まるでアートのように良さがどんどん深くなっていく。 例えば、夕日を見に行くためだけにわざわざ行ったのであれば雲がかかっていて夕日が見れなかったのを悔やむかもしれない。 しかし、毎日見にいける環境になると楽しみ方が少し変わってくる。 実は、夕日が落ちた後がめちゃくちゃ綺麗になるのだ。 "黄昏時" 私はこの時間が大好きで、真っ暗になるまでずっと見入ってしまう。 もちろん落ちていく夕日を見るのも美しい
私は新しいことを見て体験することが好きです。 旅が大好きで、全国津々浦々海外も全部行きたい!!と思うし、どこででも生きていけると思っています。 だから、なんの迷いもなく22歳のときに離島に単身で移住しました。 そんな私ですが、今日急に投げかけられた問いにはっとさせられました。 「ふるさとはなぜ大切なのか?」 この問いを投げられた時あなたはどう思いますか? 今日福島から来られた方から投げかけられた問いです。 私は、「いつでも帰れる場所だから」かな。と思いました。 しかし
私は初めて島に来た時海の美しさと岩山の雄大さに圧倒され一目惚れしました。 そして、外から来たのにも関わらず暖かく声をかてくれる島人たち。 “こんにちは”と当たり前に挨拶を交わす。 少し歩くと畑が広がっていて、そこではおばあちゃんたちが元気に農作業をして半自給自足が残る暮らしをしている。 それが日常で当たり前なんです。 別に意識高い系な訳でもなく、すれ違ったら挨拶をして、自分たちが食べる分は自分たちで作る。 そして、畑の近くを通ったらいつもおばあちゃんが野菜を分けてく
島に暮らし出した頃、5月の気候が良い日。 外で宴会が始まった。(←15時ごろなので既におかしいが) その時に驚いたことがある。 テーブルに並ぶのは ビールか、焼酎か、栄養ドリンクか、コーヒー。 私はお酒が全く飲めないので、コーヒーをいただいたが、皆んな昼間から水のようにお酒を飲む。 それが一番最初の驚きだった。 今では当たり前すぎてなんとも思わないが、島のあるお店に行くと早めに伝えないとキンキンに冷えた生ビールがジョッキに注がれて目の前に置かれ乾杯が始まる。 皆ん
島に移住したころ何をしていいかわからなかった。 でも、"何か価値を生み出さないといけない"と思い焦っていた。 島の人と仲良くなるために一緒にウォーキングしていたある日 一人のおばあちゃんがそれを見越したかのようにこう言ってくれた。 その瞬間、私にかかっていた重圧が軽くなった気がした。 学生社会では、いい成績をとらないといけない、社会人になってからは、何か還元しないといけない。 価値提供をしないと自分の存在価値がないと思っていた私にとってはとても刺さる言葉だった。 お
採れたての無農薬野菜を「栄養のあるもの沢山食べなさい!」と頂いて 先住で、私より昔からこの家にいて家族に愛された器に盛る。 そして、私専用に島の人が手作りしてくれた竹お箸でいただく夕飯。 島に来て2年目いつの間にか当たり前に感じるようになった生活だが、こんなこと普通の生活をしていたらありえないんじゃないのか? と今日ふと気がついた。 そう思うとじわじわと心があったかくなって、「この時間ほど幸せな時間はないのではないか?」と急に幸福度が爆上がりした。 非日常が毎日続く
好きな人と過ごす時間は一瞬で ずっと続けばいいのにと心の底から願う思いは叶わない。 けれど、きっと毎日続くと、どこか当たり前になってしまう。 非日常が日常になると どれだけありがたいことかを忘れてしまい次の刺激を求め出す。 人間は贅沢な生き物だ。
島に移住してお世話になったおばあちゃんが亡くなった。 そのおばあちゃんはシャキッとしてて認知症なんかこの世に無いんじゃ無いかと思うくらいしっかり覚えていて、1人で暮らしていた。 畑や家のことを手伝って、たまにご飯を一緒に食べて。 美味しいものを作ったときはきまって電話をくれて誘ってくれていた。 私の家の前を通る時は私の名前を呼んでくれた。何故かそそくさと電動シニアカーでさっていくからいつ出ても過ぎ去ったあとだったけど。(それだけは不思議だった笑) 昔愛犬が亡くなった
今年大学を卒業する私の父は70歳になる。 そんなに父と仲がいい訳ではない。どちらかというと小さい時は父が高齢なのが恥ずかしかった。周りでは20-30代のイケメンの父がいるのだ。そんな中1人だけ50代後半なのだから。 高校時代からは家を出てずっと寮で暮らしてきた。年に何回かしか家族に会わない。だからか、父が老いていくのが良く分かる。 顔はしわくちゃ。耳が遠くなくなってきて目も濁ってきた。自分が聞こえにくいから声が大きくなる。携帯は全然使えない。どんどん動かなくなってきた父