差別を生むもの
ある友人の話です。朝のラッシュアワーで地下鉄の電車待ちをしてる時、横から割り込まれたそうです。割り込んできたのはアフロヘアの女性。それで友人は思ったらしい。
「アフロのヤツはこれだから」
差別ですねぇ。
アフロの人だっていろいろです。みんなが横入りするような人じゃない。「アフロ」という特徴では括れない。雑に括るのは差別でしょう。
なんの断わりもなく割り込まれたらムカッとするのはわかります。
なんでそんなことするの→髪型アフロだよ→珍しい髪型するヤツは変わってんだろうな→やだやだアフロのヤツは。
友人の中ではそんな風に辿ったらしい。
ムカッとしても喧嘩するわけにいきませんしね。注意するのが正しいのかもしれないけどメンドイ。朝からカロリー使って相手のリアクションによっちゃ1日気分が悪い。
なので相手にしないのが一番。でも気分はムカついてるから、それを静めるには軽蔑。「アフロのヤツはこれだから」と切って捨てる。
人はそんな風に単純化しがちですね。
気持ちはわかるし十分同情します。悪いのは一方的に割り込んだ方でしょう。ムカッとさせられて「いやいや、アフロで括っちゃいけない」「そんな差別はよくない」なんて思い直したり抑えたりの義理はない。なんでそこまで無理せなあかんの。
でも友人は差別的に思った自分が刺さったようです。話してる時はそんな口ぶりでした。自己嫌悪的な。悪いヤツじゃありません。
もしアフロヘアという特徴がなかったらどうだったでしょう。
友人がフラれたばかりの男性だったら「女はこれだから」となったかもしれない。
割り込んできたのが外国人だったら「外人はこれだから」となったかもしれない。
友人がそういう人、というんじゃなく、特徴を見つけて括ってしまう、単純化しがちな性質が人にはあるんじゃ、という話です。
差別意識のない幼児でも、集団の中に1人だけ肌の色や目の色が違う子がいれば異なるものとして扱うんじゃないか。いずれ何か不快なことがあった時、その特徴と紐づけて考えるんじゃないか。人にはいろんな面があるのに、それを無視してひとっ飛びに結論を出そうとする。それは自分的に言うと「物語化」です。物語は枝葉を切って単純化し、明快に結論へ導こうとするものです。
なので差別を生みだすのも、また物語じゃないか。
ちなみに自分は同じようなことがあった時、相手が外国人なら「しょうがないな」と思う気がします。それは軽蔑でなく大目に見る感じ。外国人じゃ日本のルールがわかんなくてもしょうがねぇやな。
日本で暮らしてる外国人には無条件で「すごい」と思ってしまうところがあります。異国でその国の言葉を理解し話して、生活するだけでも大変でしょう。ましてや働いてるなんてかなり優秀なはず。自分にはとてもできそうにない。わざわざ他国に来たのはなんらか事情があるんだろうし。
なのでちょっとした粗相があっても「しょうがないやな」と思います。まぁ大目に見るのは相手を子供扱い、見くびってるとも言えなくないから、相手にとっちゃ失礼、「ちゃんと相手せぇや」となるかもしれないけど。
ともあれ「自分と違う」「距離がある」と思うと許せたりします。
今回の友人のケースだとなぜムカッと来たかと言えば、「みんな列に並んでる」「自分もちゃんと並んでる」「自分さえできるのになんでアンタはできないの?」というのが最初だと思います。自分との比較。モラルも影響してるでしょうがごくごく私的なレベルで「オイ」と思う。
例えばこれが子供相手だと、割り込まれても「子供じゃまだわかんねぇか」となるでしょう。「しょうがねぇな」大人の自分とはちょっと距離あるから。対等じゃないから。
でも何度か注意して言い聞かせ、その努力、積み重ねがあっても聞かない(効かない)と怒りたくなる。今までが報われなくて。いつの間にか距離を縮めてるから。
もっと距離がある場合はどうでしょう。例えばペットの犬。イタズラをやめない。しつけても直らない。でも「犬だからな」と諦めがつく。人と犬です。その距離は埋めがたい。
なのでストレスの大半は人間相手だったりします。同類、近似のもの、近いからこそ思い通りにならないとイライラするし、わけがわからないと怒りが湧く。
実際は人っていろいろですよね。共通項もあるけど違う部分が多い。同居してる血縁者でも自分で選んだパートナーにしても、自分とは違う。他者。
その違いが個性だし、多様ということだし、理解できなくても自然と思うんですが、人は理解したがりますね。
おそらく不安なんでしょう。わからないままだと常に警戒しなきゃいけない。
なので見当をつけたくなる。多少強引でも単純化したり。
なんだかよくわからない若者を「今の子は草食系だから」とカテゴライズする。「なるほど草食系か」
その昔は「新人類」なんて言い方もありました。「そうか新人類か。じゃあ理解できなくてもしょうがない」
分類ってわかりやすくするのに始めるものでしょうが、中途半端に片づけたい場合も多そうです。箱を作って仕舞っちゃえばとりあえず片づく。ちゃんと理解できなくても「別物」とわかればいい。
まぁ本気でわかろうとしたら大変ですもんね。簡単には括れなくて、考え続けなきゃいけないし、ずっと不安だし、それでも完璧な答えはなかったり。
でもそれがデフォルトなんでしょう。
答えがないと不安でも、それが標準、みんなそう。ないから探すし、それが面白い。探求するのが人生の醍醐味…とまでなれたらいいんですが、なかなかそこまでは。自分は到底いたってません。憧れますが。
それでも人を差別したり、無用に傷つけたりよりは、不安な方がまだいい。やさしさとかじゃありません。どっちかと言うとプライドでしょうか。不安におののいて簡単に差別するような人にはなりたくない。そっちには憧れない。
なので安易に単純化してないか、括ってないか、自分的に言うなら「物語にしてないか」常に警戒するのが大事かと。
と言いつつ自分は「物語」で括りすぎかもしれませんが。
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