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「怒る」ことでしか、大事なものを守る方法を知らなかった頃 【要は愛の話】


「君はどんな時に怒るの?」

先日、ふと、そんなことを尋ねられました。

その方は元同僚の先輩だったので、その質問をもらった時、少し驚きました。私は、昔は社内ではよく怒っている人、機嫌が悪い人、機嫌を損ねると面倒な人、と思われていた、と思っていたので。

「大事なものを、守ろうとするときです」

私はとっさにそう答えました。


1. 「守る」ためには、戦わなきゃいけない


私が、「守る」ために「怒る」という行動に出るようになったのは、社会人になってからです。

それまでは、あまり「怒り」というものと縁がなく育っていました。
「怒り」を覚えるくらいならば「あきらめる」ほうが楽だと、子供のころから、悟ったような顔をして、生きていました。

「守る」とは、どういうことかを、社会に出て、私は初めて知りました。
それは、「守りたい」ものを、愛しく見つめて抱きしめているだけでは、守りたいものは守れないのだ、ということ。

例えば、私は新人の時、休日出勤をしたくないな、と思いながら、事前に予定を入れていたデートの約束も破って、土日ともに出勤をしていました。彼氏も楽しみにしていたのに、どうして私は仕事をしているんだろうなぁ、とぼんやりとした頭で考えました。悲しそうな顔をして、ドタキャンされた1日を過ごしている彼の姿がまぶたの裏に浮かんでは離れない。

どうして、守りたいものを、私は守ることができなかったんだろう?

それは、私が恋人と過ごす休日を得るために、戦わなかったからでした。仕事が土日になだれ込む前に、私はその日は絶対にダメです、と伝えた上で、事前にその仕事をやっておくだとか、誰かに頼むだとか、そういった行動をしていなければならなかった。

その休日は、私にとっては守りたいものだったけれど、ほかの人からしたら、一年に数回ある休日出勤のひとつだっただけ。その日を、守りたい、大切な日だと思っていたのは、私だけ。

大事なものを守りたいと思ったら、大事なものを見つめているだけじゃ、だめなんだ。守りたければ、守りたいものに背を向けて、それを傷つけようとするものと、私は戦わなきゃいけないんだ。

休日出勤を終えて、夜中の星空を見上げながら、私は覚悟を決めました。


2. 守りたいものがあるのは、私だけじゃなかった


そう気が付いてから、私は、よく「怒る」ようになりました。

新人が、徹夜をして仕事をしている姿を見たら、怒りました。社会人失格だ、自分一人で仕事ができるなんて思いあがるな、と。

バックオフィスにいた時は、営業が契約書の締結を疎かにしている姿を見て、怒りました。法務部から実績を無効にするぞという連絡が入っている、顧客にも迷惑をかける、だから責任をもってやりきれ、と。

「あの人はいつも怒っている」

いつしか、そういう噂が流れ始めましたが、私は相変わらず怒りました。
怒り続けました。

怒ることは、とても疲れます。本来、とても苦手です。苦しいです。
周りから嫌われます。心無いこともたくさん言われます。
あきらめたほうが、ずっと楽です。

けれど、新人の徹夜を怒る人がいなかったら、あの子はずっと徹夜を続けて、いつか身体を壊してしまう。私は、今その瞬間の仕事よりも、その子の人生を、守りたかった。だから、その子の行いを否定するように、私は怒っていました。

営業がとても忙しく、契約締結に時間を割けないことをわかっていながら、私は営業達を怒っていました。私はただ、彼らの成果を守りたかった。
たかが契約書一枚、提出していないという理由だけで、法務部から却下され、彼らの評価や査定に影響が出るなんて、許せない。

けれど私は不器用で、大事なものを慈しみながら戦う、なんて器用なことができませんでした。あなたのためを思って、なんて枕詞は、ズルい気がして使えませんでした。

だからきっと、私のそんな思いは、伝わっていなかったでしょう。それでも、良いと思っていました。

守りたいものを守れれば、それでいい。理解されなくても、いい。

本気で、そう思っていました。



そして数年後、今の夫がまだ恋人だった頃。彼は母親を亡くしました。

亡くなった次の日も、その次の日も、朝から晩まで仕事をし続けているのを見て、私は怒りました。

お願いだから自分の心を殺してしまわないでほしい。悲しみを、仕事をすることでごまかさないでほしい。いつか、あなたを苦しめてしまう。そう伝えても、彼は虚ろな目をして、大丈夫、というばかり。

「もう、好きにすればいいよ」

そう言って、夜中まで仕事をする彼の背中を見つめながら、私は怒り、泣きました。どんな言葉をかけていいかわからず、途方にくれていると、彼もまた、泣きそうな顔をして、私に対して言葉を荒げました。

「そっちこそ、他人ばっかり守っている暇があったら、自分のこと守れよ」

その言葉は私の心を刃のように切り裂きました。

私は怒ることで大事なものを守っているつもりだった。逆に、私自身のことをどう言われようが、どうでもいいと、あきらめてもいた。

夫が、「好きだ」と、「愛している」と、大事にしてくれる「私」を、「私」は大事にしていませんでした。守っていませんでした。
傷つけてもいい、けなされてもいいものだと、思っていました。

きっとそのことに、夫はずっと怒っていた。

そのことに、愛しい人が己を傷つける姿を見て、やっと気が付きました。それは耐え難く辛い光景でした。私が長年やってきたことを、彼はずっと怒っていて、けれど私が一生懸命だったから、許してくれていた。

愛する人を守ることは、どうしてこんなにも難しいのだろう。

私はただ、めそめそ泣くことしかできませんでした。


3. 「あきらめ」と「怒り」の先にあるもの


最近の私は、相変わらず、よく怒っています。
大事なものを守るために、怒っています。

例えば、私の時間を疎かにした夫に、怒ります。私が貢献した仕事に対してあまりに低い評価が下されたら、怒ります。私の身に、何か理不尽なことが起きたら、怒ります。

昔はできなかった、「自分のために怒る」ということを、ここ最近、やっとできるようになってきました。

相変わらず、私は慈しみながら怒る、なんていう器用なことはできません。
けれど、心の底から怒ってから、「私の大事な人を、どうか大事にしてほしい」と、言えるようになりました。それは自戒を込めて。

あなたにとって、守るために傷つけていいと思っているものは、誰かにとっての宝物かもしれない。だからどうか、自分のことも、守ってほしい。

そして、いつか誰かを守れるような、強い人間でありたい。そんなことを、ここのところずっと考えています。

そのためには、きっと「怒る」だけじゃ足りない。
「あきらめ」から「怒り」に変わって、その先にあるものは、きっと「許す」ことなんだろうと、黙って私のことを見守ってくれた夫のこと、そして数々の無礼を働いたにもかかわらず、変わらず私を大切にしてくれる方々の顔を思い浮かべて、私は思います。

「ごめん、ゴミ捨て忘れました」

朝、申し訳なさそうに両手を合わせて謝る夫を見て、私ははぁ、とため息をつきました。昨日の夜、眠くて仕方がない中、必死に家中のゴミを集めて分別をして、朝早いから出すよ、と言ってくれた夫を信じて託したのに。その頑張りすべてが無駄になってしまった。

私は、いいよ、と言ってあきらめることも、ふざけるな、と怒ることもせずに、言いました。

「しょうがない」

じゃあ次はどうすれば忘れないか、考えよう。

あきらめじゃ、何も変わらない。怒りだけじゃ、人は動いてくれない。

だから、私は起きた事象を「許す」。その上で、守りたいものを守る方法を、一人じゃなくて、相手と一緒に考える。

それが、私が手探りで見出した、今の解です。


そんなことを、問うてきた先輩に、返しました。
その先輩は私の話を聞いて、心底幸せそうに笑って、いいね、と言いました。

「最高に、愛だね」

ええ、きっと。

しかしながら、照れくさくてそうは言えず、そっぽを向いて「茶化さないでください」と私は怒ったふりをしました。けれど、長い間そばで私を支えてくださり、私を大切にくださる先輩には、きっとすべてお見通しだったと思います。

その方からしたら、あの頃の私の怒りは、すべて「他人を守るための愛」だと、ばれていたのだと思います。だから、問うたのでしょう。私は、どんな時に怒るのか。「自分のため」に、怒るときはあるのか。

見透かされてばかり、まだまだ、修業が足りない。
それでも、このご時世だからこそ、あきらめではなく、愛のある「怒り」や「許し」を、模索しながら生きていきたい。そんな、今日この頃です。



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