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私はいいディレクターだっただろうか

仕事のことを想い出すたびに考えます。私はいいディレクター、編集者だっただろうか。

自分で出す答えはいつだって「NO」です。

満足のいく仕事なんてひとつもなかった。「もっといいものになったのに」と、完成物を見て、残念で、申し訳ない気持ちにならなかった時なんて、ありませんでした。

けれど、今はそんな日々も、悪くなかったなと思えるようになりました。その経緯を、少しお話させてください。

1. 営業→世界で一番使えないディレクターに。


人から認められる人間になりたい」。

そう思うようになった経緯や理由を、誰かのせいにしようとすれば、いくらでもできます。なのであえて振り返ることに意味はないのかもしれません。

しかし棘のように心に突き刺さって、抜けない言葉や、ふとした時の仲間から向けられた視線――いつまでたっても、自分自身を縛っているような「何か」を抱えている人は、たくさんいるのではないかと思います。

私にも、ずっと取れない棘が、心の真ん中にありました。

私のキャリアの中で最も長いのは、冊子やWEBサイトの企画・編集・進行管理を行う、ディレクターという職業です。しかし、新卒での初配属は営業しかも他社への出向でした。必死に食らいついたものの、様々な社内事情が重なり、私は営業職からは半年で異動、出向も終了。

出向が終わり、やっと自分が入社をした会社に戻ってきた。その時は少し嬉しかったのを覚えています。しかし、私がクリエイティブチームの中にディレクターとして参加した一番最初のミーティングで、仲間から注がれた視線が、私が今でも忘れられません。

「えっと……この子、何ができる子なの?

とあるデザイナーが放った言葉に、上司含め、誰も答えてくれませんでした。
その時代、営業とクリエイティブチームは半ば対立するような構造になっていましたし、クリエイティブを理解していない営業上がりの新人が突然チームに加われば困惑もするでしょう。
しかし、いきなり「何もできない人間」というレッテルを貼られ、私は早く、みんなから「認められる」ような「いいディレクター」にならなければ、と強く思いました。同時にチクリと、心に棘が刺さるのも、感じながら。


2. あんたはライティングに強いディレクターになれ。

残念ながら、私は本当に、何もできない新人でした。

20歳も30歳も年上のプロのデザイナーから「ディレクターなんだから判断しろ」と指示を仰がれても、何もできません。多くのクライアントからクレームが来て、上司がため息をついて「使えないな」と呟く。

何も教わってないのだから、急にできるわけがないだろう、と思う私と、見て覚える気概がない私が悪いんだ、と自分を責める私。そんな葛藤で毎日頭がおかしくなりそうでした。

「認められる人間」になりたい。「いいディレクター」として褒められたい。だから教わっていないことで怒られても「すみません」と頭を下げて教えを乞う自分が、あまりにもみじめで、なんでこんなことしているんだろう、とトイレの個室で泣いた日もありました。

しかしある日、上司が気紛れに、とある案件の文章のリライトを私に渡しました。「文章をそれぞれ300文字減らしておいて」。渡された文章を読み、私は意味合いは変わらないように、しかし不必要な箇所は削除し、別の単語に置き換え、赤字を入れた原稿を上司に渡しました。

「え、なんだ、あなたリライトできるの? 知らなかった」

依頼した上司は受け取った原稿を読んで素直に驚いた声を上げました。私としては、300文字削れと言われたので削っただけだったのですが。
それから、その上司はどんどん、文章の添削やキャッチコピー作成など、ライティングに関する案件を私に投げてくるようになりました。私は淡々と業務をこなして行きました。

ある日、たまたま上司と一緒に打ち合わせをしに外出をした帰り道、立ち寄った喫茶店で、上司が珍しく機嫌よく、教えてくれたことがありました。

「クリエイティブディレクターになるための道は2つあるんだよ。一つはデザイナーから経験を積んで進む道。もう一つはノンデザイナーから、デザインができないハンデを自分だけの強みでカバーして進む道」

私は別にクリエイティブディレクターになりたいわけではありませんでした。ですが、営業職が最終的に営業部長を目指すのが王道と言われるように、ディレクターという職業に就くと、クリエイティブディレクターを目指す、というのが、王道のコースと言われていました。

「あんたは文章を書くのが上手いから、ライティングに強いディレクターになればいい。他のデザイナーに何を言われても、無視しな」

上司は、人を褒めることも、育てることもあまり上手ではないけれど、私のことを実はずっと気にかけてくれていたことに、その時私は気が付きました。

仕事を通じて得たスキルではない、誰からも教わってもいない「ライティング」を武器にしろとは、乱暴だし無責任だなと思いましたが、私は嬉しかったです。
私は言葉が好きで、文字を書くのが好きです。
好きなものを武器にして生きて行け、なんて、まるで夢のよう、とその日だけは、自分を肯定で来た気がしました。


3. 好きなものを武器にして生きて行け。


しかし、文章以外の進行管理やデザインチェック、構成の作成など、他のディレクター業務はからっきしでした。

先述の上司が退職し、業務内容もディレクターではあるものの分野が変わり、私は相変わらず「認められたい」「いいディレクターにならなきゃ」という気持ちだけで仕事をしていました。
もはや誰に認められたいのすらわからないまま、今日も徹夜かぁ、と椅子を並べてひざ掛けをかぶって仮眠をとりながら、満たされない心を持て余していました。

ひとつ、強みがあったって、ほかがだめだったらいいものはできない。そんな現実も痛感しました。
だから私はずっと、気を張って頑張ってはいたけれど、「いいディレクター」になんてなれない。そんなコンプレックスを抱えて、生きていました。

現在私は、ディレクターという職業から離れて、仕事を少しお休みをしている期間です。先日、夫と買い物に行き、とあるカフェでふと、その時の気持ちを思い出しました。私はいいディレクターになれてたのかな、と。

いいディレクターになりたかったの?
夫から放たれたいつも通りの言葉に詰まりました。必殺「お前の意志はなんだ」という質問返し。

あぁ、でも、違うな、とぽろりと私の胸から、ずっと突き刺さっていた棘が抜け落ちた感覚がありました。

営業だのディレクターだのクリエイティブディレクターだの、他人から「目指せ」と言われた役割に、自分の意志を重ねるなんて、無茶です。当然です。けれど、私はそれができない自分をずっと恥じてきました。それがいかに、自分を苦しめていたかを、やっと知りました。

「本当はライティングで活躍したかったなぁ」
「ふうん。じゃあ、ライターになれば? なんならディレクターもかじってました、って売り文句にすれば」

夫はさらりと言ってカフェモカを飲み干しました。そうだね、と答えて、私もカフェラテを持って、席を立ちました。

      *

「私はいいディレクターだっただろうか」

答えは「NO」。なぜなら私は「いいディレクターになりたい」と心から思った日はありませんでした。ただ人から認められたかっただけだ。

だから、いいディレクターになんてならなくていい。目指したくないのならそんな目標手放してしまえばいい。私には好きなものがあって、それは人よりもちょっと得意らしくて、寝食を忘れて没頭できるほど素晴らしいものです。

好きなものを武器にして生きて行け

奇しくも、不器用な上司からもらった言葉の通りになったのが少し悔しい。
ですが私は、本当になりたいものを素直に目指そう、と思えた、という話でした。





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