フルーツサラダって、どこにカテゴライズされんの?

今日、柿を食べた。柿と大根のサラダになっていた。田舎モンの利点として、果物なんかは買ったことがなく、柿も貰い物である。大抵の季節の作物は家で採れるか、貰える。とりわけ秋はそういった初物を食べる機会が多い。田舎では、リンゴでもイチジクでも柿でもアホみたいな量を貰う。そうなってくると、最初のうちはそのまま食べるが、次第に飽きてくる。食いきれなくて腐りかけのレディオになってしまえば、俺の女子力をもってしてパウンドケーキやジャムなどにしてしまえるのだが、むしろ新鮮なものが大量にあるというのが、贅沢な悩みかもしれないが、ある種困りものである。そう、そこで登場するのが果物サラダである。一応断っておくが、俺は果物サラダを作らない。ママンや叔母などが作ったものが、食卓に並ぶ。もはやデザートなどとして食う気が失せた果物を強引に献立にねじ込むという戦法である。俺はそんな果物サラダを見るたび思う。お前、何者? どこにカテゴライズされんの?
俺には食事の順番がある。俺はガキの頃から三角食べなどクソ喰らえといった調子で、担任のババアに注意されようと自分のルールに基づいて食事をしてきた。おおまかに説明すると、サラダ、煮物や豆腐などの小鉢、メイン&白飯(メインと白飯は同時に食い終わるよう調整する)、汁物、という順番である。俺はサラダを最初に持ってくる。これは物語の盛り上がりを考慮してのことだ。何を言ってるのかわからないと思うが、もう少し我慢してほしい。一般的に娯楽としての物語は終盤に一番盛り上がらなければならない。サラダとは導入であり、登場人物の相関の説明などを兼ねている。ああ、トマトは悪いやつだけど、昔病気の娘がいたんだなあ、などがわかる。次に小鉢あたりを出して一山作る、一皿二皿小鉢を平らげる頃には、物語が終盤に向けて盛り上がっていく。盛り上がった勢いそのままに、そこで肉や魚などのメインと白飯に入る、ここで物語はクライマックスである。交わることのなかったおかずと白飯、錯綜したそれぞれの思いは一つに収束する。最後にその残滓を味噌汁などの汁物で洗い流す。戦いは終わったのだ。戻ってこないものもある、しかし守りたいものは守れた。生き残った者たちのささやかな幸せを予感させる、ちょっと切ないハッピーエンド。一番いいやつである。もしデザートがある場合はその後に食べるが、これはもうスタッフロールの後のオマケみたいなものだ。
これに則ると、果物サラダはどこにカテゴライズされるのか? さつまいものサラダにレーズンが入ってるぐらいなら、俺はサラダにカテゴライズする。酢豚のパイナップルなんかも気にせずにメインにカテゴライズする。問題は今回の柿と大根が塩で和えてあるだけだとか、リンゴがヨーグルトで和えてあるやつとかだ。お前は物語の導入なのか? それともスタッフロール後のオマケなのか? あまりに果物の主張が強すぎるものの場合はスタッフロールの後のオマケとしていった方が安牌な気がするが、すると順当に小鉢が導入になる。そうなってくると人物の相関図などが見えてこないままクライマックスに突入してしまう。相関図や人物のバックボーンが掘り下げされないままクライマックスに行ってしまうと、感動的なシーンも、ことによると意味不明になってしまう。え、なんでこいつここで急にいいやつになったの? とかなる。これは避けなければならない。導入としてのサラダはやはり必要で、サラダで散りばめられた情報があるからこそ、トマトが終盤にヒロインを守ったのは、ヒロインと死んでしまった娘が重なったからなのか、と納得できるのである。
とにかく、俺は果物サラダが食卓に並ぶたび、頭を抱えてしまう。
この勢いで苦言を呈するならば、ジャガイモの味噌汁、あれもどうなの? と思う。栄養素的側面でいうとジャガイモは飯である。俺は味噌汁で物語を締めるのであるからして、味噌汁とはほうれん草やネギあたりがベストなのだ。あのくらいサラッとイケる感じの方が、俺の理想とするちょっと切ないハッピーエンドになる。ジャガイモは、重すぎる。あんなもん飯の後にまた汁に浸かった飯を流し込んでいるようなもので、物語の完結感が薄い。クライマックスの後にひと悶着起きる感じになる。ハードボイルドものやVシネでたまにある、全てが解決した後の主人公が待っている人のもとに帰る途中に路地裏で刺されて死ぬ例のアレみたいな感じがある。
ついでに言うなら、その理論でいくと、豚肉と根菜ゴロゴロの豚汁もダメじゃねえか、と物議を醸すだろう。これは間違いない。たしかに理論上そうである。でもごめん、豚汁はおいしいです。

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