「お金で買うことのできないもの」を贈る喜び、受け取る喜び
長引く新型コロナのせいか、なんとなくギスギスとした日々が続いているように感じるのは、もちろん私だけではないでしょう。
マスクで相手の表情がよく見えない分、以前よりも意思疎通がうまくできていないように感じますし、車の運転一つをとってみても、ストレスからか、みんなの思いやりが欠けてきているような気がしてなりません。
苦しい時だからこそ、お互いに、もっと大切にしなければいけないことがあるはずです。
今回のnoteも、前回に引き続き「世界は贈与でできている――資本主義の「すきま」を埋める倫理学 」近内悠太(著)を引用しつつ考えてみます。
この本では、「贈与」という言葉を次のように定義しています。
「世界は贈与でできている」P4
本書では、このような、僕らが必要としているにもかかわらずお金で買うことのできないものおよびその移動を、「贈与」と呼ぶことにします。
「お金で買うことのできないもの」とは、いったいどんなものなのでしょうか?
たとえばレストランで食事をしていて、子どもがお皿を落として割ってしまったとします。
そんな時、お店のスタッフに「大丈夫ですか?すぐにお取替えします」などと優しく声をかけてもらったら・・・。
やはり、救われた気持ちになるでしょう。
「世界は贈与でできている」P223
資本主義はありとあらゆるものを「商品」へと変えようとする志向性を持ちます。だから、僕らの目の前には、購入された「商品」と、対価を支払ったことで得られた「サービス」が溢れているわけです。それらで覆いつくされていると言ってもいいでしょう。
しかし、だからこそ、その中にぽつんと存在している「商品ではないもの」に僕らは気づくことができるのです。
サービスの中に ”ぽつんと存在している「商品ではないもの」”。
レストランのスタッフは、間違いなく「商品ではないもの」を贈ってくれたのです。それに、その行為は見返りを求めたものでもありません。
その時、もし私たちが「スタッフなんだから、片付けるの当たり前だろ」と思ってしまったら・・・。
スタッフからの贈与は、残念なことに受取人には届きません。
「世界は贈与でできている」P113
贈与は差出人に倫理を要求し、受取人に知性を要求する。
これは本書の贈与論において、決定的に重要な主張です。
生活を営んでいると、荷物をたくさん持っている時にドアを開けてもらったり、落ち込んでいる時に声をかけてもらったりと、ちょっとした贈与がそれなりに存在しているはずです。
そんな時、私たち贈与の受取人が、それに気がつくことができるのか、どういう態度を取るのかは、贈与の差出人に対して決して小さくない影響を与えます。
「ありがとう」と言うことができたら、笑顔を返すことができたら、差出人はどう感じるでしょうか。
「世界は贈与でできている」P235
「受け取ってくれてありがとう」
「困った時に私を頼ってくれてありがとう」
これらは、差出人の側が何かを与えられたと感じたからこそ発することのできる言葉ではないでしょうか。
宛先を持つという僥倖。宛先を持つことのできた偶然性。
贈与の受取人は、その存在自体が贈与の差出人に生命力を与える。
「私は何も与えることができない」「贈与のバトンをつなぐことができない」というのは、本人がそう思っているだけではないでしょうか。
もう少し詳しく見ていきます。
片付けトントンは、YouTubeやブログで片付けの様子や方法などの情報を発信していますが、時には、こんなコメントもいただきます。
はじめてコメントします。
一ヶ月程前に皆様の動画を知り、またこちらのブログも(全部ではないのですが)拝読させて頂きました。
私は今年の3月まで仕事をしていたのですが色々あり現在は退職し、お恥ずかしながらそれまでの生活で荒れた家の中でただぼーっと過ごしていました。皆様の動画や動画のコメントを拝見して「自分も切り替えなくては」と思いながらもなかなか動き出すことが出来ずにいた中、ブログを少しずつ拝読させて頂いて、「ダメだと思いながらどうしたらいいかわからずにそのままにしてしまっている方は自分だけではない」「でも何かをきっかけに変えることもできるのだ」と励まされ、皆様の動画をきっかけに少し前から片付けと掃除をはじめました。(中略)
愛知県住みではないため、トントンの皆様にお願いできないのは残念でしたが、そのかわりとても大きな力を頂いたように思います。長文での自分語りでお恥ずかしいのですが、皆様のお仕事にとても励まされ力を頂けたことをお伝えしたくてコメントさせて頂きました!
このようなコメントをいただくことは、私たちにとって、かけがえのない喜びです。
YouTubeやブログで発信してきたことが、間違っていなかったと思える幸せ。
まさしく「贈与の受取人は、その存在自体が贈与の差出人に生命力を与える」と言っていいでしょう。
また、少し視点を変えてみると、片付けトントンは贈与をしたのではなく、贈与を受け取ったと解釈する方が正しいようにも思えてきます。
だって、「お金で買うことのできないもの」を贈ってくださったのですから・・・。
「世界は贈与でできている」P238
贈与はすべて、「受け取ること」から始まります。
「自分はたまたま先に受け取ってしまった。だから、これを届けなければならない」
メッセンジャーはこの使命を帯びます。
だから「生きる意味」「仕事のやりがい」といった、金銭的な価値に還元できない一切のものは、メッセンジャーになることで、贈与の宛先から逆向きに与えられるのです。
みんながメッセンジャーになって、贈与のバトンをつなげていくことができたらいいな、と心から思います。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。
NewsPicksさんのnoteでは、まえがきと第1章の全文を読むことができます。ぜひご覧ください。
嬉しいことに、近内悠太さんもnoteを書いていらっしゃいました。