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「1991年の日本をバイクで日本一周した日記と2021年の後記」 …を書き始める前の前記、あるいは最初の一歩を踏み出す話。 ~その1~
タイトルが長いよ。。。そして本文も長くなってしまった。 とても短く納められそうにないので何度かにわけてみる。 当時の手書き日記をテキスト化するだけのつもりが、自分の内面をテキスト化するという壮大な試みになってしまった…代わりに誰かにまとめてもらえれば良いのだが、こればかりは自分でないと無理だ。 だから日本一周した当時の手書きの日記をテキスト化する前にどうしても書いておきたい。思い入れが強すぎて想像以上にサラッと書けないが。 なんで「バイクで日本一周」をあらためて振り返ろうな
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「1991年の日本をバイクで日本一周した日記と2021年の後記」 …を書き始める前の前記、あるいは最初の一歩を踏み出す話。 ~その4~
上司に「退職したい」、と相談をした際は「もう一度良く考える様に」と一度は引き止められた。 実際僕は何も考えていなかった。それで改めて考えて退職の意思を一度は反古にした。考えたっていうか、退職のメリットがあるか無いかを頭で算段しただけだったが。 上司は安心して「では、心機一転がんばる様に」と、退職はなかったことに。 しかし、それから一年も勤続意欲は保たなかった。 職場である工場の夏の暑さと自己嫌悪とストレスで胃腸を壊した。 工場のトイレにしゃがみながら、ふと高専時代の17歳
「1991年の日本をバイクで日本一周した日記と2021年の後記」 …を書き始める前の前記、あるいは最初の一歩を踏み出す話。 ~その3~
そうこうしているうちに守ってもらっていた自由な時間、学生生活も終わりへのカウントダウン。 就職するのか、さらに学生生活を続けるのか、決断しないと。 当時の高専の卒業生はほぼ就職する状況だった。 時代もバブル真っ盛り。人材はいくらでも必要な時代。 僕はといえば、映画製作の世界に憧れていたので「日本映画学校」に入学したかった。だけれども実家はそこまでお金があるわけでもなく、自分で稼ぎなら通学する覚悟もなく。だから就職してお金をためて映画学校に入ろう、ってことで自分のモヤモヤを一時
「1991年の日本をバイクで日本一周した日記と2021年の後記」 …を書き始める前の前記、あるいは最初の一歩を踏み出す話。 ~その2~
さて少年時代から青年時代である。 今になって冷静にあの頃の自分を振り返ると「それしかない、やるしかない」そんな近視眼的選択肢、勢いだけで突き進んでいた。二十代の手前や前半の男子なんて大体そういうもんだろう。 十代後半を男子しかいない工業高専機械科クラスで過ごした。 担任の先生からバイク通学する奴は読めとクラス全員に渡されて読んだ浮谷東次郎の「がむしゃら1500キロ」にすっかり感化され、独立自立心に火が付き、バイトを始めた。17歳の夏にクラスメイトをバイク事故で亡くした。それ