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「1991年の日本をバイクで日本一周した日記と2021年の後記」 …を書き始める前の前記、あるいは最初の一歩を踏み出す話。 ~その4~

上司に「退職したい」、と相談をした際は「もう一度良く考える様に」と一度は引き止められた。
実際僕は何も考えていなかった。それで改めて考えて退職の意思を一度は反古にした。考えたっていうか、退職のメリットがあるか無いかを頭で算段しただけだったが。
上司は安心して「では、心機一転がんばる様に」と、退職はなかったことに。

しかし、それから一年も勤続意欲は保たなかった。
職場である工場の夏の暑さと自己嫌悪とストレスで胃腸を壊した。

工場のトイレにしゃがみながら、ふと高専時代の17歳で亡くなった彼の事を思い出す。
「あいつが生きていたらどうするかな?」
「こんな暮らしをするために生きたいかな?」
「せっかく僕は生き残っているのに、やりたいこともやらずに生きてるのってどうなのよ?」
終わりの無い死者との対話。
青春時代の亡霊との対話。

「やはり、退職します」

二度目の退職の意思表示は固いな、と上司も理解していた。
「また退職を取り消します、はナシやぞ」しっかり釘を刺された。

正式に退職届を書いて提出。確か入社二年目の2月とか3月とかだったと思う。
有給休暇を解消するため二週間ほど休みを経て晴れて「無職」となった。
プータローの誕生だ。
とりあえず真面目?にハローワークにだけは行って求職手続きをした。結局次の仕事が決まるまでハローワークに通う事もなかったのだけれど。

さて、この先どうしよう?
映画学校に入学通学するほど貯金もないし…

お金の心配はさておき、本当は自分のやりたいことを思い切ってやれば良かったのだ。しかし当時の僕には何か一つの事に自分の人生をかける勇気も覚悟もなかった。

そんな時にふとまた彼の事を思い出す。
「そうだ、亡くなった彼のやりたかったことを代わりにやってやろう」

やってやろう、なんて…故人に対して酷い上から目線だ。
偽善だった。逃げというか、迷いというか、自己選択の正当化、自分を無理矢理に青春ドラマの主人公にして、威勢をつけて自分自身の価値の無さ「何者でもない不安」を遠くに追いやり安心したかったのだ。
亡くなった彼にとってみれば迷惑で失礼な話しだ。
「俺を隠れ蓑にして退職したかっただけだろ?」ってなもんだ。

実際には彼の「本当にやりたかったこと」もわからないし、彼がもし生きていても22歳くらいでは彼自身ですら「自分が本当にやりたいこと」なんてわからなかったかもしれない。僕は自分自身も彼自身のことも実際良くわかっていない。
でもとにかく、ウジウジとじっとしているのだけでは駄目だろうと思って「やりたいこと」として「仮想目標」を勝手に無理矢理に設定してみることにした。

「彼が行きたがっていたあのオーストラリアに行きたい!それもバイクで行きたい!」

…でもオーストラリアの前に、まずは日本を巡ろう!…

オースオラリアに行くなら日本の事を色々聞かれるだろう。日本人として日本の事は正しく伝えないとな、まずは日本のあちこちに行ってちゃんと日本を伝えられるようにしなくちゃ。そのためにはやっぱ日本一周だろう!その方がハクがつくってもんだ!オーストラリアに行く為の修行にもなるし!
…我ながら考えが浅い…お恥ずかしい限りです。
若気の至りとは本当に良く言ったもんです。
でも、いきなりオーストラリアに行かない小心者であることは今も変わらないなあ。

そう、バイクで日本一周は、高校時代に亡くなったクラスメイトへの勝手な恩着せがましい弔いを借りた、格好良く飾った看板「オーストラリアへのツーリング」の前段階、準備行動だったのです。
余談ですが、当時バイク好きな人、特にツーリング好きな人が好んで購読していたバイク月刊誌「OutRider」を毎月購入していた。その雑誌の写真やレポート(特に寺崎勉さんの野宿旅から)受けた影響も多分にあった。現在は残念ながら刊行していない。まれに不定期で発刊されたり、他誌とコラボ的なことをしているようだ。

会社退職から旅立ちまでは色々ありましたが(またそれは別の機会に…)、そうして僕は意気揚々と日本一周への計画をして1991年の4月24日、単独バイクでの日本一周ロングツーリングへ旅立ったのです。

そして、その日本一周の終了後にオーストラリアへ行き…

と言いたいですが…残念ながらオーストラリアはおろか海外にすら今現在まで結局一度も出国した事すら無いのです。なんなら日本一周では島には渡っていませんし、沖縄県にも立ち寄れなかったのです。沖縄もいまだに行けていません…苦笑
笑っちゃいますよね。

なぜオーストラリアに行かなかったか、それは旅に出て早い段階で「彼のため、彼の弔い」とかいうカッコイイ虚飾がすぐに剥がれたから。
たった一人になり、何者でもない自分の心と素直に向き合えたから。
そういう意味では亡くなった彼は、想い出深い友人であると同時に僕の人生の恩人でもあるのです。いつか、あの世とやらに行って彼に会えたらお礼を言わなきゃですね。
まあ勝手に僕がそう感じているだけで、実際あの世で再会したら彼の方は僕を憶えてもいないかもですけどね。

そんなこんなで「最初の一歩」を踏み出す話しはこれでおしまいです。

今思えば、たぶんきっかけなんて何でも良いんですよね。
当時の自分は、やりたい事や行動を大義名分で補完して自分を納得させるしかなかったんだと思います。
だから今「何のために?」を考え過ぎて一歩を踏み出すのに躊躇している方へ、経験者から僭越ながら一言!

『ダサイかもだけど、かっこつけてでも理由をつけてスタートを切れば、上手くいかなくて笑われるかもだけど、なんか超新鮮で楽しい気分になるよ!』

だから若い人も、もう若くない僕も含めた大人も、ダサクかっこつけて、さあ一歩踏み出せ!
それでたとえ転んでも、起きあがって笑い話にすれば人生のスパイスを手に入れられる。
スパイスは沢山入れる方が複雑で味わい深い料理、人生になりますしね!

「1991年の日本をバイクで日本一周した日記と2021年の後記」
…を書き始める前の前記、あるいは最初の一歩を踏み出す話。は、これでおしまい!

さて、次からが肝心な本編のお話の始まり!
1991年の日本の風景と若造のバイク旅日記と普通のおじさんの振り返り感想、をお楽しみに!

~本編!「1991年の日本をバイクで日本一周した日記と2021年の後記」~へつづく!

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