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「1991年の日本をバイクで日本一周した日記と2021年の後記」 …を書き始める前の前記、あるいは最初の一歩を踏み出す話。 ~その2~

さて少年時代から青年時代である。
今になって冷静にあの頃の自分を振り返ると「それしかない、やるしかない」そんな近視眼的選択肢、勢いだけで突き進んでいた。二十代の手前や前半の男子なんて大体そういうもんだろう。

十代後半を男子しかいない工業高専機械科クラスで過ごした。
担任の先生からバイク通学する奴は読めとクラス全員に渡されて読んだ浮谷東次郎の「がむしゃら1500キロ」にすっかり感化され、独立自立心に火が付き、バイトを始めた。17歳の夏にクラスメイトをバイク事故で亡くした。それでもバイクに乗りたくて周囲より遅れて中型二輪免許(今の普通二輪車免許)を取得。手書きポスターをつくり有志を集め自主制作映画を撮り文化祭で上映、恋をしてあっけなく無惨に失恋。映画製作のプロを夢みながら現実的には卒業して普通に就職、新しい恋をしてめでたく付き合い、会社を二年で退職。そしてバイクで日本一周。

さらにそこに当時のバイクブームがまとわりつき80年代臭プンプン。
我ながらアブラギッタベタベタな青春なのである。
当時の想い出を簡単には綺麗に掃除出来ないし、整理するにしてもさらに自分を汚す。
厄介だ。でも自分自身をもう一度動かす為にレストアするつもりでキーを叩こう。

映画製作の職に未練を感じながら「自分探し」の迷宮に入り込んでしまった。さりとて新しい環境へ一歩踏み出す勇気も覚悟もなく退職して見事にドロップアウトした。
退職する理由を自分にも周囲にも「バイクで日本一周」で隠れ蓑にしたのだ。
正直自分がどうしたいのか良くわからなかった。
怖いのにじっとしていられない、じっとしていると怖いからジタバタした。
わからないのながらも先に進むしかなかったのだ。

当時、というか未だに岐路に立ち選択に悩む時にいつも「本当はどうしたいのか?」と自問自答する。と同時に17歳の時にバイク事故で亡くなってしまったクラスメイトの彼の事を思い出す。亡くなってしまった彼はもう悩む事すら出来ないのだ。彼の代わりに生きることは出来ないが、もう悩めない彼の代わりに悩んでみるのは悪くない。未だに悩み続けていられるのはラッキーにも生き残っている僕らクラスメイト全員への彼からの宿題みたいなもんかもしれない。

それほど思い出すくせに彼と特別に仲が良かったわけでもなく、遊んだ記憶すらほぼない。けれども数少ない会話のなかでずっと覚えているエピソードがある。

教室で、たぶん休み時間だ。
僕の前の席にいた彼は僕が眺めていた雑誌のオーストラリアの砂漠の風景か何かをみながら「オーストラリアか、こういうところに行きたい」と言った。なぜかそれを強烈に覚えている。彼が亡くなってから何度も思い出したので記憶が強化されているから余計に鮮明になってしまった。

同時におこがましくも、ヒロイックに「彼の代わりにオーストラリアに行ってあげよう」とさえ思っていた。図々しいにも程がある。何をしても彼の代わりなどになれやしない。弔いのつもりの自己満足だ。ちなみに自主制作した映画も彼とのエピソードが出発点になった。主人公の友人がバイク事故で亡くなるエピソードを入れてある。まるで傷心セルフカウンセリング映画だ。恥ずかしい。何とか自分の心の整理をつけたいのと、映画を撮りたいのと可愛い女の子をヒロインにしたいのと、もう精神は青春ごちゃまぜ鍋がグラグラ煮えているようだったんじゃないかと思う。

~その3~へつづく!

https://note.com/kasutaro/n/n9ff60b053556

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