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母の崩壊を前にした娘の苦悩|『ファミリア・グランデ』書評|水上 文

【本稿は文筆家・水上 文さんによる寄稿です】

 自由とは常に称賛すべき善なるもの、人間にとって何より価値あるものである。

 と、そんな風に言われることがままある。もちろん、それは大抵の場合正しい。自由の他ならない価値は、歴史によって証明されてもいるのだ。一体誰が奴隷状態を望むだろう?

 けれども「自由」の抽象的曖昧さは、時に恐るべき暴力にすらなり得るのである。

 そしてカミーユ・クシュネル『ファミリア・グランデ』が雄弁に語るのは、「自由」の曖昧さがもたらす暴力であり、そして「自由」の価値を教えてくれた当の母の崩壊を前にした娘の苦悩であったのだ。

 『ファミリア・グランデ』は、性暴力の直接の加害者でも被害者でもない、傍観者であった娘の立場から描かれた告発の書である。加害者は継父であり、被害者は語り手となる著者の双子の弟である。直接的な加害者の立場から物語られる本はままあるが、家庭内性暴力の「傍観者」の立場から描かれたものは稀である。だからこの本の価値はひとつには、傍観者が抱え込む罪悪感と苦悩を描いたことにこそある。

 けれどもそうした事前情報からはいささか意外なほどに、記述の大部分を占めているのは母に関するものなのだ。公法の教授資格をフランスで初めて得た女性達の一人であり、知的でチャーミングで、情熱的なフェミニストであった母の死をもって、本書は幕をあける。母の死を受けて胸が締め付けられ、涙を溢れさせながらも、娘はその死を実感できずにいた。彼女は言う。「母を、わたしはもう何度も何度も失ったから、今度は失わない」(p15)と。

 母をもう何度も何度も失った——『ファミリア・グランデ』は実際、その言葉の意味を綿密に知らしめるかのように描かれていた。

 たとえば四部構成の本書の第一部は、幼年期の懐かしく眩しい思い出が綴られている。

 南仏のサナリに「大家族(ファミリア・グランデ)」として集った日々——登場人物の中でも、タバコと太陽の匂いが混じった母は誰より魅力的である。母は政治思想の歴史について講義し、執筆している。彼女は人に感銘を与える。娘である著者は母が誇らしい。講義を終えた母は「さあ、逃げましょう! どう、よかったでしょう! インチキがバレないうちに急いで!」(p36)と娘に笑いかけるのだ。もちろん母は芸術にも詳しい。文学について、芸術について、本質的な物事を伝えるべく努めている。彼女は議論を好み、知性の他に信頼するものはなく、階級や裏工作やイカサマを嫌う。エスタブリッシュメントに抵抗する自由な精神の持ち主こそ、この母である。

 自由を愛する女性達の系譜——母のそれは、祖母から受け継がれたものでもあった。

 離婚して子どもたちをシングルマザーとして育て上げた祖母を、母は愛した。何にも囚われず、たとえば乗馬や自転車でオルガスムスを得る方法を娘たちに教えるこの祖母を、母は「信じられないくらい勇気がある」(p42)と語るのだ。祖母の教えを受け、自由を阻害するもの全てを拒絶してやまない母はショーツを履くことも稀である。母の妹・マリー=フランスが破水した際には、マリー=フランスがショーツを履いていないことにギョッとする看護師の前で、母は自らのショーツを脱ぎ捨て、妹に差し出すのだ。「ついてるわね」と母は言う。「わたしがショーツをはいていることなんて、まずないのに!」(p78)と。危険な状況にもかかわらずマリー=フランスは弾けるような笑い声をあげる。麗しく自由な姉妹! しかも、こうしたエピソードが山ほどあるのだ。

 惹きつけられずにはいられないエピソードの数々は、母自身の魅力のみならず、娘がどれほど母に魅了されていたかを指し示しているだろう。

 娘は母を愛していた。かけがえのない存在だった。「考えること、それはノンということ」(P36)だと教えてくれたのも母だった。フェミニストであることの重要性を教えてくれたのも母だった。悪とは何かを、闘争の重要性を教えたのも母だった。全て母だったのだ。

 もちろん、母の教育には多分に祖母の影響が含まれている。娘が母を愛したように、母は祖母を愛していた。孫である娘は、祖母を見ることで自立の意味を理解したという。「愛が終わったら、そこにとどまらないこと」(p102)、そして何かを選ぶたびに支払う代価のことも。

 祖母や母の余りある魅力を、本書は雄弁に伝えている。私はこの本を読み、事前情報からは予想もしていなかった感情の動きに戸惑いさえした。楽しかったのだ。全てが眩しかった。知的で芸術的な人々に囲まれた著者の子ども時代が、羨ましかった。この後何が起きるのかを知りながら読んでいるにもかかわらず、それは抗いがたい魅力を持っていたのだ。

 けれども——けれども、この抗いがたい魅力とは、まさしく著者の悲しみに他ならない。

 第二部以降で描かれるのは、母の崩壊とおぞましい犯罪、著者を苛む罪悪感である。

 まず祖父が、母の父が自殺する。祖父を嫌っていた母は悲しみもしない。自殺は自由によるものだから、と母は言う。自ら選ぶ尊厳死の信念を持つ祖母も同じである。そして祖母までもが自殺する、自由意志によって。またしても悲しみは禁じられる。絶望するとは自由を諦めることなのだと。著者は両親の離婚の際も、自由を求めた女性達の勝ち取った離婚に悲しむことなど出来なかった。だが、自由とは何だろう? 自由の名の下に禁じられ、抑圧される悲しみがどれほどあっただろう?

 著者の悲しみが禁じられる一方で、母は嘆き悲しむ。何より愛した祖母の死は、母を打ちのめしてしまったのだ。著者は書く。「祖母を失った日、わたしは母も失ったのだ。永遠に」(p110)。娘は母にとって、恐ろしい悲しみがあってもなお生き続けなければならない理由であり、娘は自らが母に対する「束縛であり障害」(p110)であると感じさえするのだ。

 継父から弟への悍ましい犯罪は、両親の自殺によって打ちのめされ、崩壊する母の裏側で起きていた。追い詰められた母を支えた唯一の人物であるこの継父が、それを行ったのだ。継父を告発することでもしも継父が自殺したら? 母はもうこれ以上はきっと耐えられないだろう、そう考える姉弟の母への愛を利用した犯罪であったのだ。実際、後の告発に際して母は沈黙した。それどころか、娘のあなたは私に知らせるべきだった、と著者を責めさえしたのだ。娘のあなたは——母と娘を繋ぐ女性という絆は、祖母が、母が教えた女性達の闘争の重要性とは、掛け替えのない自由とは、一体何だったのだろう。ここで私たちは、「母をもう何度も何度も失った」というあの言葉を意味を、まざまざと知るのだ。

 なぜ継父による弟への性暴力を告発する本書は、母に関するもので占められているのか?

 それはこの娘にとって、自由とは、母のことだったからである。自由の名の下に悲しみが禁じられ、あるいは性暴力さえ容認される、そうした「自由」がもたらす暴力性を象徴していたのも、母だったからである。けれども考えるとはノンということだと教えてくれたのも、また母だった。何かを選ぶたびに支払う代価のことを教えてくれたのは、祖母だった。だから本書で告発を実施し、知性と自由の本来的な意味を取り戻し、自分自身であろうとする試みを貫いた著者の本は、母への愛と絶望に彩られていたのである。全て母だったのだ。

★信田さよ子氏も推薦★
カミーユ・クシュネル 著/土居佳代子 訳
『カミーユ・クシュネル』

評者:水上 文(みずかみ・あや)
1992年生まれ。文筆家。文芸批評・書評を書くほか、映画やドラマ、アニメのレビュー、オタク文化やジェンダー / セクシュアリティに関連したエッセイ等も執筆。

▼訳者まえがきも公開中▼