マガジンのカバー画像

亀の歩み稽古日記

52
舞踏家 由良部正美さんのもとで、踊りの稽古をしています。その中で思ったこと感じたことを、溢れるままに日々綴っています。良かったら、ふらりと覗いてみて下さい。
運営しているクリエイター

#MiwakoInagaki

亀の歩み稽古日記~まわりの空気も一緒に動いている ~卵~

「まわりの空気も一緒に動いているのを感じて。腕が動くと腕や胸のまわりの空気も動き、それがまた腕や手首や指に伝わり、まわりにも伝わっていく。 よく言っているけど、“虚のカラダ・実のカラダ” 」 例えば手首を柔らかく動かしたいなら、手首を頑張って柔らくしようとするのではなく、まわりの空気に伝わる響きを微細に感じていくこと。それが手首に伝わるから柔らかくなる。気持ちも柔らかく、全体で柔らかく。 ◆回転の動き、その変容 小さな回転、大きな回転、回転が空へと抜ける、光を浴びる、皮

亀の歩み稽古日記 ~私が踊るというよりエネルギーが踊りだす~

◆ 動きを新鮮に感じる為に 「 たとえ同じ動きであっても、いつも新鮮に感じる為に大切なことは?」 それは 「抜ける」ということ。色んな角度 & 言い回しから繰り返し「抜ける」説明をされているが、今回は動きを新鮮に感じる為に大事なこと、という切り口だった。 基礎練習の時に、重さ軽さのエネルギーを通す稽古をしている。カラダを通って大地へ、又天へと抜ける。等身大のカラダを抜けて広がる世界へ。そこは運動を生み出す創造の源。。そこで新たな 「出会い」を果たし、新たな息吹となって

亀の歩み稽古日記~バランス感覚 & 水の断念性~

稽古のはじめに、前々回に書いた4つの呼吸のあと、いつも基礎練習みたいなのをする。その中に、バランスを取りながらのストレッチがあり、これがなかなか難しい。 「 カラダに遊びを持たせて。例えばカラダを高層ビルだと思うと良いんじゃないかな。階と階の間に遊びを持たせる感じ。6階くらいだとカクカクしてしまう。もっと高い高層ビルね。耐震性じゃないけど、遊びがあることによって、揺れを吸収して崩れにくくなる。余裕をもって全体でバランスを取る。それから、気持ちもすごく関係するから。頑張らねば

亀の歩み稽古日記~眼差しが抜ける~﴾感情の嵐 ☂️編﴿

感情の嵐の中にいると、他者も自分も傷つける言葉を発してしまう。嵐は全体の一部分でしかないけれど、その勢いは凄くて、一部という狭さゆえ、エネルギーが凝縮され荒れまくる。狭い中で激しいエネルギーにさらされるのだから、もろに衝撃を受ける。翻弄され過ぎて、それが嵐だという視点が持てない。視点が動かない。強く執着しているから。 でも視点が動いた時、ふと風景が変わる。嵐の去り際は鮮やかだ。何事もなかったかのように晴れ渡る。今のは何だったのだ…と。問題なのは、その時に発した言葉が傷になっ

亀の歩み稽古日記~抜ける眼差し・物質化について

いつも稽古の始まりと終わりに行なうことがある。それは、「光へ」 「あなたへ」「わたしに」「大地へ」という4つの方向の呼吸。息を吸って光へ、吐いてあなたへ、吸ってわたしに、吐いて大地へ。 動きはとてもシンプルだけれど、意識を本当にその様に動かすことが大切だ。 ( 因みに、「あなたへ」の時の由良部師の顔は、シシガミ様みたいやな…と私は思っている… ) 前回から行なっている、「水と空気と光と物質」。 ところで「物質」の捉え方が独特だなと思う。動きが微細になって微細になって

亀の歩み稽古日記~水.空気.光.物質.を踊る !! とは

かなり久しぶりに、「空気の動き」をやった。 ここ最近は 「水の動き」をけっこう徹底してやっていたからな。。 以前に空気をしていた時より、自分の動きがなんとなく違って感じた。より感じやすくなっているような…。それは水をかなりやったからかも知れない。水への理解が少しでも深まると、空気の様に違った動きへの理解も同時に深まるのだな…。 ( 理解が深まっただなんて、恥ずかしく自惚れているが…たまにはいっか、、 ) ◆ 空気 端的にいうと「響き」。 由良部さんの踊りは、“ 声

亀の歩み稽古日記~イメージとイマジネーションの違い

イメージについては、言葉ではなかなか言い表しずらい、でも確かな違い、違和感をずっと感じてきたという。 例えば、何かの情景をイメージしてカラダを動かしていく。するとそのイメージがカラダに浸透してきて、一体となり、そのイメージそのもののカラダになる。……という様なイメージの使い方の稽古はしていない。 動きと共にイメージがある、というか、イメージがカラダを貫いている。だから、先にイメージがあって、それにカラダを沿わすという感じではないのだ。 イメージは表象であったり過去であっ

亀の歩み稽古日記~イマジネーション界~

イマジネーション界 = 超現実 曰く、「 ここでいうイマジネーションは、 頭で考えたイメージのことではなくて、カラダと共にあるものというか、カラダを超えてあるものというか…。」 最近よく云われている 「抜ける」ということは、そのイマジネーション界と繋がることなのかな、と思った。また、本来繋がらないと踊れない。( 多くの人は無意識で繋がっているのだろうか?) その、「繋がる」稽古をしているのだなと思った。 あえて意識的に、、 「イマジネーション界」初めて出た言葉だ。

亀の歩み稽古日記~「苦手意識の森へ…」

苦手意識の森に深く入ってみよう。心を落ち着けて、そっとそこに広がる景色を見てみよう。 嫌だな、という感情を覗いてみる。何がある? 人との比較、出来なかった思い出、ひがみ根性、不安、恐怖、怒り。逃げたい。 はぁ…、、ため息が出る。が、向き合おうと前向きな思いで日記を書いている。思えば、稽古日記を書くまでは、向き合うというよりは、共にあっただけかも知れない。書くことは、不思議だな。。 それから、苦手意識は、良くないことに、他者への攻撃になることがある。…この場合の他者とは

亀の歩み稽古日記 「中心を通る~水のカラダで」

「水でやってみよう」と声がかかる。そう「水」。最も基本型になるもの。でもひと口に水といっても、多種多様、かつ深い。。 例えば水のカラダは、滞らずどこへでも流れていく。感情や情動と共に。とても柔らかく。その「柔らかさ」を追求していくと、感情、情動と共にあることが大切になってくる。身体の機能としての柔らかさも勿論大切だけど、それだけでは限界があるから。 ◆ 「声」を響かせる 感情、情動と共にあるとは? よく言われるのは、「声」を内側に響かせること。発声する声ではなくて、発声

亀の歩み稽古日記 「加速度と重力」

◆意識は光? 重さと軽さを踊る。重力の不思議。 「あるもの」を踊る。そのひとつに重さと軽さがある。重さの感情、軽さの感情と共に。重さ軽さがカラダを通る時、どんな感情が芽生えるのか、見つめて。 いつも重さと軽さが、等身大のカラダでしか感じられていない。そうではなくて、等身大のカラダを超えて、広がったカラダとして、重さ軽さを踊る。大切なのは行き切る、ということ。等身大のカラダを超えて抜けていけ。何が超えていく? 意識……意識は等身大のカラダに捕らわれず自由に駆け巡る。そ

亀の歩み稽古日記 ~前置き〆④~

漠然と知りたかったことを、カラダと対話しながらひとつひとつ見つめていく、体験していきながら深めていく稽古。踊りを通して、私、貴方、空間、時間、感情、人間、宇宙、を探求していくような。果てしない旅路だ…。 ここでやっている稽古はそんな感じ。 それは自分の今までの当たり前の価値観の崩壊を意味することもあるし、その時は苦しみを伴うこともあるし、さらりと通れる道筋ではないことも多い。でもその崩壊の経験を重ねるたびに、何か足かせがひとつずつ取れていくような解放感を知ることになる。そし

亀の歩み稽古日記 ~前置き③~

踊りはまさに、その今、にあるという。「今ここ」にあるのが踊りだと。時間の中の今じゃない。時間を超えた今。私達の本質は、時間を超えている。 今という、とてつもない広がりを持つ次元、それを時空という次元の中に現すことができるのが、命なんじゃないかな。そして踊りは、感情、情動、動き、イメージ、空間…全てがひとつとなって展開される。私達の本質的な次元の豊潤さを、表現してしまうのだ。 「次元の開示」 今、に身を置けば、おのずと創造の泉に触れることになる。そこは無尽蔵な泉。恐ろしい

亀の歩み稽古日記 ~前置き②~

2020/12/13 踊りは色々あると思う。ただここで取り組んでいるの踊りも紹介してみたい。もしかすると、他とは全く違うのかもしれないから。 当たり前すぎて気付かない身近なことの続き。例えば感情。厄介な謎だ。胸が焦げ付く。めちゃくちゃ振り回されてしまう。例えば、嫉妬や恐怖や猜疑心や被害妄想…etc, それらを感じると、生きていることが窮屈で苦しくなる。他者が怖くて自分が嫌い。そんな事は日常茶飯事に起こるけど、その苦しみの根っこを考えると、どうも根本的に何か世界を誤解してるん