見出し画像

亀の歩み稽古日記 「中心を通る~水のカラダで」

「水でやってみよう」と声がかかる。そう「水」。最も基本型になるもの。でもひと口に水といっても、多種多様、かつ深い。。

例えば水のカラダは、滞らずどこへでも流れていく。感情や情動と共に。とても柔らかく。その「柔らかさ」を追求していくと、感情、情動と共にあることが大切になってくる。身体の機能としての柔らかさも勿論大切だけど、それだけでは限界があるから。

◆ 「声」を響かせる

感情、情動と共にあるとは?
よく言われるのは、「声」を内側に響かせること。発声する声ではなくて、発声する前の声にならない声。その声が内側に満ちてる状態。声を意識すると、発声しなくても不思議と発声器官は反応しだし、うごめく。(この発声器官と人間の性の話もとても興味深いので、また機会があれば書きたい。。)

動きが声になる。歌うように踊る。

◆遍在する眼差し

そして、「抜けている」ということ。
それは動きを超えた所が常にあるということに、気づいている状態。私達は動きを感じているし見ている。その動きを見るためには、動きを超えた所からでないとそもそも見えない。次元の原理。動きを見たり感じたりするには、動きのひとつ以上、上の次元からでないと不可能。私達は本当は何処にいるのか。

抜けているというのは、動きの彼方を感じているということ。そのことが、動きの間や創造性を生む。
その視点を最近 「遍在する眼差し」と言われている。その世界のあらわれが 「次元の開示」ぞくぞくしますな。

◆中心を通る

私の癖のひとつは、カラダの中心で感じる前に、手足が勝手に動いてしまうこと。中心を通っていないのだ。すると、手足のリズムに支配されてしまう。運動のパターンが現れてくるだけになって、全然気持ち良くない。中心を通るから、色んなエネルギーが動き出すのだ。手足はそのエネルギーに寄り添い、共にあること。

中心を通る大切さ。無駄な動きもなくなっていき、
踊りがガラッと変わる。

この話も、何十回いや何百回と聞いているが、、
今日ようやく、、、聞こえてきたような気がした。

こんな日はとても嬉しい。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?